『ON THE TRAIL』 vol.4 宮本武典

2008年1月15日(火)~1月26日(土)


双子の星、ジェミニのうた

鷹見明彦

冬の東天のオリオンや〈冬の大三角形〉がかがやくあたりに光を放つふたつの星、双子座のカストルとボルックス。ゼウスとレダのあいだに卵として生まれた双子の兄弟は、弟ボルックスが不死だったのに対して、兄カストルは寿命をもつ人間だった。仲よく勇敢な戦士に育ったふたりは、アルゴー船に乗って冒険を重ねたが、兄が矢にあたって戦死する。弟はゼウスに頼んで自分の不死の半分を兄に与えて、よみがえらせた。それから双子の兄弟は、1年の半分ずつを天上と地上に分けて暮らすようになったという。

神話や伝説に必ず登場する双子たちには、人間の心性を解く鍵が隠されているようだ。自己と他者、宇宙の対称性/非対称性、鏡像、分身、複製・・・。人間は鏡像段階を経て自他を認識し、自我を形づくるというが、生育の初期には双子のほうが言語発達がおそいという説があるのは、かれらが外界から強いられる分裂を共同でガードして、自分たちの楽園のなかにいるからだろうか。

神話や伝統社会にあって、双子が神聖視されたりタブー視されてきたのは、かれらが、神と人間、集団と個といった二項対立の構造にはまらずに、人間の心性の先験的なユートピアを具現化した存在だったからなのか。たとえばケストナーが書いた『ふたりのロッテ』という児童文学では、物心つく前に両親が離婚してべつべつに育った姉妹の双子が、夏休みにスイスの合宿で再会して、ふたりが入れ替わって両親のもとにもどり、ふたたび親たちを再婚させる。この物語は、スイスという場所もふくめて、一人の人間のこころや世界のなかにある対立と融和のあり方を語りかけている。

近年の宮本武典の作品は、仕事や留学で滞在したタイやパリといった異郷でのサイトの断片にさまよう自分の内面を映す・・・といったプロセスをモチーフにした写真と映像、それに関係する手記を加えた写真集や本によって構成されていた。それはグローバリゼーションと多文化に流動する世界を生きる世代一般に見られる表現の傾向を示しているが、そのなかで眼をひくのは、デジタル画像を鏡合わせに増幅して接合したヴィジョンへのオブセッション(固執)だろう。こうした宮本の双子性へのオブセッションと探求は、一卵性双生児という自身の身上にもとづいている。自分が教えた日本人学校の子供たちのポートレート、樹木、仔牛、家、フェンス、遺跡・・・。異郷での事物やシーンが、鏡合わせに分身をともなって現像されている。その〈鏡の国〉は、見る者を個と他が交錯し、自問される帰属と出口がない迷宮へと誘う。

「一人でありながらふたりでもあること」の意識は、不可分であった子どものころから成長するなかで、たえず「自己と他者」という命題と謎を与えてきた。兄弟が別個の職業や家族をもって、離れた土地で異なる現実を生きる経過のなかで、それはどう変化したのか。宮本自身は、はなれることで分離したのではなく、それぞれが撮した家族写真などに相似した眼ざしを発見して驚くともいうが、ほんとうにそうなのか。兄は・・・。

東京で3年ぶりの個展、ともに美術大学を出て、おたがいが表現者であったはずの〈ふたり〉、それぞれの作品に自身の姿を見てきた〈ふたり〉はどうなっていくのか。双子座の星がめぐり流星が流れていく銀河の時間のもとでー。

●宮本武典(みやもと・たけのり)
1974年奈良生まれ。1999年武蔵野美術大学大学院造形研究科油絵コースを修了。タイ、バンコック日本人学校の美術教師、パリ留学(武蔵野美術大学パリ賞)を経て、現在、東北芸術工科大学美術館大学構想室学芸員。INAXギャラリー、なびす画廊、ガレリアラセン、土方巽アスベスト記念館、国際交流基金バンコック日本文化センターなどで個展、2人展。