『ON THE TRAIL』 vol.5 塩崎由美子+伊藤哲+坂田峰夫

2008年2月26日(火)~3月8日(土)


種の減少期と〈植物誌〉について

鷹見明彦

2007年は、スウェーデンが生んだ植物学者カール・フォン・リンネの生誕300年にあたって、母国や日本など世界各地で偉大な功績を記念する展覧会や催しが行われました。リンネは、自然界を鉱物界、植物界、動物界に区分する『自然の体系』に基づいて、1万種の動植物を命名し体系化しました。〈二名法〉というラテン語表記の学名によるその体系は、その後の生物学の基礎となって現在も使われています。人類をさす「ホモ・サピエンス」などもそのひとつですが、とりわけ植物の命名と分類への寄与は大きく評価されています。近代の夜明けにあって、いまだ神の被造物としての宇宙の万象を整えたいという使命感によったリンネの世界観も旧いドグマにとらわれていたことを、現在から批判するのはた易いことでしょう。しかしながら、透徹した体系化への意志をいまでは想像できない苦難に満ちた異境でのフィールドワークによって実現したその業績は、本人の意図をもこえて、世界が世界自身の多様な進化によって展開した結果であるという、あたらしい時代の世界像を開くことに大きく貢献しました。

「分類学の父」ともよばれるリンネの研究は、文献だけでなく世界に広く分布する実際の植物の観察や標本に基づいて推し進められたものです。長い宗教戦争の闇を抜けて、バロックからロココへの転換期に大航海時代にあったヨーロッパでは、博物学が盛隆し、リンネの体系は、その使徒たろうとするたくさんの弟子たちによって、遠方の異国へも広がり伝えられました。江戸時代に日本に滞在して『日本植物誌』(1784)を著したツューンベリーや、シーボルトがもたらした文献によってその体系を翻訳し、日本人による国土の植物誌を著した本草学者たちも、その光を受けた者たちでした。シーボルトが編纂した『日本植物誌』(1835-1870)は、西欧の博物画の規範に倣いながら、そこに東洋人の美意識をみごとに融合させた川原慶賀や清水東谷といった秀れた絵師たちの植物画に彩られています。

本展は、ホログラフィー、絵画、フォトグラムなどの各自の技法によって、花や植物など地上の生命種が見せるもっとも美しいフォルムによせて、それぞれの〈博物誌〉を描こうとしている3人の作家たちの作品を紹介するものです。

長年リンネの母国スウェーデンと日本を行き来しながら制作と発表をつづける塩﨑由美子は、ホログラフィーやステレオグラムといった動と静のあわいにある映像や、骨董品の旧いネガに押し花やスクラッチを加えたフォトポリマー・グラヴュールなど写真に関わる方法を用いて、心象や記憶と映像との関係性をモチーフに親密な内的な対話をうながす作品を創っています。伊藤哲は、大学で版画を学んだ後に独学で岩絵の具や和紙による日本の伝統絵画の技法をマスターし、絵巻物や大和絵が円熟した中世の和歌に花鳥風月によせて詠われた「もののあはれ」の美意識を参照しながら、図像と文様を現在の感性でミックスした独自の〈連画〉を究めています。坂田峰夫は、対象物を直接感光させて画像を焼きつけるフォトグラムによって、都会の日常の身辺にもある微光をまとった植物の影姿を摘んで、日々にあたらしい印画紙による〈押し花〉の収集をつづけています。

多くの種が、かつてない速さで滅んでいるこの時代、人類の消費活動がもたらした生態系全体の危機にのぞんで省みるべきは、因果関係や計量の問題だけでなく、多様性が創造する相互的なバランスです。アートが人間のこころの開花でありつづけるなら、それはリンネの使徒たちにも似て、発見と命名、体系化のはじまりの時代にあった、世界を眼差し記述するー他者を知って世界を愛することの歓びとかがやきに、しずかに深くつながっているはずです。