ギャラリーαM企画展100回開催記念シンポジウム

20世紀美術と現在

2000年10月6日 於:武蔵野公会堂 パープルホール


●パネリスト
東浩紀

林道郎

松浦寿夫

●司会
高島直之

[高島]…ここ吉祥寺にある、武蔵野美術大学運営の画廊「ギャラリーαM」が88年に開廊し、今年の6月に企画展第100回目を迎えまして、それを記念するシンポジウムを企画させていただきました。「20世紀美術と現在」というタイトルは、問題としては広いというか深いというか多面的だと思うのですが、本年、20世紀最後の年であることを鑑みまして、今日、ここにいらっしゃるお三方に論じていただけないかということになりました。

それでは、パネリストを紹介させていただきます。チラシに簡単な略歴が付されておりますので、そちらもご参照いただければと思います。まず東浩紀さんです。2年前に『存在論的、郵便的』という本を出され、そのあと、批評的なエッセイ集と言っていいと思いますが、『郵便的不安たち』という本を出されておられます。また近々、対談集を出されるということであります。

そして林道郎さんです。『美術手帖』誌で96年の前半期に「美術史を読む」という研究を共同執筆というかたちで、ノーマン・プライソン、ロザリンド・クラウス、T.J.クラーク、マイケル・フリード、イヴ=アラン・ボア、グリゼルダ・ポロックなど、現代において無視できない美術史家の論説を交通整理されて、非常にわかりやすいかたちで執筆されていた記憶があります。翻訳では、E.ディ・アントニオとM.タックマンという二人の著書『現代美術は語るNY1940-1970』があります。ニューヨークの40年代から70年までの抽象表現主義ないしはニューヨークのネオ・ダダ近辺の作家たちのドキュメントと言っていいと思いますが、その本を訳されています。3年前に青土社から出版されました。
最後に松浦寿夫さんです。今日のタイトルと重なるような本としては、『モデルニテ3×3』という小林康夫さんと松浦寿輝さんとの鼎談集が2年前に思潮社から出ておりますので、本日、もうちょっと聞いてみたいという部分があった場合、この本が押さえになるのではないかと思います。最近では岩波の『宗教への問い』第2巻で「同時遍在性の魔」という刺激的な論文を書かれています。今日の話と直に重なるような論文だと思いますので、これも指摘させていただきたいと思います。

それでは、早速始めていきたいと思います。

先ほども言いましたように、僕らは言葉で20世紀とか20世紀美術、20世紀モダンと括ってしまいますが、非常にたくさんの入り口から論じるべきものがあるわけです。限られた時間で骨格が全部出てくるとは思えないのですが、私がお三方に大枠の見取図のようなものを伝えてありますので、まずその点をお話ししていきたいと思います。20世紀モダンの特徴としては、19世紀まで連綿と繋がってきた社会階級、つまり特定された階層文化があって、その中で互いにまじり合わないで、それぞれの階層が文化を作ってきたわけですが、そういったものが今世紀に解体される。また、特定の宗教ならびに地域、民族など、それぞれ固有の価値観で芸術が出てきたと思うんですが、そういったものも今世紀の大衆社会の広がりによって転換を余儀なくされてきたということだと思います。その場合、19世紀まで繋がってきた古典的な日常の生活の流れを一度切断するかたちで、新たな次元で芸術と日常を切り結んでいこうという流れが急激に出てきたというふうに見ていいと思います。それは1900年の表現主義、フォーヴィズム、立体派、未来派といった運動の中に一つの出発点があり、10年代、20年代には抽象画やダダイズムも出てきますし、シュルレアリスムも出てきた。そういう一つの芸術と日常の新たな関係の回復というものが目されていったのではないか。もう一つはテクノロジーの問題です。フォードが(フォーディズムという、のちに自動車の移動組み立て方式に象徴される)同社の支配権を握ったのが1907年で、同じ1907年が立体派の起点になっています。ドイツ工作連盟というのが創設されたのも1907年で、この年は一つのメルクマールになると思います。テクノロジーというのは日常の中に染み込んだかたちで密接に絡んでくるわけですが、資本主義の持っている技術の平準化というか民主化というか、そういう大きな流れとして無視できないのではないか。

フォードというとクルマのイメージがありますが、ジャクソン・ポロックがデュコという自動車用の速乾性塗料を使ったということもテクニカルな一つの変革だと考えられますし、筆とかペンとかロットリングのようなものも含めると、これも技術革新の一つの成果です。アクリル絵具なんていうのもテクノロジーの賜物だと考えていけば、美術のレヴェルに引きつけたかたちで話が出てくるのではないかと思います。

今世紀は純粋芸術と複製芸術というものが対抗的な原理としてずっと作動してきた。その辺がベンヤミンの大きな作業の到達点だと思います。テクノロジーがずっと進展したかたちで広がってきているこの時代において、純粋芸術(ファインアート)と複製芸術との境界をどのように考えていくか。この辺は東さんにお話ししていただけると思いますが、そういう二項対立すらも、現在、どのような見通しができるのか。なかなか見えにくい状況だと思うので、テクノロジーの問題、芸術と日常の新しい関係の回復、純粋芸術と複製芸術の問題といったことを、お三方に、一つの見取図にすぎませんが、お話をしていただけないかということでご出席いただいたわけです。

ゴッホは1890年に亡くなっていますが、セザンヌが亡くなったのが1906年、ゴーギャンが亡くなったのが1903年ということで、1900年ぐらいを考えますと--印象派の最後ではありますが--後期印象派が直面したような問題が20世紀に送り込まれていて、無視できないものだと私は思っています。形象と非形象、フォルムとアンフォルムという問題も後期印象派の問題設定の中からいろいろと取り出せるのではないでしょうか。

まず最初に松浦さんから、今申し上げた範囲の中で発言していただければと思います。

[松浦]…高島さんが提示された枠組みはとても大きな枠組みなので、このご提案に対してうまくお答えできるかどうかわかりませんが、まず、とりあえずとても小さな窓口から話を始めたいと思います。ただ、その話を始める前に、高島さんが印象派のことをおっしゃったので、一言だけ指摘しておきますと、流派としての、あるいは様式概念としての印象派は多くの場合、1870年代と結びつけて語られるのですが、印象主義の問題は決してその時点で終わったのではなくて、本当の意味で印象主義の問題が絵画史において明らかに露出してくるのはむしろ20世紀になってからだと僕は考えています。20世紀の絵画の多くにとって印象主義の問題をどのように対処するかということは極めて大きな課題だったので、印象主義の問題は、現在の問題であるという点だけ付け加えておきます。

最初に高島さんから印象派について話せと言われたのですか、ここではタッチというか筆触ということについて、つまり、セザンヌ、抽象表現主義、ロイ・リキテンシュタインのタッチについて話を始めたいと思います。何度かほかのところでも話したことがあるので少し気が引けるのですが、林さんはセザンヌの専門家ですし、東さんはご著書の『郵便的不安たち』の中に収められたテクストでリキテンシュタインという画家について触れておられますので、今回の討議のちょうどいい話題の一つになり得るのではないかと思ってお話しします。

まず最初に、ある一つの逸話を取り上げます。皆さんもよくご存じのルノワールという画家がセザンヌの絵について述べた有名な言葉があります。それは何かというと、「たった一つか二つのタッチしかなくても、それがセザンヌの絵であるということがわかる。かつ、たった一つか二つしかタッチがなくてもそれは極めて美しいものである」と言っている一節です。考えてみると、この発話が挿入される時代の文脈は、画廊というか、美術の新しいディーラー・システムが確立する時代ですが、タッチが、ある作家の弁別特性、つまり他の作家と区別する、芸術的であると同時に商業的な特性のマークになり得るということを明らかに示している命題だと思います。

それと同時に、美学的な一つの選択として、その当時了解されていた意味での完成という概念に逆らって、画面の上に一つか二つしかタッチがなくても、それは十分に絵画作品であり得る、しかも美しい作品であり得るという芸術作品の新しい存在論的、美学的な次元を提示していると思います。

ところで、ルノワールの一節を支えている論理は、タッチが一つか二つしかなくても美しい作品であり得るということですけれど、そこからもう一つ別の飛躍というか別の断絶の可能性があり得て、タッチが一つないし二つしかないからこそ美しいという飛躍もあり得るわけです。そこでわれわれが直面するのが、たとえば、抽象表現主義に見られるタッチだと思います。抽象表現主義のタッチを説明する文脈では、すでにさまざまな言説が組織されています。その中で、タッチを無意識と結びつけたり、自然発生的な衝動と結びつけたり、そういった説明原理に立脚したいくつもの言説が存在するのですが、ともあれタッチが一つないし二つしかないからこそ美しいという、ある意味では逆説的なこの命題は、ある一つの特殊な還元の様態を示していると思います。

これらに対してさらにもう一つ別のタッチについて、今日は触れたいと思いますが、それはロイ・リキテンシュタインのタッチです。ロイ・リキテンシュタインはポップ・アートの作家と見なされていますが、本日の話の文脈ではとりわけ1970年代の彼の作品に非常に興味深い点があります。それは「ブラッシュ・ストローク」と題された一連の作品です。どういう文脈でこのような作品が生まれてきたかという点をごく簡単にまとめておきます。リキテンシュタインはコミックブックやコマーシャルの画像を反復する作品で有名ですが、ある時期から彼は西欧近代絵画の名作ないし有名な画家たちの作品を引用する、あるいは反復する作業を開始します。ギリシアの神殿列柱像なども反復していますから、美術史に対する目録のとり方が非常に幅広いと言えます。このような作業を通して彼は、他者の絵画を反復するに際して、どのような徴がその画家の特性を担い得るのか、何が作品をある芸術家の芸術作品と認定させるのかといった考察と分析から、そのようなマークの存在に興味を示し始めます。

その文脈で、抽象表現主義の作品を成り立たせているマークは何かと考えた時、そこに彼はブラッシュ・ストロークを見出したとも言えるでしょう。ブラッシュ・ストロークを見出したことはリキテンシュタインにとっても一つの決定的な断絶というか飛躍を可能にする局面だったと思います。一つには、多くの場合自然発生的あるいは無意識の欲望の発露と考えられがちな筆触による表記そのものが、もしかしたらそれに潜在するあるマークないし痕跡によって駆動されているのかもしれないということを明らかにした点です。つまり、よく言われるように筆触が何ものかの痕跡になるというのではなく、筆触に潜在するものこそが痕跡であるということです。もう一つの点は、他者の絵画の反復に際して、それまでリキテンシュタインは画面の構図、当の画家によって選択された画像的な主題といった次元にこのマークを見出してきたのですが、このブラッシュ・ストロークの連作で、絵画面への表記作用そのものを反復するという局面を迎えたと言えます。さらに、これは東さんが本でお書きになっていることでもありますが、リキテンシュタインはある段階から、今述べた論理の展開として複製したブラッシュ・ストロークと生のブラッシュ・ストロークという二つのブラッシュ・ストロークを並置する、ないし混在させるような画面を作るに至っています。

以上、三つのタッチの水準というか返還について、ごく単純化してお話ししましたが、いくつかタッチについて付け加えておきたいと思います。先ほど「芸術と日常との新たな関係の回復」というテーマを高島さんがおっしゃったのですが、個々の画家にとって「芸術と日常との関係の回復」という主題が仮にあり得るとしても、それは多くの場合、画面とどういうかたちで接触するかという場面で大きく露呈してくると思います。そこに筆触の政治の場が開かれています。そこで、今一つの点として筆触を巡る議論がしばしば政治的な語彙とともに語られてきたという歴史も指摘しておきたいと思います。「タッチが画面の上で自らの個別性あるいは平等性を主張し始めると、画面はたちまち無政府主義的な状態に陥る」という一節がボードレールのテクストの中にあります。ともあれ、タッチという一つの小さな窓口も芸術と日常、あるいは芸術と政治等々が接する場に存在しているのではないかと思います。

[高島]…筆触の問題は、印象派を起点として、芸術と日常との関係の回復が、画面と筆が接触する場として登場した、ということをおっしゃっていただいたと思います。

次に、この話と繋げていただいても結構ですし、林さんの考えるモダンアートの入り口みたいなお話をしていただければと思います。

[林]…モダンの入り口ということで、一応僕なりの入り口を準備してはきたのですが、今の松浦さんの話がとても興味深いので、それを発展させるようなかたちで話をしたいと思います。

タッチについて、セザンヌ、抽象表現主義、リキテンシュタインという三つの問題を出されたのですが、その中でマークという言葉を持ち出されました。美術作品が商品として流通するようになった、それも自由な市場で出回るようになったのは17世紀以降ですが、松浦さんが言われるように、路面店舗を構えた個人画廊というシステムは確かに19世紀未あるいは20世紀の頭ぐらいから一般的なかたちで機能するようになるわけです。その中でマークというものが個人あるいは作家性の記号として流通するようになるというお話で、まさにトレードマーク--登録商標--なんですね。その問題はしかし、一筋縄ではいかなくて、ルノワールがセザンヌのタッチは一つ見て美しい、二つ見て美しいと言ったことは確かだし、一つ見ただけでセザンヌとわかると言ったというのも確かなんですが、セザンヌ本人の側から言うと、タッチに阻害されているところがあるんですね。1870年代の後半ぐらいに構築的ストロークの時代というのがセザンヌにあって、「コンストテクティヴ・ストローク」と英語で言われますが、その時代のセザンヌの画面は、一定のレギュラーな(構築的な)タッチで画面全体が覆いつくされているわけです。その時にセザンヌに何が起こっているのかということに僕はとても興味があるんですが、彼は印象派のシーンにあとから遅れて登場する。そしてピサロあたりから、まさにタッチを既製の技法として学んでいくんです。つまり、印象派の技法そのものがセザンヌにとってはレディ・メイドだったという状況で描き始める。

[松浦]…構築的ストロークというのはおっしゃるとおりだと思います。画面全体を一様なストロークで覆ったもっとも古い作品の一つに「スール池」(1875-77)というのがあって、その時はナイフを組織的に使っていますよね。林さんがおっしゃったようにレディ・メイドとしてタッチというものを受け入れざるを得なかった時に、筆ではなくてナイフを使わざるを得なかったという点は僕はとても興味深いところです。

[林]…それはまさにそのとおりで、コンストラクティヴ・ストロークを見ても、ナイフのように斜めに切り込むような感じのストロークをずっと重ねて覆いつくすんです。とてもナーバスな感じで。ロジャー・フライがあの風景画を見て、ほんとに神経的に震えている、テンションが高まって壊れそうだ、という感じのことを言うんですけど、それほどタッチというものを巡って複数の主体がテリトリーを覆い合っているというか奪い合っているという感じがあるんですね。つまり、あの構築的ストロークは、画面を構築するユニットであると同時に、タッチに潜む他者の影を消すためのものでもあるという二重性をはらんでいる。しかし、その他者の影はそう簡単に払拭はできない。だからこそあれは何度も描き直したりとか、自分のセンセーションを実現できないとか、反復の魔に陥っていくところがあるわけです。

セザンヌ自身のそういった問題とは別に、需要という場面ではトレードマークとして流通しちゃうんですね。これが20世紀の芸術、美術を巡るとても大きな問題だと思いますが、作家の内面的自我の問題が作品価値とずれたものとして考えられ始め、主体の消失とかいろんな言葉で言われます。そういう一つの経路があるとして、そういうものかセザンヌあたりから始まって、キュビスム、抽象表現主義、ポップ・アートまでいくんだと思いますが、アンディ・ウォーホルなどは最終的に「私は機械になりたい」なんていうことを言うわけです。機械になれるわけはないんですが、でも他人にシルクスクリーンを刷らせたりして、どんどん自分の作家性というものを否定していこうとする。にもかかわらず、誰が見てもアンディ・ウォーホルの作品はアンディ・ウォーホルだと固定できるような様式的記号性を持ってしまう。商品として作品が流通することの矛盾がそういうところにも出てきていると思うんです。そういう意味で、画廊を軸にした流通のシステムが非常に重要だと思います。

さらにアンディ・ウォーホルの問題からちょっと話を広げると、ポップ・アート、リキテンシュタインもそうですけど、あるスタイルというものをどの作家も確立する、というかもたらされてしまう。ところがポップ・アートみたいなものが今はヨーロッパに広まっていった時に、ヨーロッパのシグマール・ポルケなんていう作家を考えてみると面白いと思うのですが、ポップ・アートを受けとめつつ、ドイツで活動していたポルケは一つのスタイルに自分を落ち着かせることができないんですね。非常に断片化されたかたらで、全然違う複数のスタイルを持ちながら同時にやるというような状況に追い込まれる。

それは資本主義一般の、つまりトレードマーク問題とは別の次元で、戦後の美術においてアメリカが占めてきた中心性というか、アメリカのヘゲモニーということに関わる問題だと思うんです。アメリカで活躍している作家というのは主体性を最終的には疑わないところでやっていけるという状況がどこかに、とくに戦後にはあるんじゃないかという感じがしますね。少し先走りして変な方向に話を広げちゃったかもしれないですけど。

[高島]…私がいみじくも最初に資本主義のテクノロジーと言いましたけど、画廊のシステムと筆触の登録商機的な記号性といったものの微妙な関係をお話しいただきました。東さん、いかがでしょう。今のお話を聞いて、何かお話しいただければと思います。

[東]…かつて僕がリキテンシュタインについて書いたのは原稿用紙にして5、6枚の文章なので、それについて言及されるとは思ってもみなかったので驚きました。それを知っていればもう少し、準備してきたのですが‥‥‥。

それについて言いますと、僕がリキテンシュタインの70年代のブラッシュ・ストロークを見て面白いと思ったのは、先ほど松浦さんがおっしゃった本当のブラッシュ・ストローク、つまり実際に筆でペタンと描いたものですね。その輪郭線をとって、色を極めて平板にして、ブラッシュ・ストロークそのものを漫画にしたような、つまり漫画に出てくるペンキの跡みたいなものを横に並べているという作品が面白いと言ったんです。それが面白いのは、松浦さんがおっしゃったようにオリジナルとコピーが横に並んでいるということのアイロニーもあるのですが、それだけではなくて、当時、僕が思ったことは、こういうことだったんですね。

それを説明するために話がちょっと横にそれますが、グリーンバーグがモダニズム絵画について規定する時にペインタリネス(絵画性)というものの一つの中核としてイリュージョンということを言っていて、そのイリュージョンと何を対置してたか、正確な言葉が思い出せないのですが、ある種の再現性を対置させていた(註:これは不正確な引用で、あとで訂正が入ります=東)。描かれているものそのものが何かの記号になっていることと絵画の平面そのもののイリュージョンを対置させた。平面そのもののイリュージョンにとどまることを絵画の中心的な課題であると規定したというふうに僕はグリンバーグの論文を読んだのですが、その絵画の規定からすると、アメリカと日本におけるコミックというものはまったく絵画ではないんですね。なぜかというと、コミックというのは完全に再現性のシステムでできていて、笑ってる顔を描いたら笑ってる顔、怒ってる顔だったら怒ってる顔であって、その記号性みたいなものを速やかに頭の中で処理していくことによって読むものなわけです。
僕はリキテンシュタインがコミックに目をつけたというのは、大衆消費社会に対するアイロニーという以上のものがあると思っているわけです。コミックの線というのはモダニズム絵画のペインタリネスと根本から相容れないものなわけです。相容れないものを絵画にするということには何か本質的な意味があるだろう。実際のブラッシュ・ストローク、実際に絵として描かれた筆のタッチと、その横に漫画になってしまった筆のタッチとを対置した中には、それが1970年代の作品であるということも含めて、モダニズム絵画の中核に対する強烈なアイロニーというか批判的意識があるのではないかというのが一つです。

さらに話を繋げていきますと、最近、僕は漫画評論家の竹熊健太郎という人と対談をしたのですが、その時に例として示されて、それはそうだなと思って驚いたのは、かつてあったロンドン絵入りニュース、『ロンドン・イラストレーテッド・ニュース』というやつなんですね。皆さんも日本史の教科書かなにかで見たことがあると思いますが、当時、大英帝国はインドとか中国とか日本とか世界中で起きた出来事をロンドンに配信するためにイラストレーターを雇っていまして、ペンで描かれたイラストが続々とたまっていた。ロンドン絵入りニュースの漫画と北斎漫画はほとんど同時期なんですね。この二つを比べればわかるんですが、ロンドン絵入りニュースのほうはペンで描かれていますので極めて均質な線で描かれている。これは完全にリプレゼンデーションの空間なんですね。それに対して北斎漫画は筆で描かれていますので、まったく違うシステムで作られた絵なんですね。そのあと日本の漫画がどうなったかということを竹熊さんは僕に教えてくれたのですが、それを簡単に要約すると、筆の線で描かれる漫画は均質な線がないわけです。それに対してペンという新しいテクノロジーは当時の日本人にとって極めて衝撃的であっただろう。ペンをいかに使うかということに日本の漫画は向かうんですね。その一つの達成点として手塚治虫があって、手塚治虫の初期の絵は極めて均質な線で描かれている。

それに対するある種の批判として、日本では60年代に劇画が出てくる。劇画はGペンを使って、ペンを使いながらタッチを、今日の言葉で言えば筆触を出そうとするわけです。さらにそれに対する批判というか、それを乗り越えるかたちで大友克洋が70年代の末に出てくる。大友自身はロットリングを使ってなくて、ロットリングを使った作家は別にいるのですが、完全にすべてを均質な線で描くという大友の画像が出てくる。日本の漫画史というのはペンと筆の対立でもあるわけです。

ペンと筆の対立というのはリキテンシュタインで言えば、オリジナルのブラッシュ・ストロークと、コピー化されコミック化され、もしくはポップ・アート化されたブラッシュ・ストロークが横にあるというところに表われているような、絵に対する二つの極めて違う考え方の並列状態みたいなことがリキテンシュタインでも問題になっているし、日本の漫画史でも繰り返し問題になっているのだろう。そのようなことを考えました。

[林]…日本ではペンはいつ頃から、どうして使われ始めたんでしょうね。それは面白い問題です。新聞のカリカチュアみたいなものの中に使われるようになるんでしょうかね。

[東]…日本で使われるようになったのは欧米で使われていたからですよね。欧米では新聞が大量印刷されるようになった時からあるんだと思いますけどね。

[林]…日本の場合で面白いと思うのは、浮世絵をやっていた人たちが明治になると、いわゆる錦絵新聞の中で挿絵を生産するようになる。浮世絵というのは彫る作業で、ペンと近いんだけど、彫りながら下絵の筆のタッチを模倣するんですが、そういう人たちの中からペンに移行した人がいたのかどうか。もしいたとしたら、その時に何が起こったのかということを、今聞いていて面白いなと思いました。

[高島]…初期の新聞印刷の機能自体が線描画じゃないと凸版に転化できないでしょう。

[松浦]…もともとリトグラフィでしょ、絵入り雑誌は。そういう意味ではオフセットと同じですよね。

[高島]…いや、だけど日刊新聞=活版印刷になる場合は凸版台に絵を彫った版を乗せないと大量生産できないですね。浮世絵の版画で可能であった、かすれたところとか、浮世絵の場合は何色か重ねてぼけた味を出したりしますけど、線描画の場合は複数の色が乗りませんので、そういうことはできないわけです。

東さんにはリキテンシュタインのブラッシュ・ストロークの話から『ロンドン・イラストレーテッド・ニュース』、北斎の筆との違いなどの話を引き受けていただいたのですが、村上隆さんのスーパーフラットあたりの問題性と今の話は繋がるんでしょうね。

[東]…僕は繋がると思っていますけどね。かといって単純に繋げるのもいかがなものか--と言ってもしょうがないんですけど、繋がると思っているから僕は村上隆のスーパーフラットに関心を持っているということはあります。

今、筆とペンの対立というふうに述べましたが、ロンドン絵入りニュース、北斎漫画からしばらく経つと19世紀末になります。ペンというのは非常に曖昧な存在論的な位置を持っているメディアでして、もう少し進むとタイプライターが出てくるわけです。タイプライターの出現によって起きたメディア的変性というのは非常にクリアなもので、文字はタイプライターになり、絵はペインタリーになった。絵は今度は筆になり、まさにセザンヌ的なタッチの問題が出てくる。

それとタイプライターの出現との関係がどういうものなのかというのは僕にはわからないですが、それ以降、タイプライターとブラッシュはまったく違ったメディアとして進んでいくことになったわけです。それは、絵と言葉はまったく違っているという、19世紀末から20世紀前半にかけてのエピステーメーと連動しているんだと思いますが、それを揺るがすものとして、一つにはルネ・マグリットがいたわけです。フーコーが優れたマグリット論を書いていますが、その時にマグリットが書いた字というのは筆記体ではあっても活字化された筆記体の模倣なわけです。それによって文字と絵とのある種のギャップとずれみたいなものをマグリットは作品にしていた。

僕は進んでいるとか遅れているという言い方はあまり好きではないのですが、その間題意識でいくと、リキテンシュタインのほうがもう一歩踏み込んでいるのかなという印象があるんですね。リキテンシュタインの場合は、もう少し起源に遡っている感じがするわけです。タイプライターの前のペンの世界ですね。タイプライターが出現したあとは文字と絵がまったく分かれてしまうんですが、ペンを使っていた時は、そこは曖昧なまま分化しようとしていた時代だったとも言えるわけです。コミックのタッチとかコミックのオリジナリティというものをグリーンバーグがどのように考えたのかというのは僕は非常に興味があるのですが、「ブラッシュ・ストローク」という作品は、それを作品化しているように思えてしまったというのが、僕が70年代のリキテンシュタインに興味を持った一つの埋由です。

[松浦]…今の東さんのお話の補足になるかどうかわからないのですが、確かに、グリーンバーグがペインタリネスと対立させたものとしてイリュージョンがあります。ただ、もう一方でペインタリネスという概念と対立したものとしてデッサン、ないし線描という概念があったと思います。グリーンバーグのテクストの中では、ライナー・ストラクチュアないし、輪郭線による構築性と絵画性という対立があると思いますが、もちろんこの対立性そのものはヴェルフリンという美術史家のテクストの中にすでに書き込まれているものです。

そこで、セザンヌ、リキテンシュタインという組み合わせに戻りたいのですが、それは東さんが話してくださったことの一つの面白い例になるのではないかと思うからです。リキテンシュタインがセザンヌの絵画作品に言及したものとして、二つ有名な作品があります。これらの作品で非常に興味深いのは、リキテンシュタインの作品がセザンヌの絵画作品に直接言及するというよりも、セザンヌの絵画作品とリキテンシュタインの絵画作品との間に、もう一つある媒介物が存在していた、という事実です。それはアール・ローランというアメリカの美術史家の書いた『セザンヌの構図』と題された著作です。これは美術出版社から翻訳も出ていますが、1943年に、つまりまさに抽象表現主義が形成されようとする時代に刊行された著作で、非常に面白い本です。

この本に関してグリーンバーグも何回か書評のような文章を書いています。セザンヌ自身は線ではなくて色彩でデッサンをすると何度となく語っているのです。その時、色彩と線という対立はほとんどタッチと輪郭線という対立と同等だと思います。ところで、アール・ローランの本は、いくぶんか当初の出版事情ということもあると思うのですが、最近出ている版に至ってもほとんどカラー図版のない画集です。現在出ている版では2点か3点、カラー図版が入っていますが、相変わらず白黒の図版が中心になっています。それはなぜかというと、ローランがセザンヌの作品の中から、それぞれの作品のライナー・ストラクチュアというか線的な構図をもっぱら導き出すことに集中しているからです。
この試みに関してグリーンバーグは非常に揺れていて、一方でセザンヌにペインタリネスを見出そう、つまり線的な構想とは別の組み立てを見出そうとするのですが、他方、ローランによる色彩を欠いた図版とダイヤグラム化した図表へのセザンヌの絵画の還元にあり得べきセザンヌを見出そうともしていて、セザンヌにおける理論と実践の分裂とまで言い出しかねない様相を呈しています。そして、色彩派的なセザンヌではなくて、ライナー・ストラクチュアという仕組みにダイヤグラム化された、アール・ローランの書物のセザンヌをリキテンシュタインが参照し、その作品で反復しているというのは、今おっしゃったペンと筆の対比を補完する逸話になるのではないかと思います。

[高島]…構図としてはこうですね。色彩、タッチ、イリュージョンという繋がりが一つあって、線、デッサン、すなわち再現性という二つの構図的な対立がある。

[林]…再現性ですか。復元性?

[高島]…東さんが漫画のペン画というのは再現性が高いと言われた。正確には記号性だと思いますけど、戯画的にいうとイリュージョン対再現、筆触対デッサン、色彩対線という一つの構図が浮かび上がってきます。これを考えていくと、いろんなところに当てはめられると思うのですが。

[松浦]…アニメに対する一種のオタク的主体がアニメの画像を記号として見ると同時に絵画として見るという点で、二重の視線を備えているということを東さんはどこかでお書きになっています。近代絵画の経験にはタブローとの距離のとり方に応じて絵画面を画像として見るか、あるいは色彩ないしタッチの集積として見るかといった、二者択一的な視線を要求するメカニズムがあると思います。エミール・ゾラは、マネとともに発明されたのは新しい絵画であると同時に新しい距離である、と述べていますが、その場合も複数の視線というか、複数化して、必ずしも単一的に統合化され得ない画像に対する視線が発明されたと言えるかもしれません。

[東]…さっき僕はグリーンバーグの要約を間違えてましたね。イリュージョンという言葉は、色彩、タッチの側でした。頭の中が混乱していたことが指摘されてわかりましたので(笑)修正しておきます。ゾラは19世紀の真ん中ぐらいですけど、その時に新しい距離が発明された。その新しい距離をどう処理するかにおいてモダニズムは動いてきたということですよね。1970年代以降を考えたとして、それ以降は現代アートでもポップ・カルチャーでも、モダニズムの距離、色彩だけを見るという距離の取り方が使えなくなっているのではないかというのが僕の一貫した問題意識です。

そのあとどうなっているのかというと、ここでうまく説明できるほど僕もわからない。ただ、ポップ・アートだけではなくて、90年代のイギリスのデミアン・ハーストの作品や村上隆の作品、もしくはウォーホル、リキテンシュタインの作品を人びとが解釈する時に、ほとんど平面性については語られてこなかったのではないかと僕は思っているわけです。それは一言で言うとコンテクストと呼んできたわけです。

これは僕が美術評論家としてというよりも美術評論を読む素人として思っていることなのですが、95年に『モダニズムのハード・コア』という本が出た。ポップ、ミニマリズム以降のアート・セオリーというテーマだったと思うのですが、ミニマリズムまでは作品そのものについて語ることができたと思うんです。しかしポップ、コンセプチュアル・アート以降、ポストモダニズム、シミュレーショニズム、ネオ・ポップときた時に、作品そのものではなくて、作品と社会との関係性というか、コンテクストに還元することによってしゃべるということが中心になっていく。そこで平面が問題にならなくなったというよりも、平面に対してとるべき視線が変わっているのではないかと思うんですね。
今僕は粗雑な話をしているので、そういうものだと思って聞いていただければいいんですけどね。村上隆とか、あるいはデミアン・ハーストは平面ではないので彼のスポット・ペインティングでもいいんですが、デミアン・ハーストの場合、写真で見てもある種の新しい経験があると思っています。ただ、牛の親子が引き裂かれて水槽に入っている作品を撮った写真の上にスポットペインティングのようにして白抜きで抜かれているようなポスター、こういうものそのものの平面性について考えるにはどうしたらよいのだろう、というのが僕の疑問なんです。

リキテンシュタインに戻りますと、リキテンシュタインがコミックを引用したことについて、高度資本主義社会に対するある種のアイロニカルな距離の取り方ということもあると思うんですが、それと同時に、そこでは新しいある種の平面性が獲得されつつあったという仮説は立てられないだろうかと思っているわけです。

[林]…レオ・スタインハーグが「フラット・ベッド」で言った1970年の論文の中で、平面の性質が変わったという。要するにイリュージョンの見える壁的な平面ではなくて、むしろデスクトップのハードな平面になって、その上に記号が来ては去りという、そういう平面になってきたんだという、そういうこと?

[東]…もちろん僕はそう思います。ラウシェンバーグにはコミックの問題はほとんど出てこない。その点において僕はリキテンシュタインに少し興味があるのは、さっきから言っているようにコミックというのは線の問題なわけです。線の問題というのは、少なくともグリーンバーグが規定したモダニズム絵画の歴史においては他者なわけです。

僕は素人なので間違えているかもしれませんが、僕がロザリンド・クラウスなどを読んだ限りでは、一方にグリッドの歴史があり、他方にマトリックスというかアンフォルムの歴史がある。それは二項対立ではなくて、グリッドを支えるものとしてと言ってもよいと思うのですが、そこで線的問題をクラウスは出してこないと僕は思うんですね。ロザリンド・クラウスという批評家は非常に優秀だし、刺激あふれる批評家であるにもかかわらず、ある年代以降の作品を、あるやり方でしか扱うことができていないと言うべきなんでしょうか。村上隆のスーパーフラットなんかを持っていって、クラウスがどう言うのかというのは僕は関心があるんですけど、そういうことと僕の頭の中で結びついています。

[林]…線の問題について言うと、確かにそうなんですね。19世紀の美術史の言説の中でリアリズムがでてきた時に批評家が繰り返し言うのは、作家もそうですけど、線というものは自然の中に実在しないということです。これはクリシェになって、何度も何度も繰り返される言葉ですよね。アカデミーの遠近法的な絵画の中で一番重要だとされてきた線が、リアリズム以降、抑圧されてくる。抑圧された結果何が起こるかというと、完全に壁的な視覚的イリュージョンの世界に絵画がなっていく。それが延々とグリーンバーグのパラダイムにまで繋がるというのは確かにそうです。

先ほどのタイプライターの話とも繋がると思うんですけど、近代絵画の歴史の違うコースがあり得たとすれば、キュビスムの段階でそうだったという感じがするんですね。なぜそうかと言うと、文字が出てくるんですね。ステンシルのレターをブラックなんかが使う。ピカソはハンドライティングで描くことが多いんだけど、ブラックの場合は完全にステンシルで、非常に触知的な記号的な文字を導入してくる。それをグリーンバーグなんかは垂直面のフラットネスに繋げて言うんだけど、一方では水平面に置かれたフラットネスに繋がる契機もキュビスムにすでに可能性として胚胎されている。しかしその可能性は、完全に見逃されていると思うんです。

[松浦]…ステンシルで文字が画面に描き込まれているのは、文字が表記され得る場の本来的な平面性を暗示するというのがグリーンバーグの論点だったと思います。ところで、ブラックという画家の生涯を通じて唯一と言っていい主題は何だったかというと、それはテーブルだったと思います。語源を共有するテーブルとタブローというか、テーブルとタブローとの相互的な変換の可能性、ブラックにとっての唯一の絶対的な主題だったと思います。

この文脈で付け加えておくと、建築という領域の図面の引き方を考えれば当然そうならざるを得ないのかもしれないのだけれど、ル・コルビュジェの絵画作品もある意味ではテーブル絵画でしかなくて、かつ、テーブルに対して真上から見るか、あるいは真横から見るか、その二つのタイプしかあり得ないという気がします。

[高島]…ブラックのテーブルとタブローの関係性とか、もうちょっと話していただけますか。語源は一緒なんだけど、ブラックが作品の中で何に決着をつけようとしていたのか。テーブルとタブローということで……。

[林]…僕は壁と言ったんだけど、タブローですよね。ハードな記号的な声が起こる平面、そういうものが特化されたかたちでリキテンシュタインとかウォーホルに出てくるような感じを僕は持っているんだけど、グリーンバーグはまったくそうじゃなくて、テーブルの上で起こっていることを壁の上のフラットネスの問題に引き寄せて考えている感じがある。

これも松浦さんがどこかで書かれていたと思うけど、ブラックのタブローの中に何枚か釘が出てくるものがある。上に釘が刺さっていて、その影が描き込まれていて、見れば見るほど一枚のすでに描かれたポスターのような絵が釘によって壁に張りつけられているような感じがしてくる。テーブルの上でやってたものをポッと持ち上げて壁に張りつけたような感じがするんですね。テーブルと壁との、垂直面と水平面の間を行き交うようなことがブラックの周辺で起こっているなという感じがします。

[松浦]…水平面と垂直面の変換の関係を考えた時に、先ほどブラックにとって、テーブルが唯一の主題だと言ったのですけれども、有名な連作に「アトリエ」という連作があります。アトリエも当然、一つの部屋なわけですが、部屋の問題もテーブルの問題の一つの論理的な延長線上にあると考えることができる。というのも部屋の隅にはコーナーができます。コーナーは、水平面と垂直面の変換の体系を組み立てようとする時に大きな困難を伴う場所になります。そこでブラックが行なった作業は二つあって、一つはコーナー・レリーフと呼ばれるものです。コーナーのところにオブジェというか、テーブル状の板を張って、その上に瓶とかの静物像を置いたものがあります。これは写真としてしか残っていません。もう一つは何枚かのビリヤードのテーブルの絵があるのですが、これらの作品ではまさにテーブルが部屋のコーナーに対応するかのように折れ曲がっています。

[高島]…一般にセザンヌが論じられる時、セザンヌからジャクソン・ポロックに繋がっていく一つのラインが論述されることが多いんですが、線と色彩の関係とか、今のタブローの問題を入れると、ポロックの存在というのはどういうふうに繋がってくるのでしょうか。

[林]…これも重要な問題だと思うんですが、グリーンバーグはポロックを完全に視覚的イリュージョンの画家として考えているところがあると思うんです。クラウスなんかは、ポロックが床にキャンヴァスを置いて、その上にドリッピングをしたということを重く見るわけですが、なぜかというと、その問題が次のジェネレーションの作家たちに引き継がれているからだと思うんですね。ウォーホルが鋼板の上に小便をして、酸化させてそれを作品にしたりとか、ロバート・モリスがフェルトを使って壁から重力によって垂れ下がるような作品を作ったりとか、ウォーホルがダンスステップをそのまま写した作品を作ったりとか、ああいう作業というのはポロックの創造的誤読というか、そういうかたちで出てきた作品じゃないかと、クラウスはそういう読みをするんです。
その結果、高度資本主義社会の中ですべてのものが記号化され、商品として流通するような状況の中で、タッチそのものも記号としてしか存在し得ないような、グリーンバーグ的なパラダイムの最終局面がくるわけです。それが60年代後半の歴史的な状況だと思うんです。それを受けてリキテンシュタインがメタ批評的なものを作ったりしていく。

さらにポップ・アート全体の中で輪郭線の問題がもう一回戻ってくる。輪郭線だけじゃなくて、ポップ・アートの中には触知的なもの、グラフィックなものが多いですよね。ウェッセルマンなんかもそうですけど、レリーフ状に人体が浮き出てきたりする。ああいうものはタッチからくるイリュージョンとは違って、ダイレクトに触知できる。見ているんだけど触知できるような、リーグルの用語で言うとハプティックなものが戻ってくるわけです。それは記号というものがある輪郭を持った単位として反復可能なものであって、しかも交換可能なものだという、そういった無意識の認識が共有されているという感じがしますね。

文化現象として見るとそうなんだけど、僕は評論とか批評を書きながらいつも困るのは、同じようなことをやっていてもウェッセルマンの作品はとてもいいとは思えないんですよ。だけどウォーホルの作品はゾッとするようなところがある。そのことを言わないと批評はだめだなと思うんですよね。文化現象としてポップを論じているのならそれでいいんだけど、そこから先が難しいという感じがいつもしています。
東さん、スーパーフラットの村上さんの作品に対する関心というのはどういう関心ですか。ある種の文化現象的なというか……。

[東]…僕は村上さんの作品はいいと思いますよ、平面としてね。スーパーフラットの話ばかりしてもしょうがないんですが、浅田彰氏がスーパーフラットには「アイロニー」がないと言っている。これは村上隆氏の90年代前半の作品を見ていれば当然出てくる批判で、浅田さんの批判は適切だと思うんです。それを擁護するロジックが僕としても手元にあまりないので、なんとも言いがたいのですが、村上隆氏の作品を社会現象として読んでいる限りは、90年代前半のほうが村上氏は、日本のシミュレーショニズム以降の状況に対する悪意あるアイロニーとして作品を作っていた。それに対して今はそれを無条件に肯定しているように見える。しかもそれが90年代後半のJ回帰的なイデオロギーに則っている以上、これは肯定できないだろうという理屈は極めてよくわかるんですが、村上氏の仕事はもはやそういう圏域を逸脱していて、新しい平面性みたいなもののアートへの落とし込みというところだったとしたら、どうなんだろうということなんですね。

僕としてはむしろそっちのほうの可能性で見ているわけですよ。社会現象として見る限り、今のスーパーフラットというのはあまり面白いものではない。社会に対するアイロニカルな関係として村上氏の作品を見るんだったら90年代前半のほうが面白いと思いますよ。ただ、そういうことをやっているのではないんじゃないかと僕は思っているわけです。

それと絡んで、線と色彩の二分法的な近代の平面概念というものがあったとして、その区別が維持できないでごちゃごちゃになったあと、どういうものがきているのかについてはちゃんと言えないと先ほど言ったんですが、一つ思っていることがあります。唐突に聞こえるかもしれませんが、3Dステレオグラムというのがあって、あれは70年代に開発されたんですよ。

90年代、日本では単に子どもの遊びとして流通しましたが、認知科学に関する革命的な転換と結びついています。どういうことかと言うと、ランダム・ドットステレオグラム--RDSというんですが--RDSが開発される前は、人間の目というのはまず右側で輪郭線を見て、左側で輪郭線を見て、その輪郭線と輪郭線を頭の中で処理することで奥行きを探すんだということだったんですよ。
それに対して、右目だけで見ても左目だけで見ても輪郭線は一切ない。にもかかわらず点と点の照合だけで立体視ができるということがRDSで証明されたんですね。輪郭線なしの立体視というのがあるんだということなわけですよ。これは大脳生理学的な機構の解明であると同時に、視覚というものに対するパラダイム・チェンジのメルクマールではないかと僕は思っているわけです。われわれが世界を認識する時に輪郭と色彩というふうに見ているのではなくて、まずドットがあって、無数のドットのさまざまな組み合わせによって形が生まれてくるという考え方です。

70年代を考えると、コンピュータのインターフェイスという考え方が出てくるのが同じ時期です。これは認知科学と密接に結びついてる開発なんですが。先ほどフラット・ベッドと言った時にコンピュータのデスクトップの話が出たと思うんですが、そのアナロジーも僕はそれほど唐突ではないと思っていて、比較的厳密こ推し進めることができるのではないか。線と色彩が対立していた近代の平面概念が70年代に大きな変容を迫られたとして、その次に平面概念があるとしたら、それはドットと形の対立みたいなもので作られているのかなと思っているんですね。それでランダム・ドット・ステレオグラムとかはなかなかいいのではないかと。

[林]…ドットと形、ドットと奥行きという問題は逆説的にというか、遡って印象派は線を消して筆触でやろうとしたことをサポートするようなことになりますけど、そういうことですか。

[東]…そうだと思います。突然70年代に線が引かれているわけではないと思うので、もっと遡っていけば写真技術が登場した時にすでにその兆しは現われているんだと思います。

[松浦]…一番最初の写真として残されているニエプスの撮った写真が2枚あります。1枚は自分の家の2階の窓から見下ろした風景で、もう1枚は食卓の光景です。いずれも粒子が非常に粗くて、手で描いたドットでも似たような効果が作れるのではないかと思えるような状態です。その意味では、この局面で19世紀の画家を比較の対象として取り上げるとなると、おそらくスーラの名前が想起されるでしょう。実際、スーラの点描はドットのシステムに依拠しています。スーラの場合、油彩画の場合もそうですが、より明瞭にドットのシステムを示してくれるのはやはり、デッサンだと思います。なぜかというと、ドットによる立体視を考えた時に最大の問題は、先ほど言った二者択一的な視線の問題とも関わるのですが、ドットが見えている時は立体が見えないというか。

[東]…そうではないんじゃないですか。僕は専門家ではないので、それについてクリアな発言がここでできないのでもどかしいのですが、ゲシュタルト心理学が出していたいくつかの例があって、アヒルに見えるんだけどウサギにも見える絵というのが一つありますよね。もう一つ、壷が横顔になるというのもありますね。最新の認知科学的な知見によると、あの二つは位置が全然違うらしいんですよ。どういうことかというと、人間の目というのは奥行きを処理する部分は形を処埋する部分よりも処理段階が前にあるわけです。まず奥行きが見えて、あとで形が見えるという発想らしいんですね。

おばあさんと少女とか、アヒルとウサギというのは形を処理する部分に関わっているので、かなり高度なレヴェルでの入れ替えなんですよ。それに対して壷か横顔かというのは、どっちが前かどっちが後ろかという問題なので、もっと根底的なレヴェルでの錯視なんですね。その二つはレヴェルが違うということらしいんです。

[松浦]…ただスーラの油彩画の場合でいうと、確かに個別のドットに注目している時は、視線に対して画像は結集しにくいと言えると思います。もちろん、それは程度問題にすぎないのかもしれないけれど。

[東]…ドットに注目している時というのは、ランダム・ドット・ステレオグラムでいえば片目を閉じている状態ですよね。両目で見てしまったら、否応なく入ってきてしまう。それは意識の集中とは関係ないというところがランダム・ドットステレオグラムの……。

[松浦]…ただ、それは画像との距離というか、奥行きがあらかじめ設定されているからじゃないの。

[東]…50年代、60年代ぐらいまでの現象学的な視覚論だと、見る主体があって、それがどこに集中しているかという話なんですよ。それに対して認知科学のパラダイム・チェンジは、見る主体以前に計算過程があるというんですね。この計算過程が否応なく決定している部分がある。そこの部分が自明性を作っているわけで、そこの部分がかなりのことを決定している。われわれが気の持ちようによって、これはウサギに見えるとか言ってやっても、そうは見えない。

ランダム・ドット・ステレオグラムだと右と左を入れ替えることによって簡単に奥行きが変わるので、ブラインドの向こう側に人の顔があるというステレオグラムを作ったとしますと、ブラインドの向こう側に人がいる状態の写真というのは簡単に顔がわかるわけです。ところがひっくり返すと、ブラインド上に人の顔が断片的に浮かび上がる状態になるんですね。そうすると顔を認知できない。奥行きがあるという入力がすごく初期の段階で処理されていて、それが輪郭を生み出すんたということらしいんですね。輪郭が先にあって立体視が可能になっているのではなくて。

[林]…メルロ=ポンティのセザンヌ論はかなり正鵠を得ているということかな。メルロ=ポンティのセザンヌ諭は奥行きということが一つのポイントになっている。

[東]…そうですね。目というのは奥行き、距離を保ってということですよね。

[松浦]…今、壷/横顔の反転画像の話題が出たのですが、壷/横顔の画像はリキテンシュタインと同時代を共有したあるアメリカの画家にとって非常に重要なモティーフの一つでした。それはジャスパー・ジョーンズです。ジャスパー・ジョーンズの絵画作品には壷/横顔の画像が近代絵画が抱え込んだ視線の二者択一性という難題のイラストレーションのように頻繁に現われます。

もう一つ、壷/横顔の画像の話題と関わり得るものとして、スーザン・ソンターグの「反解釈」というテクストを挙げることができると思います。このテクストの一番最後のところで著者は、作品の表層の透明性という概念を提示しています。作品はいかにして解釈の欲望から逃れ得るかという文脈で、1960年代の美術作品が提示した二つの可能な方策が検討されています。一つは抽象絵画で、もう一つはポップ・アートです。より正確に書き直せば、ミニマル・アートとポップ・アートと言ったほうがよいかもしれません。ソンターグによれば、前者はイメージからの完全な逃走を目指すのに対して、後者の場合はイメージがあまりにも直接的であるがゆえに解釈の欲望を機能不全状態に導くことになるとされています。ただ、いずれの方策も作品の外見的な様相は対極的でありながら、解釈の欲望からの逃走という文脈では同等性を帯びているのですが、ソンターグが提起する課題は、解釈からの素朴な逃走ではなく、むしろ、作品の表面をいかに速い速度で組織するかという課題でした。

この高速度で組織された表面のイメージとして、今の認知科学の話は予想していなかったのですが、ともあれ、先ほどの壷/横顔の画像を取りあげてみることもできるような気がします。というのも、ソンターグが言うような新しい速度によって組織された平面とは、壷と横顔をほとんど同時に見る可能性というか、壷を見て、それから横顔を見て、壷を見てという間欠的で二者択一的な像の転換を可能な限り速度を上げることにによって、この二者択一性を凌駕するというか、非連続的な接合状態を作り出す可能性の提示だったのではないかなという気がしたからです。

[高島]…今、東さんがおっしゃったことは、この間の美学的なパラダイムが崩れる話ですよね。まず奥行きが入力されて、そのあとに形が見えるのであって、最初に輪郭が見えるわけではないということで言うと、輪郭、線描化、色彩、イリュージョン化というところの過去の美学的な問題と抵触すると思うんですが。

松浦さんにお聞きしたいのですが、「絵画の中に一つのイリュージョンを出す時に、一本の線がどこかに引かれた時から出発する」というようなことを、ムサビの機関誌『武蔵野美術』でセザンヌについて書いた時に記されていますね。セザンヌが最初に線を引いた時の感覚と筆触という感覚とは同一なものなのか、それとも違うのか、その辺をお聞きしたいんですけど。

[松浦]…あまりよく憶えていないのですが、ちょっと違うことを書いたのではないかと思います。確かグリーンバーグについて書いた時だったのではないかという気がするのですが、タブロー上にたった一つの表記がもたらされてもそこにはイリュージョンが発生する、というグリーンバーグのテクストの一節についてだったはずです。この議論の論理的帰結として、絵画からイリュージョンを全面的に追放するという路線を仮に設定すると、それは絵画を描く行為と本来的に対立してしまうことになってしまう。あるいは、絵を描く行為が絵画面に介入する作業であるとすれば、必然的にそれはイリュージョンを発生させてしまう。したがって、イリュージョンをまったく欠いた絵画面が理想的な状態であり、絵画の辿り着くべき地点だとすると、そもそも絵画をどういうふうに描き始めていいかさえもわからなくなってしまうという困難に直面せざるを得なくなります。より正確に言えば、絵画制作が必然的にイリュージョンの発生以外の何ものでもないにもかかわらず、この描く行為それ自体によって、イリュージョンを消去するというほとんど不可能な作業それ自体こそが、絵画の課題ということになります。もちろん、グリーンバーグは、どうしても消去し得ないイリュージョンとして「絵画的イリュージョン」という場を留保していますけれども。

ともあれ、素朴な解決策は二つあって、一つは何も描いてない画面の提示です。もう一つは、何も描いてない画面と構造的にまったく同等になるのですが、モノクロームの絵画です。そんなことを書いたのではないでしょうか。

[林]…モノクロームといっても、たとえばイヴ・クラインのモノクロームって奥行きがないですか。フランク・ステラのモノクロームとイヴ・クラインのモノクロームを並べるとまったく違うものだと感じますよね。

[松浦]…林さんのおっしゃるとおりで、ここでは理念的な意味でのモノクローム絵画と言ったほうがよかったかもしれませんね。すみません。ただ、この問題を考えると、色彩/デッサンという対立はタッチ/線描の対立でもあったのですが、近代絵画史に大きく作用したもう一つの対立があります。それは、画面の単一性/筆触の多数性という対立です。これはとても大きな問題で、モノクロームの絵画とは単一の平面上に単一の筆触を置くというか、筆触と絵画面とを重ね合わせることによって、この対立を消去しようとしたのではないかという気がします。あくまでも理念的な意味でのモノクローム絵画ということですけれども。いずれにせよ、絵を描く行為、絵画面に介入する行為は否応なくイリュージョンを作り出す。言い換えれば、画面に対する分割作用として機能するがゆえに、画面の単一性と筆触の複数性とが対立する事態が生じ、セザンヌが言うような意味での表面の組織化が不可避的な難題の様相を呈さざるを得なくなります。

[高島]…先はどスーラの点描というところでドットと形の対立ということが出てきましたが、以前にスーラの木炭デッサンをたくさん見たことがあるけど、木炭の粒子が一つの単位になっているように見えるんですね。

[松浦]…そうですね。先ほど言おうと思ったことは、スーラの油彩作品の場合、筆触と画像との対立という点で、筆触をいかに筆触として見えないものにするかという作業が必要不可欠でした。どれほど細い筆で描いても筆触を無化することはできないわけで、物理的な限界があります。それゆえ、筆触を無化し得ないとしても、限りなく極小化するためには、画面の巨大化によって筆触の大きさを相対的に小さくするという作業がとられたと思います。そのためにスーラの数少ない完成作と見なされている作品は多くの場合、巨大な画面になっています。ところが、デッサンの場合はテクノロジーの問題なのですが、紙の均質な目にクレヨンないしコンテを乗せていくことによって均質な粒子の配分を獲得することに成功できたと思います。この意味で、絵画面の組織化という点で、スーラのデッサンは極めて興味深い例を与えてくれます。そして、リキテンシュタインが自らの反復の対象としては、スーラを回避している点は、単なる偶然かどうか問い直してもよいと思います。

[高島]…東さん、先ほど楽屋で村上さんに関することで日本画の線の話をされてましたよね。村上さんが日本画を学んだことと、スーパーフラットに至る筋道みたいなものを重ねていらっしゃるのかな。

[東]…村上さんが参照している辻惟雄さんの『奇想の系譜』という本を読むと、村上さんのネタはすべてここにあったということがすごくわかって、辻さんの書いてる文章そのままに作ってる絵などもいくつかあることがわかるんですね。それは事実としてそうだと思うんですが、僕はスーパーフラットの話を日本性に落としたくないんですよ。モダニズムが定着しなかった日本でもっともポストモダンが盛んであったというタイプの簡単な話と変わらなくなってしまうので、そこにあまりコミットしたくないというのと、僕は全然別のレヴェルでポップ・アートとか、あまり平面として語られないアートが好きだという問題があるわけです。

それはアニメーションなどに対する僕の関心とも関わってくるのですが、アニメーションにおいてもキャラクターの造形というものは、お互いすごく多種多様な相互引用によって成立していて、それについて語ろうとするとキャラクターの平面についてではなくて接点について語ることになるわけです。

それが相互引用で組み合わさっているので、その引用のレヴェルについて語ることになってしまう。引用のレヴェル自体が畳み込まれたようなデザインについてのしゃべり方をしないと、アニメーション系のデザインについては語ることができないという問題があって、そういう問題との接触でスーパーフラットについても考えているので、日本性についてはあまり考えてないんですよ。

[高島]…J回帰と言われたくない。

[東]…J回帰なのかもしれませんがね。J回帰の人たちもいるとは思いますよ。80年代のポストモダニズムが本当にJ回帰してなかったのかというと、「ここ300年ぐらいで日本主義が一番トレンディなのは今だよね」とか、坂本龍一と村上龍がEVカフェでしゃべってたりするんですよ。そういうことはいつの時代でもあるだろうという程度にしか僕は思っていないので、そこから何が出てくるかということぐらいなんです。この話はあまり発展性がない。

[高島]…今、一つの概念としてポストモダニズムという言い方をされたわけだけど、オリジナルはもうないのだとか、起源を批判する意識によってポストモダニズムの議論が推し進められた側面が強いですよね。その辺はいかがでしょうか。多少、一般論になりますけど。スーパーフラットというのがいろんな意味で使われているのはわかりますけど、起源がなくなって、コピーがコピーをしていくうちにオリジナルの深みがなくなっていくんだというと、ボードリヤールの意見と変わらないのですが……。

[東]…僕は、「スーパーフラット」という言葉は僕の言葉ではないと思っていて、カギカッコつきでしゃべっていますが、村上さんは「スーパーフラット」というのはオリジナルなコンセプトだと思っているわけです。そう思えるというあたりに、すでにその対立ではない何かが進入しているということがわかりますけどね。そこの部分を浅田さんとかは、あまりにナイーヴではないかとおっしゃっているんだと思うんですよ。

椹木野衣氏が『シミュレーショニズム』でハウスミュージックについて書いてますよね。椹木さんも微妙な書き方をしていますが、つまりハウスミュージックというのは相互引用の戯れ、反復、カットアップ、リミックス、そういう特徴でできているわけです。しかし、そこに行ってるクラバーたちは、ここで何が引用されたということで聞いているのではなくて、それそのものが所与の条件である音楽として聞くわけです。

あそこではアート・オブ・ノイズとKLFの対立で言っていたのではないかと思うんですが、いずれにせよハウスミュージックの初期の段階では、どこからサンプルされていたかということがわかるし、そこにある種の技がきく、サンプルされたものにノイズを侵入させるようなかたちでハウスミュージックというのは展開していた。しかし90年代になってからはそうでなくなってきた。89年あたりかな。あの本が出たのが91年なんで、これはすごく早い指摘なんですけど、そうではなくなってきた。もはやノイズなどないような、すごく均一なハウスミュージックが出てきていて、これは一見、面白くなくなってきたかのように見えるが、ハウスミュージックそのものが、それが所与の条件になってしまったことの表れだと考えられるということを指摘されていて、これは僕は正しいと思うわけです。

引用とかリミックス、サンプリングという状態が飽和していった場合、それがコピーであるかどうかもほとんどわからない状態になる。もともとオリジナルとコピーという対立は自然と人工という対立なわけですよね。風景がオリジナルで、その風景のコピーとして風景画を描く。そもそもランドスケープという言葉は風景画なので、風景という概念自体がシミュラークルであった。そういうふうにロジックを展開していくのがポストモダンの一つの作法ですよね。

けれどもハウスミュージックのある種の隆盛というか、ハウスミュージックに限らず。村上さんだったらオタク文化ということになるんですが、その隆盛が示しているものは、そういう形で出てきた人工物そのものがアーカイブ化されて一つの所与の条件になってしまっている場合、それ自体を自然として作ってしまうわけだから、関係性が変わるだろうということだと思うわけです。それを椹木さんがハウスミュージックというかたちで指摘されていて、村上さんはスーパーフラットという言葉で呼ばれているのだろうと僕は理解していますけどね。

[高島]…東さんのお考えの一つの視点をお聞きしたわけですが、モダンとポストモダンの対立項について林さんはどんなことを考えておられますか。セザンヌを研究されたりした方として、ポストモダン的議論にはあくまでも抵抗していきたいんだとか。

[林]…そんなつもりはまったくないですね。そういうふうに問題を設定しないというところがあるかな。長くアメリカにいたので、考えることはあるんですけど、グリーンバーグとの関連で言うと、グリーンバークの理論がモダニズムの軸だと言われてきて、モダニズムというとアメリカではグリーンバークという感じの理解が共有されているわけです。グリーンバーグのモダニズム理論の中でキーになる概念は自己批判--セルフ・クリティシズムです。

僕はグリーンバーグの中に2人のグリーンバーグがいると思っていて、ずれつつ重なっているというか、1人は「前衛とキッチュ」のグリーンバーグ、もう1人は「より新しいラオコーンに向けて」という42年の論文以降のグリーンバーグで、60年代になって絵画の内在的条件の自己批判に根ざしたモダニズムが完成されるわけです。

「前衛とキッチュ」でも「より新しいラオコーンに向けて」でも自己批判ということを言うわけだけど、最初の「前衛とキッチュ」では揺れ動いているところがあるんですね。自己批判が絵画というカテゴリーを存立させている条件に関する内在的な批判であるという部分と、そうではなくて、キッチュと前衛という対立項の中で資本主義が広まっていく中で、前衛が自己の存立条件として歴史の状況を見直すという、つまり前衛とキッチュはイタチごっこしているようなイメージで語られているわけです。昨日の前衛は今日のキッチュというかたちで、前衛がキッチュに吸収されていくという歴史認識がある。内在的な自己批判の部分と、そういう前衛が成立するための外在的な歴史的条件を問題にする自己批判の間を揺れ動きながら語っているところがあるんですね。

60年代になるとその外在的な歴史状況認識がまったく抜け落ちてしまって、超越論的なというか、絵画というカテゴリーが先験的に存在するものだとして、その内在的な条件を問うという格好になっていく。それに多くの画家が従うわけです。そういう内在的な批判が可能になる条件として、さっきの画廊の話に戻るんですが、画廊というスペースが自立したものとして社会の中に存在して、画廊の壁によって守られているという状況があったからだという感じもするんです。それだけではないですけど。

面白いのは、60年代にそういうグリーンバーグの理論に影響を受けて作品を作っていたオリツキーとかノーランドとか、そういう作家は僕から見るとまったく前衛的ではないんですね。グリーンバーグの理論が60年代に完成されて、それとともに制作活動をしている画家たちの絵はもはや「モダン」ではないという状況が60年代にあった。というのは現在から見直して僕らはそう語っているわけですからアンフェアかもしれないけど、60年代にミニマリズムとかコンセプチュアル・アートとかいろんなものが出てきて乱立しているような状況ですけど、その時に何が起こっているかというと、画廊というスペースは、高島さんがおっしゃった芸術を日常に引きつけるという考え方に引きつけて言うと、まさにファッションのスペースになっている。画廊というスペースが商品化のセットアップの中に先端的なアイテムとして完全に組み込まれている。実際にファッション雑誌の撮影が行なわれたりとか、そんなことが40年代半ばぐらいから起こってきますが、60年代になると作品そのものがトレンド化していくし、画廊を巡る人びと、環境そのものが完全に文化産業の中に組み込まれていく。

そういう状況において、画廊というスペースの中でぬくぬくとモダニストペインティングの内在的な批判をやっていたのでは立ち行かないなという感じが共有されてたと思うんですね。そういう中でミニマリストとかコンセプチュアル・アーティストたちがグリーンバーグのパラダイムを引き継ぎながら、さらに新しい理論を必要としていたと思うし、彼ら自身、ジャッドにしてもモリスにしても、新しい美術を巡る理論を書き始めるわけです。60年代半ばの状況の面白いところは、作家自身が批評文を書いたり、批評家出身の作家が出てきたりすることです。

それはグリーンバーグから次のパラダイムへの転換なんだけど、さっき2人のグリーンバーグかいると言ったことに関連して、外在的な歴史状況に対するまなざしというのがミニマリストとかコンセプチュアル・アーティストたちにむしろ引き継がれていく。60年代半ばの状況を見ていると、グリーンバーグはグリーンバーグによって復讐されているような感じがします。何が言いたいかというと、モダニズムの中にある自己批判という考え方をあっさり片づけられちゃうところがあるんだけど、ポストモダニズムになったって自己批判的なまなざし、とくに歴史意識を伴ったまなざしというのは連綿とアメリカの文脈の中では受け継がれている。その中で理論と実践との対立というか、理論の挑発に対して実践はどう応えていくのか、あるいは埋諭のイラストレーションとして実践があるだけなのかということが何度も繰り返されるわけです。

80年代のシミュレーショニズムはいい例ですけど、ボードリヤールなんかが読まれて、それに対してピーター・ハリーとかああいう作家たちがボードリヤールを援用しながら自分の作画活動を続けていくわけです。本当につまらないものだと思いますけど。それに対して、それを超え出ていくような実践がそれに応えて起こっていくというような、わりと日本から見ると幸福な弁証法的な運動が、アメリカの現代美術の戦後の状況をずっと貫いているような感じがします。

[高島]…アメリカのモダン・アートの流れと理論生産は、僕が最初に言ったような資本主義の出発とアメリカに関してはほぼ同時なんですよね、時間的な流れとしては。前衛とキッチュがイタチごっこしているというのは、アメリカ型資本主義経済のサイクルとかなり相同的ですよね。

[林]…今またアメリカは景気がいい。日本のバブルのような状況になっていて、ニューヨークに行くと、あちこちで建築工事をやってるし、道行く人はいいものを着てるし、目に見えるんですね。それがすぐ現代美術の世界に反映されて、ここ1、2年、物が売れてたり、あちこちでホテルなんかを借りて作家やディーラーたちがパーティをやってたりという状況になっているわけです。その辺の結びつきは本当に直接的だと思います。

[高島]…同じような問いで、モダンとポストモダンという対立的な考え方というのはシラケていながらも笑い飛ばすことができないようなかたちであるとすると、松浦さんはどんなふうに考えますか。

[松浦]…あまり大それた話はできないので、今、林さんがおっしゃったことに連なるような仕方で述べると、「前衛とキッチュ」のグリーンバーグと、もう1人のグリーンバーグがいるという指摘は、まさにそのとおりだと思います。「前衛/キッチュ」というグリーンバーグのテクストに書き込まれた対立は、「より新しいラオコーンに向けて」以降の、もう一つ別のグリーンバーグの中でも維持されたのだろうとは思いますが、この対立を示す用語が明らかに変わったと思います。そして、言うまでもなく、この用語の変更は、グリーンバーグの思考の体系の変異を露呈させています。この用語の変更とは、つまり前衛の代わりに芸術という語が使われ、キッチュの代わりに趣味という語が使われたということです。前衛/キッチュという対立から芸術/趣味という対立への変換に、いわば2人のグリーンバーグの分裂が露呈していると思います。

1951年の「シンポジウムへの寄与」というテクストで、グリーンバーグが芸術と趣味という問題に関して書いていますが、大芸術が現われて、グリーンバーグは30年後ぐらいにそれがスタンダードな趣味として形成され、また一般的に流通するようになる。そうすると、この趣味が凡庸化してしまい、この一般化した趣味の地平が、また新たな芸術的価値を持った作品によって超出され、それがまた30年後に新たな趣味として流通することになる。30年というサイクルをとりあえず設定していましたが、今まさに林さんがおっしゃったように芸術と趣味の弁証法らしきものが構想されています。そういう意味で、林さんが言及されたオリツキーの作品などはよき趣味を体現する作品なのかもしれませんが、芸術の指標を付与されるような作品ではないのかもしれません。

[林]…それは僕の個人的意見ですが。

[松浦]…よくわかっています。ただ、今指摘されたような弁証法的な思考の構図はアメリカに限らず、モダニズムという思考の体系を作動させる枠組みであると同時に、今でもモダニズム/ポストモダンという対立項を使って話をしようとすると、どうしても現われてこざるを得ない思考の枠組みであると思います。リオタールの言い方を借りれば、ポストモダンでなければモダンであり得ない、ということでしょうか。モダンであるということが、現在の趣味の状況から超え出ることであると規定されるのだとすると、ポストモダンでなければモダンではあり得ないという奇妙な命題が説得力を持つことになります。ポストモダンという語は、日本でも1980年代頃から美術の世界でも広く流通した語ですが、僕は個人的にはこのようなかたちで流通した、モダニズム/ポストモダニズムという対立は、そもそも対立なのかどうかも怪しいと思います。むしろ、偽の対立なのではないかと思えてならないし、むしろ、このモダニズム/ポストモダニズムという語を借りてはあまり思考したくないという気持ちがあるのですが。もっと違った語ないし、もっと違った対立を巡って思考を組織すべきではないかと考えています。

[高島]…東さんは何か付け加えておきたいことはありますか。

[東]…あります(笑)。簡潔に言いますが、モダンという言葉をどういう意味で使うのか。ポストモダニストでなければモダニストであり得ない、もしくはモダニズムであるということはつねにモダニズムを超えていくことなので、それはイコール、ポストモダニズムであるというタイプの言葉というのはあるわけです。これは単なる用語の混乱だとしか僕は思わないので、ポストモダンなどという言葉は使わないほうがいい。近代というのは自己批判の精神であるというのも極めていい加減な規定だと思うんです。これだとソクラテスとかもモダニストになってしまう。そういうふうに読むこともできるわけです。この手の思考をすると、あらゆる歴史的考察がすっ飛んでしまう。歴史的考察のレヴェルに足をとどめる場合は、自己批判の精神が近代的にはどのようなかたちをとったのかというふうに考えなければいけない。その場合の近代というのも、いつからいつまでなのか。デカルトは近代なのか。ルネサンス以降が近代なのか。僕の考えでは、ミシェル・フーコーに規範をとって、19世紀と20世紀半ばぐらいまでの150年ないし200年間を近代と呼ぶ。つまりカント以降ですね。

近代の自己批判はどのようなかたちで出たのか。それは深さの探求です。より深いところに潜るというかたちでの自己批判なわけです。これは確かにカントから出てきた。ミシェル・フーコーの考えではそれは深さの発見なわけですが、近代型の自己批判というのがあって、これはある歴史的な誕生の時点を持っている。と同時に、それはある時点で歴史的役割を終える自己批判の仕方だと思うわけです。そういうふうに単純な時代区分として近代という言葉を使った場合、ミシェル・フーコーがカント以降と言った、そのカント以降と同じ地平にわれわれは立っているのかどうかということを疑ってもいいと思うんですね。これが最初はポストモダンという言葉の意味だったと思うんですよ。

つまり1960年代から70年代にかけてパリでフランス現代思想と言われるものが出てきて、それがアメリカに移り、高度消費社会の分析と結びつき、それと同時に、その頃は左翼運動の挫折とカウンター・カルチャーの勃興その他もろもろ、さまざまに複雑な条件があった時に、われわれは本当にカント以降の地平に立っているのだろうかという極めて素朴な問いがポストモダンという言葉の爆発的流行と結びついたと思うんですね。ただ、それが誕生と同時に極めて厄介に抽象化されてしまったと僕は感じているわけです。ポストモダニストであることはモダニストであるとか、その逆のバージョンもあるわけですが、そういうことのせいで問題がねじれてしまった。

ポストモダンと言われるボードリヤールの「シミュラークル」にしても、リオタールの「大きな物語の崩壊」にしても、もっと前のドゥルーズの「差異」とかデリダの「グラマトロジー」というところまで戻ってもいいんですが、そこで提起されていた問題はもっと素朴な問題だったと思うわけです。その限りでのみ僕は「ポストモダン」という言葉は使うべきだと思っているんですね。そうでないと、19世紀の頭に起きた問題も19世紀末に起きた問題も20世紀の頭に起きた問題も今の問題も全部同じに見てしまう。

たとえば1990年代におけるコンピュータ・カルチャーを考えている時にベンヤミンを参照してしまうようなことが起きるわけです。ベンヤミンは1936年の段階で非常に重要なことを書いているけど、あれをそのまま使うということは極めて歴史的感覚を欠いた乱暴な行為だと思うんですよ。思想とか人文科学といわれるところでは過去のテクストにすべてがあるというタイプの乱暴な読みが流通する。そのほうがかっこいいですしね、「ベンヤミンはこう言っている」と言えるので。そういうことを阻むためにも、われわれは60年代か70年代以降、ちょっと違った空間にいるんだ、ベンヤミンも複製技術について考えたが、われわれが複製技術について考える時は違った視点が必要なんだと言うためにもポストモダンという言葉を使うべきだというのが僕の考えです。

[高島]…うまく整理していただいてありがとうございます。ベンヤミンの36年の「複製技術時代の芸術作品」の冒頭にヴァレリーの言葉が引用されていて、本論と繋げて読むと、その共通するテクノロジーに対する構えは、90年代には使えないだろうなということを私もずっと思っていたものですから、今はっきりと指摘されて、また考えるところが出てきました。それでは質疑応答の時間にしたいと思います。ご質問のある方は遠慮なくお出しいただきたいと思います。

[会場1]…一般的な印象ですけど、「20世紀美術と現在」というタイトルのわりには19世紀のお話が多かったなという気がします。セザンヌにしろスーラにしろ。それとスーパーフラットを巡る現在的な問題が併置されているような感じで、僕にとっては歴史的なパースぺクテイヴがあまり感じられなかったんです。最後の東さんのお話も含めて。

理論的な枠組みとしても、ヴェルフリン的な二項対立が提示されて、その枠内で動いていたという印象がありました。二項対立的な枠組みについていうと、リーグルが触視覚的というわけです。松浦さんがどこかで書いていらっしゃると思いますが、触視覚性というものは芸術作品の像に関わる。現実と表象との一致を目指したのがデュシャンで、この名前もなぜかほとんど聞かれなかった。

現実と表象との一致という話も、これまたここでほとんど論じられませんでしたが、20年代、30年代の政治的なアヴァンギャルドとの交錯といった現象と深く関わっていると思うんですね。ボリス・グロイスが『ゲザムトクンストヴェルク・スターリン』(邦訳『全体芸術様式スターリン』)で書いたような政治性の問題です。現実と表象との一致の問題。

とくにというと松浦さんに質問したいのですが、美術のポリティークあるいは絵画のポリティークにおいて現在というのはどのように規定されるのか。デュシャンが現実と表象との一致というかたちで出してきた問題は明らかにポリティークに関わる問題だと思うんですが、そのような視点から現在というものをどのように定義できるのか。われわれはセザンヌを抜け出せないのか。それでもいいんですが。

東さんが「ポストモダン」という言葉を使うべきだとおっしゃったけど、それを言うなら、ベンヤミンの時代に「モダン」ではない言葉を使ったっていいわけですし、先ほどの話はあまりにも一般論的すぎると思います。どんな言葉を使っても構いませんが、現在というものを絵画的なポリティークあるいは美術的なポリティークという視点から松浦さんに定義していただきたいと思います。

[松浦]…現在というのは今の時代という意味でしょうか。それとも現在という概念ということでしょうか。

[会場1]…定義にお任せします。セザンヌから現在であるということでもいいです。

[松浦]…うまくお答えできるかどうかわかりませんが、ごく端的に言って、僕にとっては印象主義やセザンヌの提起した問題は、現在に至るまで地続きに繋がっているように感じられます。もちろん、ご質問にあったように、歴史的な枠組みの提示なしに19世紀的な話題に終始してしまったというご批判に対しては責任を感じていますが、今申し上げたように、僕は、たとえばセザンヌを現在の問題と考えています。また、今日言及できなかったマルセル・デュシャンは、近代絵画の諸対立ないし、諸矛盾の明晰な定式化の作業を行なった芸術家と考えています。いずれにせよ、ここでは現在という言葉そのものについて考えてみたいと思います。先ほど東さんがフーコー的視点に立てば、モダンな時代はカント以降の時代と整理されたのですが、美術史の文脈においてモダニティという概念をもっとも明瞭に定義したのはボードレールだと思います。そして、このボードレールのテクストの中で僕が興味を持っている点は何かというと、現在というものを把握しようとする時に画家は絶対的に現在に遅れるという指摘、言い換えれば、いかに現在をその十全性において捉えようとしても現在を記憶としてしか、あるいは痕跡としてしか経験できないという主題が書き込まれていた点です。

その意味で言うと、近代芸術というか、モダンなアートが<いま・ここ>という現在性の場の芸術、現代生活の芸術と規定されているにもかかわらず、この芸術を根底的に支えている現在というものがすでに失われているもの、あるいは痕跡化されたものであるということになります。この逆説的な場に近代芸術は、この逆説的なものを自らの存在論的な条件として打ち立て
られたのではないかと思います。

確かに、現実と表象との一致への欲望に関しては、20世紀の芸術の一つの欲望の形態として何度か記述しようと試みたことがあります。これまでこの問題に関して僕はもっぱら空間的なメタファーの次元で、現実の内のりと表象の内のりとがどう重なり合うのか、あるいは重なり合えない場所はどこに露呈するのかということを分析する作業をしてきました。ところが、他方で、今僕にとって気がかりな問題は、現実と表象との一致の問題に、痕跡としての現在と現在そのものというか、記憶と現在と言ってもいいですけど、ともあれ現在と痕跡との関係が、書き込まれているということです。

もう一つ付け加えておきますと、これはグリーンバーグ型の批評の体系でとくに露呈することですが、先ほど林さんが言及された「より新しいラオコーンに向けて」と題されたテクストの<ラオコーン>という語は否応なくレッシングの『ラオコーン』という著作を喚起しますし、このレッシングによる時間の芸術/空間の芸術という、いわばジャンルの分類の、より厳密な適用を企てるグリーンバーグのテクストの中には実際、時間、記憶、痕跡を巡る問いがほとんど現われてきません。印象主義にせよ、近代絵画の諸問題にせよ、時間の次元の編成をめぐるポリティックス、こう言ってよければ、痕跡のポリティックスが作動しています。ところが、この次元の問題がこれまでグリーンバーグの分析においては欠落していたと思います。僕としてはこの欠如、この忘却にとても興味があります。

最後に、今日このシンポジウムに出てきながら戸惑っている理由でもありますが、現在の美術といった時に、今日はスーパーフラットの話も出たのですが、そのような現代美術と呼ばれるものと、今自分にとって深刻に思える問題とがどのように接続しているのか、自分でもよくわからないというのが正直なところです。とりとめもなく、また、わけのわからない答えで申しわけありません。

[東]…僕の名前も出たのでお答えしますが、話が大ざっぱなのはシンポジウムという形式だということによるわけです。ベンヤミンが1936年に書いた『複製技術時代の芸術作品』が決定的にアウト・オブ・デートではないかと僕が思っている理由の一つは、端的に言うと、あれは映画がモデルだからなんですね。映画をモデルにして複製技術について語ることがわれわれの時代で有効かどうかというのは極めて疑わしい。これはベンヤミンを引用しなくてもそうなんですね。テレビモデルもやはり映画モデルに結びついている。

松浦寿輝さんの『平面論』という本があって、非常にいい本なのですが、一番最初に群衆のイメージとして、世界中みんなで一緒にサッカーのワールドカップの中継を見ている群衆というのが、20世紀後半の群衆の一つの姿だと松浦さんは書いておられるんですね。僕はこの点には強い違和感を覚えたんです。それは違うだろうと思ったんですね。それはマクルーハンのグローバル・ヴィレッジのイメージなんです。インターネット革命と言われているものは1970年代から始まっているので、70年代以降の情報技術が可能にした群衆というのは、僕の言葉で言えば極めてディスシンクロナイズドであって、あらゆる人があらゆる時間に何を見ていてもいい。

たとえばサッカー中継がインターネット放送されている場合、5分遅らせて隣の人が見ていてもいい。みんなが同時に同じプレーを見ているのではないわけです。にもかかわらず、その総体が一つのインターネットというものに緩やかに属しているような、そういうシステムなんですね。サッカーという世界的なイベントが一つあって、それが中継されることによって全感覚的に世界中が結びつくというか、村になっていくというイメージでは語れない。そういうかたちでのメディア論の一つの起源もまたベンヤミンにあるわけで、この点は修正されなければならないだろうと思うわけです。そういう細部の読みが行なわなければならない。

ベンヤミンの名前を出したのも偶然のことではなくて、ベンヤミンというある種天才的な若くして死んだドイツの評論家には、「翻訳者の使命」という論文がある。これも翻訳諭では頻繁に参照されますが、非常に謎めいたユダヤ神秘主義が入った論文でして、読もうと思えば非常によく読めるんですね。僕自身、ジャック・デリダの非常に見事な「バベルの塔」という翻訳者の使命論を読んだことがあって、それに感銘を受けた口なのでわかるのですが、ベンヤミンというのは読み込もうと思えばどこまでも読み込めるところがあって、素材として危険な著者だと僕は考えているんですね。とくにメディア論をやる時に、どこまで「ベンヤミンも指摘するように」と言っていいものかどうかは疑問に思う。そういう著者だと思っているということを言っておきます。

今日の僕の話は一般的にぼんやりした話のように聞こえたかもしれませんが、色彩と線の対立というのは、僕のほかの仕事を知っている人だったらわかるとおり、ラカンの言葉で言えばイマジネルとサンボリックです。なぜイマジネルとサンボリックの話が出てくるかと言えば、最初のほうでちょっと言いましたが、僕はタイプライターのことを考えていた。筆とペンの対立というよりも筆とタイプライターの対立ですね。「筆とタイプライターの対立というのは、フリードリヒ・キトラーも指摘しているように」というふうに、キトラーを使っていいかどうかも問題なのですが、それは横において、キトラーも指摘しているとおり、ラカンのイマジネルとサンボリックの対立というのは、映画、タイプライター、グラモフォンという19世紀末のメディア環境を反映したメタ・メディア論としてラカンの精神分析は作られている可能性がある。僕はこの指摘も正しいと思います。

それに対するジャック・デリダの批判が70年代に出てきたということをメディア論的に読み直すというふうにして考えてきた場合、色彩と線の対立というのはもはや単なる美術史の問題というよりも、僕にとってはこれもまだラカンとデリダの問題の一つのバリエーションが、ここに現われているのだろうと考えることができるわけです。

というわけで、僕はリキテンシュタインの70年代の試みも当然のようにジャック・デリダの70年代の試みと並行して読んでいまして、その点でも、もう少し厳密な話になり得ると思います。ということをお答えしておきます。

[高島]…よろしいですか。ほかにいらっしゃいますか。

[会場2]…どなたに答えていただいてもよいことなんですけど、先ほどから画廊の問題や、ブラックか誰かの問題で壁に掛けるという話が出たことから、私の経験などを含めてずっと考えてたことなんですけど、日本画の場合だと掛け軸であるとか屏風という形態があります。印象派になると、印象派は外で描くようになったことによって光が画面に導入されたという話もあります。なので、絵画の流れを推し進めるには、それが描かれるとか置かれる環境の設定がすごく重要な問題じゃないかと思うんです。

私が質問したいのは、作品が置かれる設定や環境というものが絵画の流れを推し進めることはないでしょうかというのが一つです。その設定と絵画の発展ということに対してあまり議論されているのを聞いたことがないし、そういう文献などを口にしないのですが、それはどうしてなんでしょうか。あまり重要な問題ではないからでしょうか。

[林]…設定というのは、購入されたあとに設定されるのか、それとも生産の場面での設定ということですか。

[会場2]…どちらかというと、完成されたものが置かれる設定です。

[林]…そういう角度から美術史的な観点で研究されてる方はかなりいると思います。古典ですけど、ゴンブリッチの『手段と日的』という本がありますし、マイヤー・シャピロにも重要な画面形式論(”On Some Problems in the Semiotics of the Visual Arts, Field and Vehicle in image-Sight”)がありますけど、そういう観点で譜かれた美術史的なものはけっこうあると思いますね。

[会場2]…私の勉強不足かなという感が強くなってきたので、教えていただきたいのですが、ホワイトキューブといって、画廊の白い壁というのが…。

[林]…ホワイト・キューブというのは、正確にいうと僕の言葉じゃなくて、ブライアン・オドーハティ(Brian O’Doherty)という批評家が、70年代後半から、画廊空間のイデオロギーを批判するために積極的に使い始めた言某で--もちろん、それまでも俗語的には使われていたと思いますが--、彼のエッセイ集が、”Inside the White Cube”というタイトルで出版されています。
画廊システムで言っておきたいのは、画廊や美術館の壁に今みたいに横並び一線で、しかも、すき間を持って絵画を掛けるようになったのは20世紀になってからのことで、それはすごく重要だと思います。それから画廊というスペースが制度として確立して、それが今日にまでずっとくるわけですが、画廊というスペースが60年代半ば頃から係争の場になるところがあるんですね。絵画の商品化ということに絡んで、それに抵抗するというか、単純化していうと、ミニマリストなんかは画廊空間そのものを作品と化すようなインスタレーション的な仕事を始めるわけです。

それは画廊というフイクショナルな中立の空間があるからできることであるけれども、逆に言うと、そこに入ってきている資本主義的な力に対する抵抗の仕草であったかもしれない。そういう両面性があると思いますけど、画廊という場自体が係争の場になっていくのが60年代半ばぐらいからで、それからさらに画廊から外に出ていくコンセプチュアル・アートにしてもアース・ワークスにしても、そういう仕事があるわけです。作品が置かれる場に対して先鋭的な自意識が出てくるのは60年代の後半ぐらいからと言っていいと思います。

[高島]…もうお1人ぐらい、もしいらっしゃったら。

[会場3]…初めの高島さんのほぼ敗北宣言的なイントロダクションから、このシンポジウムという場ではあまりはっきりしたことは聞けないだろうなと思ってました。これはいっちゃったかなという感じがしたのは、東さんが認知科学みたいなことを話した時に、ウサギとアヒルの問題で、認知の問題と思考の問題を混同しているんじゃないか。たとえば図を知覚するという問題と、それをなんと認識するかという問題は同一視してはいけない問題であって、その図は自分としては見えている状態で、それをウサギと判断するか、アヒルと判断するかという問題は別の問題じゃないかと僕は思うんです。もしかしたら僕がおバカさんなのかもしれないんですけど、どうなんでしょうか。

[東]…なぜそんなにけんか腰の言い方なのか僕には理解できないんですけど(笑)。80年代後半から認知科学ではコネクショニスト・モデルというのが有力になってまして、コネクショニスト・モデルでもいろんな立場の人がいるんですが、その中でも主流派的なチャーチランドという人が人間の天文学的な認識とかも認知だと言ってますね。そういう発想の人もいるわけですよ。思考と認知の区別をつけない人もいる。こういうことをいちいち僕は説明しないとしゃべっちゃいけないわけですか。

[会場3]…そうじゃなくて、途中で切れちゃったわけですね。はっきりいったら専門外の話を持ち出してきちゃったわけですよね。

[東]…誰が?

[会場3]…あなたが。

[東]…いや。そんなこといったら、ここに呼ばれてること自体、僕は専門外だし。

[会場3]…そうなんですか。

[東]…そういうけんか腰の質問で人の関心を引こうというのはすごく子どもっぽいから、やめたほうがいいと思います。

[会場3]…ありがとうございました。

[高島]…ぼちぼち時間がきておりますので。今日は線と色彩という問題設定で、会場からの声にもあったように、19世紀末ぐらいからずっと引っぱった話が一つのコアになっていったと思います。また、最初に提起しました「純粋芸術と複製芸術」ないしは「芸術と日常の関係の回復」についても、その認識と実践のステージは「絵画」の画面という、物理的な次元にあって、そこに美術のポリティークの発生現場があることの確認がなされました。しかしまた、その根底を支える<現在>が、近代芸術という枠組みといかに折り合っているのか、また折り合っていないのか。その再現と表象が可能なところと不可能なところとの境界線の論点を、お三方によって掘り出していただいたと私は思っております。

今日はたくさんの方々にお集まりいただきましてありがとうございました。

●パネリストプロフィール

●東浩紀(あずま・ひろき)

1971年東京生よれ。東京大学総合文化研究科・超越文化科学専攻博士課程修了(哲学・表象文化諭)。学術博士。専門はジャック・デリダ研究.ほか文学評諭も手掛ける。著書に『存在論的、郵便的』、「郵便的不安たち』、『不可視なものの世界』がある。

●林道郎(はやし・みちお)

1959年生まれ。コロンビア大学美術史学博士号取得。クーパー・ユニオン講師を経て、現在、武蔵大学助教授。専門は西洋近現代美術史および評論。

●松浦寿夫(まつうら・ひさお)

1954年東京生まれ。東京大学大学院人文科学研究科博士課程修了。現在、東京外同語大学助教授。近代芸術の歴史/理論専攻。また、画家としても活躍。

●高島直之(たかしま・なおゆき)

1931年仙台市生まれ。武蔵野美術短期大学デザイン科商業デザイン専攻卒業。美術評論家・1970年代半ばより出版編集に携わり、1980年代半ばより美術評論を始める。1994~1996年、ギャラリーαMキュレーター。最近の論文に「戦争のエポック/芸術のメルクマール」(『Inter Communication』32号、2000年)、「よみがえったル・コルビュジュ 国立西洋美術館の改装をめぐって」(月刊『東京人』1999年10月号)。著書に『中井正一とその時代』(青弓社、2000年)。

(※略歴は2000年当時)