企画にあたって

林卓行

最近の美術作品を見ていて、作家の時代感覚の鋭さとでもいうべきものを、強く感じる。ただそれは、裏を返せば、時流を読み、それにふさわしい戦略を立て、そこから作品が作られるということでもある(本来アーティストの「時代を先取りする能力」など、事後的にしかわかるものではない)。もちろん、(アートではなく)アーティストが「生き残る」ためにある程度の戦略が必要だという考えは、理解できる。それでもおそらく最初に立てた戦略から作品が一歩もでてこない、その種のものは結局失望しかもたらさない。

もちろんわたしたちは、それら戦略的な作品を見るたびに、いろいろなことを理解するだろう。たとえばこれまでの美術の見方を変えなければいけない、といったことを――とはいえ、なんのために?アーティストを生き残らせるために?いずれにせよいまこういうことを考えさせてくれる作品は、タイムリーに妥当な作品であることはたしかだ。

けれどそれらは、語の本来の意味で「享受(エンジョイ)」するに値するだろうか。わたしたちはそれを見て、そこに込められた主張がタイムリーだとか妥当だとかいうことを、ただ理解するだけではないのか。

いま埋もれがちな、理解は困難だけれど享受に値する作品。ゲスト・キュレーターのひとりとして、すこしでもそうした作品を、そしてまだキャリアが浅く、発表の機会に恵まれないなかでそうした作品を作ろうとしているアーティストを、紹介したい。そこでは稚評も、ひとりでも多くの鑑賞者が、展示された作品をじゅうぶんに享受する、その一助となるべく執筆される。

林卓行 はやし・たかゆき


 1969年、東京都生まれ。美術評論家。東京芸術大学大学院後期博士課程満期退学。
論文に、「同一性 のかたち--ドナルド・ジャッドの芸術について」(『美学』180号、’94年)、「描くことの半透性:ゲアハルト・リヒターをめぐって」(『カリスタ』 第4号、東京芸術大学美学研究室編、’97年)など。

(※略歴は2000年当時)