絵画、それを愛と呼ぶことにしよう Crazy for Painting

design: 山田拓也


絵画、それを愛と呼ぶことにしよう

保坂健二朗

 思い切って言おう。今、絵画を語ろうとするにあたってキーワードとなるのは、愛だ。パースペクティヴとか平面とか、イリュージョンとかモデルだとかは、今やどうだっていい。
 確かにそういう理念なり方法なりは、ある。でもそれが絵画の目的となってはならなかった。絵画の長い長い歴史を振り返ってみてほしい。すべては、自らの、ある人の、共同体の、あるいはみんなの、愛(情)を注ぐに足る存在を生み出すことに賭けられてきてはいなかったか。その過程において様々な技法や理念が確立されてきたけれど、でもそれは手段であった。目的と手段を混同してはならない。
 絵画は、その形式上、愛情を注ぎやすい存在である。普通壁に掛けられるそれは、四方から見られることを望む一般の彫刻と違って、人とface to faceで向かい合う。絵画自体が、人と関係を結ぶことを必要としているのだ。強いようで弱く、弱いようで強いそれは、画家の愛によって生まれた新たなる存在として、さらに誰かと結びつくことを切実に求めている。
 と同時に、絵画は、壁に掛けられるという理不尽な姿で人々の前にさしだされている点において、まるで生贄のようでもある。生贄。「美」という言葉の語源。「台(大)」の上に捧げるためのかたちのよい羊。だが、もっと俯瞰的な視点を持てば、生贄とはつまり人々の思いを集約するための存在である。「美」の意味はそこにも求められるべきではないのか。
 本展では、そうした美=愛=絵画の機能に正しく魅せられた人達に参加してもらう。ある者は、オーソドックスに、新作を中心とした構成とする。ある者はアーティストを目指したときから変わらない絵画への憧憬を、彼らしい方法で語る。また互いに敬意を抱いていたある者たちは、ふたりでひとつの展示を構成することに挑戦する。
 彼らの作品の間に、なにかひとつの視認できる傾向を見出すことはできない。むしろ、かけ離れていると言ってもよい。でもその違いは、彼らが絵画の機能を、つまり絵画的な愛のあり方をリファインしようとするからこそ生まれるのであって、次の一点においてはやはり共通している。画家たちは、自らのアトリエの中で孤独に生まれたものが、やがて誰かと、あるいはなにかとつながることができると信じている。つながるために最適なあり方を探している。今ここ日本で絵画を特集すべき理由は、そこにある。

キュレーター

保坂健二朗 ほさか・けんじろう

東京国立近代美術館主任研究員
1976年茨城県生まれ。慶應義塾大学大学院修士課程(美学美術史学)修了後、2000年より現職。専門は近現代芸術。企画した展覧会に「建築がうまれるときペーター・メルクリと青木淳」(2008年)、「エモーショナル・ドローイング」(2008年)、「この世界とのつながりかた」(2009年、ボーダレス・アートミュージアムNO-MA)、「建築はどこにあるの?7つのインスタレーション」(2010年)、「イケムラレイコ うつりゆくもの」(2011年)、「Double Vision:Contemporary Art from Japan」(2012年、モスクワ市立近代美術館ほか)など。共著に『JUN AOKI COMPLETE WORKS 1 1991-2006』(INAX出版、2006)、『キュレーターになりたい!アートを世に出す表現者』(フィルムアート社、2009)など。『すばる』、『朝日新聞』にて連載、『美術手帖』などに寄稿。

(※略歴は2012年当時)