サカイトシノリ

「シースルー・イコノグラフィー あるいは絵画の二重構造」


1988年9月20日~10月15日


シースルー・イコノグラフィー あるいは絵画の二重構造
たにあらた

淡い雪の下から新しい生命が息吹く。都会ではほとんど見ることができなくなった季節の変わり目の情景だが、サカイトシノリの絵画はふとそのようなことを思わせる。
桜と雪を同時に眺められる北国の遅い春を何度も体験してきたためであろうか。サカイの絵画にはそうした二律背反するものが、ひとつのフィールドにおいて視覚的に合一しようとする趣に溢れている。
雪にたとえるべきはテトロンスクリーンと、さらにその下に備わる白を基調色としたボードであり、生命の息吹は、テトロンスクリーンなどに描かれるさまざまな形象や色彩である。
淡いイメージの由来は、スクリーンに描かれる形象や色彩にもよるが、もっと直接的にいえば、スクリーンという素材そのものの特異性にも由来している。スクリーンは半透明であり、それを通して背後をのぞみうる。スクリーンの下の画面に描かれたイメージを、逆に知覚させることもできる。スクリーンを通して、イメージは気体のように流通するようになる。
絹本に代表されるスクリーンへの描写は古来よりあった。洋画の画布も決して例外ではない。しかし、中空に“気”を孕む絵画法は果たしてあったのだろうか。

どのようなイメージを盛り込んでも、絹本や画布は、単一の面としてそれらのイメージを受け止める。イメージを受け止める面が部分的に物質的に処理されるフォンタナやキーファーですら例外ではない。単一の画面はどのように処理されても、トポロジカルに単一の面に回帰していく。
サカイの作品は、そうした支持体の限界を超えようとする。イメージの本来のありようのように、始めも終わりもない多重構造をできるだけストレートに絵画という形式のなかで実現させようとしている。二重構造は、この志向性の原型であるといってもよい。また、それは飛躍していえば、二次元平面へのイメージの定着を図ってきた絵画史の隘路を突くような試みでもある。
もともとイメージとは曖昧なものである。にもかかわらず、その定着した姿である作品に人は曖昧性を見ようとしないばかりか、それを排除しようとさえする。理由は、客体化された作品として鑑賞に堪えないという場合が圧倒的だからだ。それは事実である。
しかし、そのためにイメージは、生まれたてのような初々しさを失うこともある。サカイの画面はそのような初発のイメージのありようを伝えている。決してそれは文字通りの初期のイメージとして画面にぶつけられているわけではないだろうが、そのように見ることのできる描写法と表現の構造を得ていよう。スクリーンの存在がこの種のイメージをシミュレートしているのである。
かつてはレリーフ状の物質を用いた作品を発表していたこともあったサカイだが、「物を使うことはスタイルではない」という考えに至って、今日のような作品に転じた。自らの姿勢を率直に発露できる形式へと辿りついたのであろう。