吉永裕「Washi / Polyphony」



1989年9月12日~10月7日


Washi / Polyphony 吉永裕の作品について

たにあらた

吉永裕の作品は、ほぼ一貫して和紙のうえに描かれている。
この種の作品の場合、通常思い起こされるのは、“ワークス オン ペーパー”という和紙を支持体にした二次元表現ということであるが、吉永の作風はこれとは大きく異なっている。
たしかに、和紙という平面的なマテリアルのうえに顔料を置き、イメージを形成するという意味では同じ領域に属するが、彼の作品は、和紙を支持体以上の存在としてとらえ、その和紙の”内部”に深く介入していく。もっと詳しくいえば、主要な顔料となるパステルカラーが、和紙の表面を超え、和紙の含みのある内実に大きく介入していくことで、特異な表現性を得る。
その特異な表現性とは、すでに以上のコメントでおよそ類推できるものであるが、ひとつは純視覚的に喚起される空間性であり、他は、顔料が和紙に介入していくという制作のプロセスによって必然的に結果する触覚性のことである。この二要素を巧みに一元化した方法が吉永の特異性を裏づける。
このことは彼が使用する厚手の和紙というマテリアルと切り離して考えることはできない。和紙の内部への介入という方法のもっともオーソドックスなパターンは墨もしくは水性の顔料による“浸透”だが、吉永の方法は“こすり込み”という物理的な圧力をもって顔料を介入させていくために、その力に対応する紙の厚さや強靭さがどうしても必要になる。和紙はその条件にマッチする有効な素材といえよう。
浸透性と墨の濃淡によるイメージや空間の構築は、いま改めていうまでもなく、カリグラフィも含めての長い伝統をもつ。現代美術でも一部ではこの問題を積極的に考究する向きもあるが、気をつけなければならないことは、同じ方法や流儀でそれを繰り返しても現代性はもとより先達の境地すらかすめることは難しいということである。
パステルカラーを吉永が用いるということの真意はここにある。この顔料のバリエーションが魅力であることは言をまたないが、それ以上に、水性の浸透性ではなく“介入(浸透)しつつ抵抗感の色彩層の実現”がこの顔料によって果たされている、といえよう。パステルカラーを用いつつも、むしろ同系色の階調の差違で画面をまとめようとする作風が多いのもこの点を裏づける。
また、吉永の作品はいずれも矩形に折りたたんだ時にできる折り目によって、色彩や階調のゾーンは規定されている。
これは彩色以前の規定的条件として付与されている。表現による可変性ではなく、支持体の条件づけとして存在している。これは極めて安直ともいえる方法だが、むしろそのようにすることで、色彩や階調の差違を、さらにはそれらが形づくる空間を、並列的な面の対比という切り口で浮上させようとしている。