三梨伸「土の“精”と“聖”」


1990年1月9日~2月3日


土の“精”と“聖” 三梨伸の作品について
たにあらた

長い間、「陶」は“器物”とともにあった。生活のさまざまな場面で、何らかの用をたす道具として存在してきたことは今さら言うまでもない。
ようやく戦後になって”器物”すなわち用の具は、具体的な機能性とはまったく別の系統樹を産み育てることになるが、たとえばそれが“土によるオブジェ”であり、それは芸術一般の前衛運動を大なり小なりコミットしだす。“脱器物”“向オブジェ”の土の戦後の芸術の志向性は、一方で長く広範な歴史性を負っている分、特殊に見られがちだが、実のところ芸術一般の前衛主義とそうかけ離れたものではなかった。少なからず、その時代時代のモダニティをかいくぐった表現として存在してきたのである。
やがて、その“オブジェ陶芸”は、その前衛主義をも、またひとつの伝統として、さらに大きく回路を開いた“土の空間表現”という軌跡をつくりだす。およそ、この空間表現のステップは1970年代以降の産物としてとらえられるだろう。その経緯もまた芸術一般のモダニティと無縁ではありえなかった。
一方で千年もしくはそれ以上に及ぶ伝統芸としての土の芸術の世界があり、それらを批判対象にした主として戦後の土のモダニズムがあり、さらにそれをも批判的に継承したネオ・モダニズムとしての空間表現は、現在のところ、一方でその系譜の新しい展開を期しつつ、“器物”の再解釈の方途をとりはじめた。それはもとより“用の具”としての“器物”解釈を遠く離れた意味の形成に向かうことになるだろう。
1980年代は、土のアートをバラエティ豊かに開花させた特筆すべき時代であったとも言えるが、以上のような解釈の系譜とまったく異なるコンテキストで出現してきたのが三梨伸である。
彼の作品は、土による造形以外の何ものでもないが、従来の土の作品に比べると“垂直志向性”が極めて高い。先が丸くなった円柱、円錐など彼が得意とする形態は、いずれも器物はもとより、土の空間表現のプロトタイプというべき“布置”という水平作業の対極に立つものである。時おり、土の成分を変えることで螺旋状の模様を描くことがあるが、これも水平面での広がりとは反対の上昇のムーヴメントの意向が強い。
一般概念としての土の意味を脱し、垂直志向性をとるようになった経緯は、彼が土ひねりというテクネから入らなかったことが大きな要因だろう。粘土というマテリアルの前に、常に考察されていたのはフォルムであり空間構築力の方であった。
イタリアはアドリア海に面するバーリに近いアルベロベッロという集落の屋根の形状にいたく魅せられたのも、このことと無縁ではない。この集落の屋根はトンガリ帽子のような形をしており、建築の世界ではつとに有名な集落だ。彼の創作の方向性を決定づけた貴重な体験であったといっても過言ではない。
三梨の作品は、クッキー状の手の平サイズの陶片をこつこつと飽くことなく積み上げていくことで全体の形状を得る。陶片は何の変哲もないが、無数に集積されることで独特の深みのあるテクスチュアをもつようになる。土だが、土という素材およびそのテクネにこだわる必要のない超陶土のシンプルな景観を得ている。時にその造形は荘厳なおももちさえ湛えているのである。