曽根光子「<流土>の構成体」



1990年10月16日~11月10日


曽根光子:変化する状態としてのかたち
赤津侃

曽根光子が1981年の第1回西武版画大賞展でグランプリを獲得した作品「Press-A」は、版画概念の形式を破り、実在感を与えて豊かな効果をあげていた。正方形の発砲スチロール板を重ねた上にガラス板をのせ、ガラス板の裏側にビニール袋を撮影し写真製版した映像をシルクスクリーンで定着したものであった。薄いポリエチレンの袋で包んだ物体に光をあて、黒一色の背景から浮かび上がらせるイメージは、ガラスを通して下から台座の白を透かしてみせる。その闇の中に浮遊する無機的な映像が透明な存在感を示していた。ガラスや発砲スチロールといった工業的素材が恣意的な実験に終わらず、彼女のコンセプトに必然的な手段として視覚効果を高めていた。
その後、発注したビニールシート5個の大きな袋に空気と水を入れてふくらませた作品を作った。そこに河原で拾ってきた石を配置し、袋のなかの水にひとつの相貌を与えた。さらに大きなアクリル板を天井から吊り下げ、土を流す大きな作品を精力的に制作してきた。
今回の作品は、曽根の自然観やコンセプトを凝縮して示す総合的な作品である。左右から1.8メートルのビニールが張られ、両者が中心にある長方形の水の入った箱に連結する。帯状のビニールの片方には乾いた土、もう一方には湿った土が塗られ、真ん中の箱の水が浸透する状態と流土が乾いていくさまを示す。
曽根の興味の中心は、万物の根源である土と水にある。人間すべて最後は土と水に還るという一種の哲学がそこにあると思われるが、高度工業社会のマスプロダクトのビニールという製品と土と水という根源的なものが、一つの構成体として合一的につくられつ。その両者の対比がまず構成された立体として現れる。
曽根の構成されたかたちは、流土のどろどろとしたものを示すものではない。造形としてのかたちは限りなく端正で美しい。まずこのことを指摘した上で、曽根の<流土の構成体>は、状態としてのかたちを示していると言える。土や水は、定まりない大自然の象徴である。曽根は、自然に存在するものとしての土や水の状態凝縮して、私たちに観せる。その焦点は、土や水の変化を含む状態への関心である。流土が一方で感想していく過程を示し、もう一方で水にひたされ、変化してゆく。乾いた土の亀裂はさまざまなイメージを喚起するし、水に浸透される土の変貌もまた土と水のある種の生命力を想起させる。
曽根の作品はこの過程をまざまざと示す。その作品は人為的なものとして完結されるものではなく、作品を自然にまかせるというところの言わば開かれている作品になっている。自然の時間、自然の変貌する過程こそが、彼女の作品を貫くコンセプトである。自然のままに作る彼女の作品は、人間と自然が同列に立とうとしているドラマを創り出しているとも言えそうだ。人間中心のドラマではない。自然の偉大な力を中心としたドラマである。それはある種の宇宙感覚をよみがえらせる作品である。同時に<感覚体験のリアリティ>をも感じさせる。
私たちは時ととともに生きている。それと同じように時とともに生きる作品がある。彼女は作品が時間を超越したものだという考え方には与しないようだ。作品もまた生まれ、変化し、死滅するものなのだろう。生成、変化、消滅、あるいは再生という過程こそ変わらざるものなのだと、作品はある一面で言っているが如くである。
曽根の作品で、空間は一変する。一種のインスタレーションと規定できようが、曽根の作品空間を同時体験することによって、作品と自由に開かれた関係を私たちは得ることができる。同時にそれはなんと豊かな世界であることだろう。