柳井嗣雄「紙の精神・物質の生命」


1991年4月16日~5月11日


紙の精神・物質の生命
赤津侃

柳井嗣雄は、1990年の第10回現代美術今立紙展で大賞を受賞した。福井県の越前和紙の生産地である今立町で開かれる紙の特質を問う公募展のグランプリである。柳井」はまた同年の第18回国際美術展佳作賞を受賞している。
現代美術の素材は多様化し、紙への関心も高い。一つの契機は1983年に京都で開かれた国際紙会議に併わせて、アメリカ、オーストラリア、韓国ならびに日本の美術家による紙の素材にした作品を集めた展覧会であった。そのなかでもっとも多く見られたのは、手漉きの紙による仕事だった。手漉きによって紙を作り出す過程そのものを作品形成の過程に繰り入れるか、あるいは美術家が紙の生成に加担し、独特な紙としての作品を作り出すかの二つの方法があった。版画家として出発した柳井が、版画そのものよりも、その支持体である紙に関心が移り始めたのが、80年代初めである。柳井は最初から“自分の紙”を目指した。一般的な紙の概念とはまるで異なる今回の出品作は、ことし9月のサンパウロ・ビエンナーレのプレヴューにもなるが、麻を素材とした立体作品である。柳井は紙の概念を方法論によって拡大し、新しいイメージをつくり出した。その基本は、素材として麻を漉いて紙をつくることにある。日本画の材料にも麻紙」があるが、これを柳井は“麻紙(まし)”と呼ぶ。紙というより、限りなく素材に近い作品である。紙漉きというと、紙の素材を水にとかし、漉き上げ、乾燥させて紙をつくる、いわゆる<湿式>を思い浮かべるが、彼の方法は、型の上に置いた麻を並べて、繊維の層をつくり、その後水をかけて平面状にし、糊のようなもので固める<乾式>である。出品作は、最初から網で立体の型をつくり、そこに麻を並べ、乾式で立体的な麻紙をつくった。麻紙を固める場合、糊のかわりにゴム系のラテックスを使用して成形している。作品が柔軟性をもっているのは、この技術による。
柳井の技術的方法論を詳細に述べてきたが、彼は日本の伝統的な紙漉きの技術を昇華し、紙の概念を変え、新しい領域を切り開いたといえる。それは、紙の精神を引き出しているとも言い換えることができる。紙の精神とは――。
紙は植物から生まれる。植物には水が大切である。水こそ生命である。彼の<麻紙>から生命力を導き出したい。これが柳井のコンセプトなのだろう。当然のことながら、あらゆる存在は、物質的側面と精神的側面を、併せ持つ。そして、それぞれの存在は、相互に影響し合っている。その両面とも宇宙と連動していて、人間もまた自然界の一員である。物質的側面は下降運動し、精神的な生命力は上昇する推進力をもっている、と彼は考える。このコンセプトがフォルムに現れる。
今回の展示作品のタイトルは「Genius Loci―胚胎」である。ラテン語のGenius Lociの意味は、土地や場の守護神、または地霊だという。彼は紙の精神を引き出し、物質に生命を与える。麻紙にダイナミックに行為しながら、麻紙を通して、新たな存在と世界をつくり出す。それは生物的な力の偉大さ、生命力の誕生のイメージを呼び起こす。麻紙が生命の胚胎を予感するように立体的に造形される。今回、立体の大きさが異なるため、一段と生命力の躍動感が増し、色彩も白さを濃くし新鮮な感銘を与える。個のフォルムは自立し、その個が床面に大量に置かれると、空間が一変する。<紙の精神と物質の生命>が、巧みに調和し、一種の精神世界をつくり出し、さまざまなイメージと喚起する。力強さと静溢さが充満し、観る者を内省と思索へ導く。
今回、柳井は壁面全体にドローイングを張った。高さ2メートル、36メートルの壁面をぐるりと飾る。全体を墨で塗り、テープを張り、立体と同じフォルムを平面的につくり出した。白と黒と版画的なドローイングが出来上がった。

立体作品を補完する意味が強いが、立体作品と合わせて空間において自立している。
柳井はたしかに紙の精神を引き出し、生命観と宇宙観をイメージさせる彼独自の場を構築しえたと言えるだろう。