内海信彦「自己創成する宇宙」


1991年10月22日~11月16日


自己創成する宇宙
 内海信彦の普遍の世界
赤津侃

内海信彦が今回、最大の作品を創った。高さ1.6メートル、幅12メートルの「INNERSCAPE 1991:AUTOPOIETIC UNIVERSE」(内景:自己創成する宇宙)である。内海の作品の五要素は、水・墨・風・火・空である。これが内海の行為によって、意識と無意識の関係で、MANIFESTATION(顕現)される。これは因果関係をもった森羅万象の世界であり、なんと想像力とイメージを喚起されるマンダラの世界であることか。単純に見れば、地表の浸食された形態であり、宇宙から地表を俯瞰しているような、あるいは神が地球を見つめているような内的宇宙と宇宙空間からみた宇宙である。小さな生命体の内部で、継続する生命の現象をも想起させる。
そこに通底するものの一つは、生成と消滅のイメージであろう。生成とはまぎれもなくまたなにかが消滅することのほかならない。宇宙の組成原理と幻視を生む大脳皮質機能に彼は関心を示すが、生成と消滅のイメージは、このニューエイジサイエンスの探求の結果であろう。だが、それだけではない。3万年前の記憶が細胞のなかに何億年も蓄積された構造と時間の記憶が形象化されているのである。さらに3億光年離れた天体でいまも生成・消滅する現象を予知さえしている大画面なのである。永劫の過去が未来に連なる時間と構造が生成と消滅を通して表現される。それは、魂のようなものが抜け出し、時間の旅をしている幻視を与える。
なぜ、そうなのか。内海は、ニューエイジサイエンスが唱導するデカルト的二元論を止揚し、東洋思想を含む神秘主義と照応する。さらに、デカルト唯物論的機械論による解釈を修正し、生気論を果断に援用する。これらの考えをもとに、内海の現在の存在を証し立てようよする。偶然を意識に転換し、物質とエネルギーを相互に浸透させ、幻視と透視を互換する集合と連関。それらが内海の<内景>なのであろう。内海のコスモロジーはさらに発展する。意味性に囲われた知覚の場を、つまりロゴスの認識や解釈と意味性の裏側に必然と化して拡がる感覚の場という、二つの相反しかねない作用の実感的な合一・止揚の果てに、ものとこと、時間と空間の、秩序と無秩序の織りなすダイナミズムを創り出した。
内海の技法は、墨流しと見立てを通して身体性と体感を躍動させるが、それは偶然ではなく、必然であることが重要なのだ。デカルコマニーは偶然ではなく、無意識の結果でもない。それは、<構造化された、意識化された新しい墨流し画>と呼ぶにふさわしい。身体性には自然の摂理が貫徹しているかに見える。
技法も意識化されたものであり、画面も宇宙の生成と生命体の増殖が映り込んでいるようにも見えるが、それは一部であり、実は<対象物でできていない実在の世界>といえよう。大きな平面でありながら、ホログラフィック・パラダイムに通じる全体性が示現しているのである。
それは、内海の大作に原形的なるもののもつ<普遍>が生きていることにほかならない。冒頭に内海の五大要素を水・墨・火・風・空とあげたが、彼はこれを多層的に技法としてこなす。それは五大要素、水・墨・火・風・空の認識と一致する。それは多様性と複数性を示し、中国山水画論においてもっとも重視される<気韻生動>の精神に一致する。内海の画面は、<気>が響き、生き生きと流転している。中空構造=無秩序を含んだ秩序が感じられ、合理としての空間に傾斜しているようにも見えるのである。それは<宇宙的意識による精神的ヴァイタリティー>の表現である。
内海の大画面の細部を凝視しよう。これほど細部が想像力を刺激する作品も稀有である。
観る者にとって、共振、共鳴があり、感応がある。単なるイメージではない。大画面を制作する内海とともに、観る者は感じる。彼が内的衝動と自然の摂理に従って描くように感応する。観る者は、自己の脳細胞のなかに、身体全体で、あたかも彼の作品を何万年前に知っていたかのごとくである。私たちは、彼の<形態形成>によって、記憶を呼び戻させる。そして、普遍の世界へ導かれ、創世された宇宙を共有するのである。