空間へのディアロゴス 3 清水誠「斜交の連関」


1992年6月23日~7月18日


空間へのディアロゴス 3「斜交の連関」

高木修

私が清水誠の彫刻を初めて見たのは、1987年、東京・銀座にあるぎゃらりーセンターポイントでの二人展であった。

清水の彫刻は、画廊での最初の発表にもかかわらず、表現はシンプルで整然としていた。それは直方体の黒御影石が左右に配置され、中央にL字形の白御影石が橋のように掛け渡され、わずかな隙間をつくっていた。
その時の印象を述べると、あのデ・ステイルのメンバーの一人、ジョルジュ・ヴァントンヘルローの彫刻「量の関係」(1919)をミニマル化へと展開させているように感じられた。当時私は、デ・ステイルのリーとフェルトやヴァンヘルローに関心を持っていたので、清水の彫刻がそれらからの派生的レヴェルとして新鮮に映った記憶がある。しかし、清水がヴァントンヘルローの彫刻を知っていたかは別に、その作品があまりにも自立しているために、その後の展開をどのように打ち出していくのか、期待と不安とが入り交じっていたこともたしかであった。
このことはデ・ステイルの理念である<直線と方形の原理>を、清水がどこまで継承するか、あるいはトランスフォーメーションするかにも係わってくるからである。だが清水は、すでにデ・ステイルにも通底する諸々の<関係>について注視し、作品化へと導き出そうとしていたのだ。
1988年のギャラリイKでの個展では、その<関係>への関心が明確に体現されている。しかも清水における<関係>とは、’60年代後半から’70年代初頭にかけて流布したものとものとの<関係項>、または<意味づけ>ではない。それらの作品群が第一義的な意味で<関係項>のみに収斂してしまう構造に対し、清水は、その場に作品を、一見無関係に点在させていながら-見るものの無意識的潜在的な状態を開きつつ、その場を総体的な関係性の中で捉えようち試みた。

その意味で、作品が作品となるのは、それが見るものによって見られるものだという事実である。しかるに清水との<関係>とは、空間・身体・他者・ものとの同時接触、あるいは無数に錯綜した<相互媒介>による交通、つまり<関係>を包摂したその布置の構築にほかならない。
とくに今回の新作では、8メートルに及ぶ鉄板による台形の構造体がスロープしながら空間を横切っている。台形は縦91センチ、横30センチ、厚さ3.2ミリの鉄板でつくられ、各パーツごとにボトルで連結されている。だがこの連結の仕方も、微妙の隙間をあけることによって、構造自体を軽くさせ空間の圧迫感を逃れている。しかも鉄の表面を腐食させたり、意味ありげな痕跡などによる修辞的手法は見当たらない。何故ならすでに、鉄板一枚一枚が肌理をもっているので新たな細部を必要とはしない。そしてまた、ボルトによって視線を表面にとどめさせる要因にもなっている。それは清水が初めて取り組んだ斜めへの展開において、作品に結節点をつくることによって成されている。
周知のように、斜めへの導入はキュビズムや未来派、またはロシア・アヴァンギャルドの造形表現のなかに現われているのは言うまでもないが、清水が斜めへの関心を抱いた理由はおそらく、多木浩二が述べているように<力動的な記号表現としての斜線が躍動する>という意味と、具体的展示空間での斜めへの提示がどこまで可能なのか-つまり空間における<運動や力>を彫刻のレヴェルで引き出せるかにある。もちろんそれは<関係態>という媒介を通して試みられる。
もう一点、石と鉄による鉢植の植物をイメージした彫刻が、その場に対蹠的に置かれているが、その二つの作品が意味するのは、<斜交の連関>を企図しながら、物質性、官能性を空間に孕ませていることにある。
こうしたことから言えば、清水の彫刻は、見るものを含めた<相互連関性>というべきものである。

清水誠 しみず・まこと
1963年兵庫県生まれ。1989年武蔵野美術大学大学院彫刻コース修了。88年「那須彫刻シンポジウム」、89年「第5回播磨新宮石彫シンポジウム」、「インターナショナル彫刻シンポジウム」(グルジア共和国)などに参加。90年ときわ画廊で個展ほか。

(※略歴は1992年当時)