空間へのディアロゴス 5 後藤寿之「抽象の輝き」


1992年10月20日~11月14日


空間へのディアロゴス 5「抽象の輝き」


高木修

今日、立体作品をつくる作家のなかで、後藤の仕事ほど<手の痕跡>を消し去っている作家も稀有である。だからといって後藤が自分の手でつくっていないという意味ではない。むしろつくることによって素材の持つ質感を消去しているといったほうが相応しいかもしれない。つまり後藤の硬質な立体は、’60年代後半に流布した発注芸術とは異なるということだ。
後藤の仕事は、まずもって伝統彫刻の手法を排除している。第一に量塊への思惑すらなく、ましてや物質性を強調するような兆候は見あたらない。しかるに表面への繊細な味わいや、安易な行為による過剰で饒舌的な作品を表出しようとはしない。後藤は<饒舌さを抜いていくギリギリで緊張のある空間を作りたい>という。そのためには余分な事象をできる限り削ぎ落としていかなければならないからだ。立体の主要素である角材をボルトで接木し、表面は黒鉛で均一に塗られる。ソリッドでシャープな<ハード・エッジ>をした角材(もはや鉄の黒皮に近い)が水平に、垂直に、そして斜めに連結し単純直截な架構をつくる。-それは抽象的輝きを放ち、<中性的空間>が顕現してくる。しかも、立体は壁面に依存しないところで視覚的な透過性を与え、架構の躯体の重層的狭間が見えてくる。言い換えるならば、その躯体構造がそれだけで自立してみえるのは、その狭間の空間をはっきりと浮かび上がらせている周囲の白い壁面によってである。つまりここでは、躯体と壁面が等価なレヴェルとして意図されている。何故ならばこのことは、展示空間と躯体の比率がその<場>によって計算されているからだと言えよう。
このように、一見壁面を無視したように見せながら、逆説的に周囲の空間によってその構造体を現出させるのは、後藤が発表当時(1982年頃)において、展示空間全体を幾何学的に構成(壁面を利用)する方途を模索していたからであろう。
だが、見る者はその全体を一気に知覚することはできない。否、できないよう仕組まれている。もしも、ソル・ルウィットの『無題の立方体(6)』(1968年)のような概念性の強い作品ならば、その構造が均質な空間をかたちづくり、視点を移動させることなくその作品を読みとることができる。しかし後藤の作品は、コンセプチュアルの作品が副次元的なものとしていた知覚的、感覚的面に重点が置かれている点において、概念的ではなく視覚的媒介によって構造が生成することを目論んでいる。もちろん見る者は、このような形態的、空間的な立体作品の中を接近しつつ、動き、時間とともに視界の変遷が強いられるのである。
特に、この大きな立体の特徴はブリッジ的構造を想起させる。それは、その構造が一見するとシンメトリカル(上層の構造が多少ずらしてある)を形成しながら<空間を内在化>しているからでもある。
たとえば、ブリッジとは<二つの領域を結合しつつ、また二つの方向を含みつつ、力動的均衡を強く感じさせる状態>(ノルベルグ=シュルツ)にあるが、後藤の立体はそのような通路を目的としているわけではない。むしろブリッジの下部構造(橋脚)に相似しているといえるかもしれない。
その線的に構成されたブリッジ的立体は、外側から内側へ、内側から外側へと交錯し、幾層にも空間を区分して、<空間の深度>あるいはリズムをつくりだしている。だからこそ、合理的な幾何学的な構造というよりも、経験されるような感覚的な構造を胚胎させようとしているのだ。それは後藤自身がつねに内部で感じとれるような原型的な空間を創出しようとしているからではあるまいか。

後藤寿之 ごとう・としゆき
1960年山形県生まれ。1985年和光大学人文学部芸術学科卒業。85年「パーソナルスペースワークス’85」展、90年「視覚と具現展’90」、95年「未来のノスタルジー」展などに出品。82年ギャラリーパレルゴン、89年ときわ画廊、京二画廊で個展ほか。

(※略歴は1992年当時)http://www.e-sankei.info/riraku_0707goto.html