空間へのディアロゴス 8 古川流雄「感覚統合の表面」


1993年3月9日~4月3日


空間へのディアロゴス 8 「感覚統合の表面」

高木修

絵画から出発して立体や彫刻をつくる人たちの特徴のひとつには、彫刻家のように塊をもって触覚的感覚に訴えようとする働きかけはなく、あくまでも<視覚性>を重要視するむきがある。つまりそれらは、平面性への追求(イリュージョンの限界も含むが)の果てからくるものであるが、また一方に、立体的ヴォリュームや可触的なマッスのあらゆる属性を称揚し標榜することの留保もしくは乖離があるからであろう。しかしこのことは、彫刻芸術に対する否定的倍音を意味するということではない。
古川流雄の営為は、絵画から出発しながら絵画の枠組みにとどまらず絵画的<面>の地平を可能態として捉えている。それは平面性の検討を重ね続けることによって、派生的にレリーフあるいは立体へと展開が成されたのである。
しかも古川は、絵画の表面性を積極的に作品の中に取り込んでいる。このことは作品を見れば分かることだが、布の表面に油絵具を着色する行為は、古川にとって絵画をつくる意識(身体―知覚)と通底する。
なぜならば、その稠密な表面をつくる意志は――表面に眼―視覚をとどめさせようとする働きがあるからだ。そしてもちろん古川にとって重要なのは、立体でありながら視覚形成を目論んでいることにある。
いずれにせよ、古川の底流にあるのは感覚的なものを放擲していないということである。布という素材(柔らかさ、軽さ、色、物質性)をもって<感覚>をいかにあらわにし視覚化するかにある。
こうして古川は、制作過程と視覚形成の結びつきによって――つまり見ることの両義性(感覚するものと感覚されるもの)の中でつくっている。しかも形態は造形的な意味合いでつくられているわけではなく、むしろ制作の中から出てきた形態というべきものである。つまり、布を布それぞれ自体の特性(動き)に委ねているがゆえに、古川にとって布は単なる従属的手段ではなく、自ら(素材)の運動の表出活動でもあるわけだ。だが作品が床近くで上に折り曲げられているのは、物性の強調を避けるため重力に逆らい反自然的にしている。
布に襞や色をつけるため、ポリエステル樹脂やアルミニウムパウダー、ブロンズパウダーなどが使われ、素地の色をわずかに残しながら色が加算されていく。しかもこの色は形態(襞)を決定するのと同時進行的に施されているがゆえに、形態と色の分離は見られない。
すなわち形態は色に随伴し、色は形態に随伴しているといえるだろう。端的にいくなら、素材・形相・色が一体となって顕現し微表のひとつとなっている、また、作品に穴が穿たれているのは質感を軽くするためと、そして見るものの視線を誘いつつ、その画面の窮屈さをやわらげている。
古川は、具体的な現実感覚によって<形式と内容、表層と内奥>といった二元論的概念規制を切り崩し、表面のトランスフォーメーションが成される。つまりこのことは、ある人の言葉を借りるならば<物の本質は表面に濃縮されている>といえるだろう。
古川の表現は、作品が空間の中で最大限の力を発揮し作品によってその場を開き、人に迫る強度のある作品を放射していることに他ならない。しかるに古川は言う。「芸術は<崇高>なものとして、その無二の姿を現わさなくてはならない」と……。

古川流雄 ふるかわ・はるお
1955年千葉県生まれ。1982年東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了。83年「第19回今日の作家展」、90年「モダニズムの三角測量 – PART2<面の変容>展」に出品。92年島田画廊、94年かわさきIBM市民文化ギャラリーで個展ほか。

(※略歴は1993年当時)http://roundthearts.blogspot.jp/