古田裕「間隔と設営」


1994年6月21日~7月16日


間隔と設営

高島直之

古田裕の仕事のキーワードを<間隔と設営>にした。いうまでもなく、古田の八〇年代半ば以降からの発表作品を見続けながら、直観的に選び出したものだ。<間隔>の<隔>は、距離、まさに隔たりを意味しており、<間>は物と物の<あいだ>である。よくいわれることだが、「間が悪い」という表現があるように、何かしらの事を為す際の、リズムのとり方と関係が深い語である。一方、<設営>とは、そもそも軍隊用語だと思われるが、諸施設をその場に建てるため、あらかじめ準備するという含意がある。いずれも、場所を仕掛け、何ものかを構築する際の、媒介的な言葉にすぎない。つまりは、場を喚起させるための、オープン・システムにまつわる概念である。
古田の作業の中で、もっとも中心的なテーマは<円>だといっていい。最初期のスチレン・ボードや合板を使用する作品以来、切り取られた円がパズル状に組み合わされたり、また無限に増殖していくようなインスタレーションとなりながら、そのテーマを持続させている。しかし初期は、世界図解というべきその記号論的扱いが、文字通りイラストレーションのような役割を担っていた。その現われ方の変化の兆しは、八四年のグループ展以降だと思われる。
さらに八七年以降、ギャラリーの矩形の床面を限定された場とみなし、ALCを床全面に構成していく布置的インスタレーション作品に結実していった。その構成システムは、楕円の両極にある二つの円を基本とし、補助線を導入して同じ直径の円をつぎつぎと切り抜いていき、断片化し、組み替え、またズラし分離・融合していくものだ。
この傾向は、限定面を床から壁に替え、壁に立てかけたり、付着させるものにもなっていく。また、規則的に引かれる直線の補助線を強調するため、柱状の構造もとり始めた。それは、柱がグリッド状に林立する、きわめて構築的空間性を露わにし、画廊全体に立ちはだかる作品になる。これは古田にとっての実験的試みであり、床面に層となって布置するあり方と違い、イメージを一変させている。コンセプトは同じであるのだが。
ALCの板は、その表面の粗々しいテクスチュアによって、独立した表情をもっている。それが、壁に沿って立ち上がると、絵画的視線を呼び込み、構成システムが閉じてしまいがちだった。古田はそのことを敏感に感じとったのか、九〇年頃から低層の布置的扱いに戻っていく。今回出品されている作品も、あくまで構造はオープンである。本来、ALCは、断熱・防音・防湿を目的とする新建材のひとつで、プレファブ住宅の床材・壁材に用いられている。つまりは規格部材としてあり、使用目的それ自体にオープン・システムが埋め込まれている。そのことは、古田の作品内容と直接の関係はない。しかしながら、工業化住宅の建材として開発され、それに規定された材質をもっていることは、まったく無縁ではあり得ない。製鉄板材を選びとる作家が、イメージも質もそれに限定されるように。
ALCは、加工しやすいように、軽く柔かくできている。折れやすくエッジも鋭くはない。こういった構造材を美術表現に持ち込むことは難しいのだが、古田は、この<軽み>を利用し、円と補助線の幾何学的切りとりと低層化した配置によって、その<軽み>を抑え込む。床の、何もない平面に、三次元の空間的立ち上がりを暗示させ、その直線・曲線で構成される構造体の<間>に空気を流し、空間生成の契機を与えていくのだ。

当会場のギャラリー空間は、天井が低く、床面はその割に広い。このプロモーションは、きわめてユニークである。この限定性を考えたとき、古田の仕事は、この場をよく生かしめるに違いないと、以前から考えていた。<仕掛ける>という言葉は、ふつうポジティヴには使われないが、<設営>という語に替えて、建築的な場の与え方を同時に示唆するものとした。

<間隔>の<間>は、時間と空間をまたぐ、日本語独特の意味合いがある。<時>と<空>の、それぞれのリズムを生み出す、柱と柱のスパンとして<間隔>という語がある。そしてまた、<間隔(カンカク)>は、<感覚(カンカク)>と読み換えてもよいと思う。