石川順惠「絵画/秩序と冒険」


1995年3月7日~4月1日


絵画/秩序と冒険

高島直之

石川順惠の絵画作品が、清新なイメージを発して日本のアート・シーンに登場してきたのは、1990年前後のことであった。80年代の若手作家の表現志向は、平面/立体を問わず、社会風俗と交差する日常の情報イメージを折衷し、擬似的な自己神話を装う多元的なスタイルをとっていた。そこでは、消費社会を取り巻くあらゆる文化現象をイメージとして飲み込み、かつ過去の美術様式を並列化して引用する意図が顕著だった。これは、美術史の単線的発達史観を解体させる方向として、モダン・アートの終焉を暗示するものであったけれども、その結果として、際限のないイメージの拡散に”力”を貸してしまった。つまり、具体的イメージに重きを置いたために、美術のもっている本来の形式を忘却していった。この事態は一方で、70年代の形式主義的傾向の反動として起きた事実に裏づけられていたことは明らかだ。
この時代の大きな流れに、石川自身が少なからぬ影響を受けていたことは想像に難くない。この傾向とどれほど石川の作品が距離をもっていたか、あるいはもっていなかったかはさておくとして、彼女の初期の仕事の新鮮さは、形態と色彩との率直な面的結合にあり、その図と地の関係が融合・離反し合うところにあった。
なぜなら、80年代のニューイメージ・ペインティングは、その豊饒にすぎる具象イメージの氾濫によって飽和度に達し、あふれかえった”過剰なもの”として人びとの眼に映り始め、図と地との固定化した、”古典”への回帰すら感じとれるようになっていたからだ。石川は、その80年代の傾向の、知覚とイメージの予定調和的な結びつきから、はるか外に抜け出すのではなく、知覚とイメージとの本来的なズレに眼を向けた。絵画内部に生じる、抗えないその”差異性”を能動的に見直した。
彼女の面的な分割は、面そのものというより、すでにあるものの”輪郭”に限定されている。これは既成の日常のものを撮影した写真を手がかりにし、それを拡大して形態が選びとられている。したがってア・プリオリな個人の心理的象徴性から生まれ出たものではない。
むしろ、量産品のもっているコード化した”輪郭”と、個々の心理的な実在性としての”形象”との微細な振り幅を示すことで、その差異を見るものをつき動かす、心理的な動力学に訴えかけた。しかもなお、図と地の分割に際して、それぞれ限りなく均質化しつつも、それらの筆跡が消え去ることはない。また、その形態が、具象か抽象か、という問いを宙吊りにし、答えを与えることもない。
この融合と離反を同一面で繰り返す手法は、1993年の発表において、強く打ち出されることになった。ハード・エッジの図の部分と、複数の色彩による粗々しい筆跡の地の部分との対比がそうである。図の部分は、そういった対比が強調されることで、地との差異は、むしろ曖昧になっていったといえるだろう。
これは図形の、既成のものの輪郭をなぞるという線描的な意識と、地の部分の表現主義的な筆による線描の意識とが微妙に重なり合い、これまでとは違った空間性をもち始めたということだろう。この地点においては、石川がもっていた色彩感覚が抑えられ、かつての量産品独特の化学的塗料のポップでかつ無機的な軽やかさが感じとれなくなった。これは、知覚とイメージとの差異を能動的に捉えようとする、模索の結果であっただろう。
しかし、この緩急のつけ方は、秩序と衝動とを同一面にもたらそうとする、彼女の意欲が表われている。彼女自身が制作を推し進めていく過程で生じた課題だったといえるだろう。知覚とイメージの差異を”感覚”に浸透させていく努力であった。
このたびの近作では、構成の記号的な扱いにおいて、むしろ初期の率直さに揺り戻しているようにみえる。しかし、その表われ方の違いは、形態と色彩との動的な結合が”構造化”され、秩序と衝動が合一して生命の躍動が感じられるところである。とりわけ色彩の選択においてはより有機的になり、彼女本来の心性と感情とを優先させてきている。あたかも、秩序だった画布という限定性に、飽くなき”生”の冒険を試みるように。