祐成政徳「不確定性と親和力」


1995年4月11日~5月6日


不確定性と親和力


高島直之

祐成政徳は、初期から現在を通して、あるひとつの素材に固執するタイプの作家であったことはない。これは彫刻的立体表現に挑む日本の作家の中ではより新たな世代の特徴といえるし、祐成もそのひとりである。祐成より一世代上までの立体作家は、素材=モノの組成性や肌合い、そしてその実在感に寄り添い、そこからしか生まれない形や表情を引き出していく方法をとる者が多かった。それは油彩画の絵具のように、絵具というメディウムを通してマチエールを作り出すように、彫刻的立体表現においてもそういった手法に正統性があった。
しかし祐成は、初期において複数の素材を扱いながら、その素材の属性に依拠する立場も完全には捨てていなかった。80年代末の、石材や木材の<柱>をいくつか立てるような仕事は、素材の物質性を露呈させていた。だが、この柱状の物体の配置が、はたして空間を発揚するものなのか、あるいは物質的次元を浮き彫りにするものなのか、曖昧な点もあった。いまから見れば、87年の、鉄板を溶断しそれを骨組みにした作品も含め、この四角の柱は、その高さと置かれた床面(地平)と同時に意識化させるものだった。その角柱は、捉えがたい<空間>を境界づける、また根拠づけるシンボルであり、空間形成の動機を与えていた。

だがこの時期、ギャラリーの発表作品以外にも、石膏や鉄材を使った単体の小品も生み出している。それらは家の構造を思わせるトラス状の形や、壁と壁とが組み合ったような、単純だが、奇妙な形をしていた。この家的空間のアプローチは、祐成の仕事によく見受けられる。先述した四角柱のインスタレーションも、床の限定面に柱が置かれ、壁対と関係づけられる傾向もそうである。ましてや巨大な鉄の骨組み「ASIANHOLLOW」(87年)は、ラーメン構造がむき出しになっている。いわば、柱梁構造全体が支持されているように思える。

そのオープンな設定から、家の内部を意識するような志向が91年頃から出てくる。
「LONGINTERVAL」や「JUJU」と名づけたインスタレーションに顕著である。前者は、四つの、素材を違えた構築物と面的な扱いが組み合わされている。亜鉛板を敷く床面、壁が交差するエッジを覆うファイバー、そして木と鉄による、箱型・門柱型の構造体は、まさに住宅の与件を想起させよう。あるいはギャラリー空間の規定を強く意識した「JUJU」もまた、「Untitled」(92年)の長い壁体の立ち上がりも含めると、もはや内部・外部を問わぬ入れ子状態に突き進んだ。

祐成自身が、いま記したような<家的構造>を自覚していたかどうかはどうであれ、一般にギャラリー空間は家としての体裁をもっている。屋外展の場合は、無限に広がる空間を自らが確定づけ、作品を制作していかなければならないのだから、やはり家的な限定を必要とする。
このような祐成自身の大きな流れを異化していく要因が入ってくる。「Essence」(91年)「Untitled」(91・92・93年)、「RAD+STAB」(93年)にみるような、円、螺旋、楕円などの、Rの構造をもつ表現が現われる。それらは、そのギャラリーの大きさから比べてかなり<大きい>印象がある。過剰な大きさ、といっていい。ふつうの円なら円と認知する範囲の大きさを超えており、見る者の視界を凌駕するわけだから、これをスケール・アウトといってもかまわない。
しかし、これが祐成の、人を驚かせる方途としてあったわけではない。祐成の<空間把握>の、オリジナルな確定が施行されていたというべきだろう。つまり、ギャラリー空間をどう扱うかは、既存の彫刻・立体作品が指示するのとは、違った選択があるということであり、そして、知り抜かれた画廊空間にすら、<不確定性>があることが示される。祐成は、いったんスケール・アウトしているように見せながら、彼の巧みな構成によって、その空間が自律的な<親和力>を生じているように作り上げる。そのとき見る者には、世界が不動のものでないことが理解される。