コリン・ミノル「シンボルの境界」



1995年9月12日~10月7日


シンボルの境界

高島直之

コリン・ミノル、という不可思議な名を持つアーティストがいる。1970年に日本からフランスに移住し、以来パリで作家活動を続けている人である。この名はたぶん、苗字の読みが彼地では発音しにくいために、ためらいなく変更したのだと思われる。たしかにフランス風ではあるが、しかしまた特異な音の響きがある。1960年代の半ばに、パリの膠着した美術機構を揺るがすように、南仏からひとつの美術運動が起きた。それはのちに「シュポール/シュルファス」運動と呼ばれるが、コリンは、そこでのもっとも重要な画家C・ディアラやルイ・カーヌの仕事に出会った。これは20年ほど前のことであるが、彼の出発点として影響関係にあったことは無視できない。80年代半ばから後半にかけて発表された、支持体のない正方形の布地に、<面>としての意識と、カリグラフィックな手のストロークを総合させる手法は、その表われとみていい。

しかし、続行中の活動の現在にあって、それが彼の全てであるわけではない。より大きなモティベーションは、遠く日本から離れて、ヨーロッパ大陸の一地域フランスに在住し、そこで日々生起し続ける、内部・外部を問わない文化的な差異にある。ここでいう差異とは、その「差異」を差異たらしめるところの”境界”のありように関わる。
たとえば、国境。地図にこそ”境界”が引かれてはいるものの、現実に目に見えるものとしてはない。地図とは、見知らぬ場所へ行くための道具である。東西南北、あるいは山林や平野、河川などの表示には具体性があるが、国境はそうではない。少なくとも、見知った場に生き続ける者にとって地図は必要ないが、そこでは、個別に偏在化した断片としての<時間>や<空間>しか感じとれない。だからこそ人は、音楽や文学や、そして美術という「芸術」を通して、それを全体的に捉えようとし、また自らの”場”を定立しようとするのだろう。その試行が滞ると、怠惰にシンボリックな空気だけが肥大していく。そのとき、芸術を生み出す真の動機が見失われるに違いない。
コリンは目に見えないにもかかわらず、あたかも不動のもののように成立させている”場”や”境界”のありようを、インスタレーションや絵画によって「測量」しようと試みてきた。1987年の「トポロジーのレッスン1、2」では、空間や物質における同一性や異質性を定めながら、互いに越境し合い、境界が揺れ動き、かつ定着しようとするプロセスをインストールした。1990年以降の、ミクスト・メディアによる絵画シリーズでは、四角形の限定された空間が強く意識されている。正方形の場合は正方形を、矩形には矩形を基本に、淡くモノクロミックな色彩を塗り重ねながら、いくつもの四角形の生起する空間が互いに転移し合い、接触しては反発し、また親和していく。リズミカルに微振動するフレームの線は重畳し、そのとどまることのない継起の連続によって、”境界”をを踏み越え、ついに「空間」が「時間」に変えられ、流動していくのである。コリンの仕事は、つねに物質の次元と空間の次元とを交差し、それらが溶け合って、現在の「時間」が提示される。絵画や彫刻、インスタレーションと、発表形式を問わずに横断的にそれを表出してきたのは、先に記した文化や政治を生む社会空間がシンボル化し、自ずと固定化した”境界”を生み出すこと。それは制作行為を支えるあらゆる動機を変形せしめる。それに対し無自覚ではありえなかったからであろう。この一種の抑圧は、たとえば日本のような限られた空間の中で生き、アートに携わろうとすると、感得しにくい。そういった抑圧には鈍感になりやすい、というより、感じとる必要がなくなってくるからである。
本展「シンボルの境界」は総商品化し、スペクタクル化した現代社会を批判した、故ギィ・ドゥボールへ捧げる、と、コリン自身が 註釈を付しているように、日本における戦後50年の中で無意識に封印してしまった、シンボル諸事象を浮き彫りにしている。その構えは、ポリティカル・コレクトネス(政治的妥当性)を問うものとして、いわゆるPCアートにジャンル分けができるだろう。しかし彼にとっては、目に見えない”場”や”境界”の測量行為として行なってきた、動かぬテーマの一つであり、それらを、踏み越え移動し続けてきたアーティストの<ものの見方>の提示、レッスンの場の現出なのである。そこに、「シンボルの境界」を問いかける、絶え間のない振動を感じとれはしないだろうか。