渋谷和良「西風の見たもの」

撮影:小松信夫


1996年10月15日~11月9日


西風の見たもの


倉林靖

今日、現代美術、わけても抽象絵画を描こうとする者にとっては、制作においてどのようなシステムを確立するかが最大の関心事になっているのではないだろうか。描くシステム。それはつまり絵画を描くということへの自己の立場と概念化の方向を明確にするものであり、そこではシステムの発見が自己の芸術の方向性の発見だと信じられる。ところがそこではまた往々にして、芸術家が一度発見したシステムにすっかり安住しきってしまうということが起こり得るのである。本末転倒というか、画家はしだいにシステムを行使するのではなくシステムに行使されるようになり、彼の絵画はひたすらシステム内における完成度をめざすようになる。こうして、当初の探求の精神を忘れた形骸的な抽象画が量産されることになるのだが、現在の芸術界の混沌ぶりは、おそらく、もはや誰も、システムが生き生きと機能した絵画と形骸化した絵画との区別がつけられなくなっているところにあるのだ。
渋谷和良が制作を行なっているのは、そうした形骸化とはまったく対極的な地点においてであると思われる。非システマティックな意志、とでも言おうか、彼は絵画がシステムに到達する以前の地点にひたすら踏みとどまり、そこで自らの感覚に殺到してくる印象を直に表出させ定着させようとしているのではないだろうか。非システマティックとは言っても、むろんそこに探求がないわけではない。むしろ安易なシステム化を拒否している分だけ、探求は厳しいものになり、彼はキャンヴァスを何度も何度も塗り直し、重層化させていく。しかしそうした厳しい探求は、画面に、より清新な感覚を溢れさせたいという願望から行なわれているに違いない。
いま感覚という言葉を使ったが、渋谷がその作品のなかで目指しているのは、まさに、自らの感覚のなかに外界の印象がどのように刻まれ、その作用が同時にどのようにしてわたしたちにとっての世界を成立させていくのかという問題であろう。それは近・現代の美術の根源的な問題のありかを探ってセザンヌあるいはモネまで遡り、抽象絵画成立の過程をもう一度たどり直してみるという行為ではあるまいか。渋谷はここ数年、海辺のアトリエで制作することが多かったこともあり、したがってそのタイトルには海、波、水、光、森といった、いかにも印象派的な名前が頻繁に登場するが、これも単なる偶然ではあるまい。ただし渋谷の制作行為は決してヨーロッパ近代絵画という特殊な歴史の検証だけであるはずがなく、これはもちろん同時にわたしたちの感覚への根源的な問いかけとなっているのである。その根源性こそが彼の非システマティックな意志と清新さへの願望につながっているのだ。
ところで印象と感覚の探求は、単にわたしたちが世界を<主観的に・見る>ことを越えて、わたしたちの感覚と外界とが同時に、主客の応答によって世界を成立させていくという考え方も導き出す。メルロ=ポンティ的な現象学への傾きと言ってもいいし、なんなら西田哲学的な考え方と言ってもいいが、絵画への渋谷の探求はそうした視点までも含んでいると私には思われるのだ。渋谷はあるとき海辺にテントを張って夜明けまで黒々とした海やその波の轟音に対峙していたことがあったという。おそらくそのとき彼が感じていたのは、海という客観物を自己の主観が見て、感じているというにとどまらない、海や音や風がまた自己を見て、自己を成立させているという感覚ではなかったろうか。見えるものや音、香りまで、あらゆる感覚が自己存在と応答(コレスポンデンス)するという考え方はボードレールら象徴派詩人のものであったが、そこには音楽という芸術の与える大きな影響もあった。父親の仕事が音楽関係で、ドビュッシーなども好きだと語る渋谷の画面には、どこか音楽的な諧調があるように思う。そのドビュッシーの、ピアノのための「前奏曲第1巻」は、ボードレール的な「音と香りは夕べの大気のなかに漂う」や、「西風の見たもの」といったタイトルの曲を含んでいる。渋谷の絵画は、まさに風から見られた世界だという印象が私には強くするのである。