合野僚子「色彩としての筆致」

1998年4月24日~5月15日



合野僚子:色彩としての筆致


藤枝晃雄

わが国の美術においては、色彩への関心とその探求は疎かにされたままであり、これはミニマリズムの通俗化による色彩の使用の単調さによっていっそう助長された。
色彩は描かれるものとしてではなく、塗られるものとして用いられ、かつ作家の無能力ゆえにその関連性は無視される。こうして生まれた絵画において、濁った色彩が精神的な深さの徴と見なされたり、単に鮮明な色彩がカラリストのそれと錯覚されたりする。要するに、絵画は、かかる意味で形態と形式中心の具象的なもの、精神的なものであり続けたのであって、これは感性と、もっぱら芸術のための技術の欠如に起因するというほかない。

合野の絵画は、以前の作品のあるものは、意識するしないは別として、ジョーン・ミッチェルを強く思わせるところがあった。そして、今回の出品作における反復―増殖にはやはりミニマリズム、さらには以前の絵画の機械性、あるいは全面性が投影されているように見える。だが、本展の主要作は、色彩を筆致(タッチ)として強引なまでに用いて自立に向けての試みをしている。
たとえば、今回の個展の主要作である白とともに使われているコバルト・ブルーとエメラルド・グリーンの配合は、容易なようで困難な手法であるが、彼女はこの絵具―色彩の処理をわがものとし―つまり、それを彼女のように操作できる画家は多くはない―、その高められた質によって張りつめた表面を作り上げている。