沓沢貴子/山口牧子「絵画の行方」


1999年1月9日~1月30日


絵画の行方

藤枝晃雄

二人の新人を紹介する。両者の間には特別の繋がりは何もない。あるとすれば、作ることという1点だけである。
芸術創造とはついに関係のなかった美術批評家、学芸員、美術史家たちがシミュレーショニズムなどの傾向に踊らされてその意味を誤解し創造を否定するもよし。ともあれ、かかる者たちが 芸術の転換期には作品の質を問うには及ばず、芸術家の意図や姿勢が重要であるというかつての前衛主義の妄言を繰り返す。さもなくば逆に、創造否定を過去の素朴な折衷と取り違え、これをもって作品の質とする。
これらは、悪しきポストモダニズムの挿話である。しかるに、この現在の問題点とは、作品の質とは別に、作品のうちに発現する作ることの質であり、この質が芸術家であることを証することになろう。
山口牧子は日本画家である。日本画と西洋画とは区分する必要がないとは、久しく論じられてきたことである。キーワード辞典風の日本近代美術史によると、欧米 にはフランス画とかアメリカ画の区別はなく、すべて絵画に範疇化される。われわれは、この前提を認めるにやぶさかではない。日本画と西洋画の区分の不要性は、前者が後者の悪影響を蒙ったことによる。そのとき起こったこととは、前衛陶器が彫刻のなかでは少しも前衛的ではなかった事情と相似している。しかしそのマチエール、ファクチュール、色彩・・・・・・など物質的、表現的な側面において日本画の独自性は厳として存在する。
そしてこの独自性は、先記のフランス画・・・・・・など地理的な規制では捉えられないものである。日本画はその特質とそれを超える表現を所有したとき、西洋画と峻別されても少しの障害もない絵画としてその存在を誇示する。山口の作品は、その二つの段階をもつ絵画の可能態を保持している。
沓澤貴子の絵画はポストモダニズムの影響を受けている節がある。一般に、モダニズムは抽象的、ポストモダニズムは具象的という馬鹿げた分類がなされており、これが1980年代のポストモダニズムの時期に旧弊な具象画とその観衆を喜ばせたのである。もとより、沓澤は、ポストモダニズムをことさら意識したわけで はないだろう。その潮流にある絵画を自然に参照しながら、自らの形や色、イメージ、これと結合するマチエールを作り出したのであり、現在の絵画はその発芽の状態として見られるものである。