小池隆英の絵画をめぐって

小池隆英
1999年9月25日~10月16日


小池隆英の絵画をめぐって

藤枝晃雄

私が、上田高弘の示唆により小池隆英の作品に初めて接したのは、1991年のことである。そして、このとき、小池が私の組織した「絵画の問題」展(1980年、西武美術館)に関心を抱いたことを知った。彼の絵画がこの展覧会の出品者の一人、根岸芳郎に類似するところがあるのはそのせいかもしれないが、その背後にはモーリス・ルイスらのカラー・フィールド・ペインティングがある。
小池の絵画は、初期の段階では板に綿布が張られ、そこに胡粉と膠によって下地が施された後、アクリル絵画で描かれている。その結果、画面にはこの絵具の特性を活かした薄い色彩による面的な色彩表現が与えられるというものである。ここで、面的というのは、根岸の色彩の現れがしばしば映像的な幻影を有しているのに対して、むしろ物質的な表面になっていることを意味する。つまり、このことは低彩度の緑や青や茶が主色となり、それらが下地とより物体的に関連していることによる。しかしながら、小池は、この絵画以後、胡粉と膠を用いなくなり、綿布に直接にアクリル絵具を施すことによって開放された色彩表現に向かう。それは色相が多様になることも一因ではあるが、絵具の処理の吟味によって色彩が映像的にではなく、空間的になったせいである。絵画の空間性とは、所詮はつねに物質的な性質を保持しつつ、地が設けられその上に図が付加されるのではなく、地も図も存在しながら両者が緊密に絡み合うことにある。
反措定的なネオ・アヴァンギャルドは、作ることの容易さという側面をもつがゆえに、その部分が拡大されてわが国の美術界に膾灸していった。したがって、いくたびか指摘してきたように知覚・空間的なカラー・フィールド・ペインティングはまったく無視されたが、奇妙なことにこの絵画に強く感化された彩色彫刻は広く受け入れられた。それは絵画は旧く死に瀕しているが、色彩という新しい要素をもつ三次元の物体は生きているという素朴な考えによっている。
かつて論じたように、絵画はルイスたちのカラー・フィールド・ペインティングによっていったん終わったかもしれず、ポストモダンの時期にそれに代わるものとして反モダニズムの絵画が登場したが、ルイスたちに匹敵するものは何一つ現れなかった。たとえば、ゲルハルト・リヒタ―がルイスに勝るのではないのは明白である。
絵画の生死などということとは別に、絵を描きたいという衝動が滅することはない。そして、小池にとって一つの大きな契機となったカラー・フィールド・ペインティングは、いま顧みるに値しないものでは決してない。私には、この絵画を生み出した国の人々が自己認識と判断の能力を失いつつあり、つまり単なる新しさのためにそうした絵画を理解できないまま葬り去ろうとしているように思える。そうであるならば、われわれがそれを独自に再見することは無駄ではない。
小池隆英の絵画がその再見において、何かを引き出したかどうかは定かではない。だが、確実に言えることは、この現在、何かを引き出しつつあるということである。