名畑光子「絵画、この迫窮されるべきもの」


2000年3月4日~3月25日


名畑光子――絵画、この迫窮されるべきもの

藤枝晃雄

ある媒質が海外で台頭すると、多くの作家(?)たちがこれまで手がけていた媒質を捨ててそれに移行する現象は今もなお継続している。
たとえ ば、コンセプチュアル・アートから絵画へ、絵画から写真へといった変化は、かつての油彩画の導入、日本画の復活にまでさかのぼることができるが、現代ではこれがきわめて容易な形でなされている。この場合、海外でも芸術を解せる者など滅多に存在しないのに、小フェノロサたちに評価された美術家たちが無批判に(再)評価されるのである。 媒質の興亡は、素朴きわまりない物質的な余りに物質的な、唯物論的原因によって説明されるものではない。マルセル・デュシャンの、絵具もまた人工の既成品で あるという見解は、絵が自在に描けず、しかし反一芸術が意義を有すことができた時代の詭弁である。絵具はまったく絵画のためのものであるが、それ自体では 意味をもたない点できわめて物質的である。それだからこそ、絵画はこの物質に厳しく対処することで成立する。
ここに展示する名畑光子の、色彩―肌理とほとんど隠されたイメージを主要素とする絵画。それはつかの間の絵画ではなく、追窮された、そしてさらにそうされるべき絵画である。私は、かかる作品群が相も変らぬ美術状況に対向することを願う。