フェリックス・シュラム「<見ること>と<眼を閉じること>」


2000年9月15日~10月6日


<見ること>と<眼を閉じること>

高島直之

フェリックス・シュラムの仕事にまず興味を抱いたのは、そのインスタレーションとして示される空間が、建築的なるものや、それに呼応する生理的身体の、さまざまなファクターを遍在化したまま喚起させようとする点にある。そこに設置された空間の、瞬間と偶発性の連続において、つねに「生ける現在」を体験させる。たが、それはひとつの生の充実した経験ではありえず、想像の領域と情報の領域とが融合・反発する<場所>として提示される。そこでの最初の視覚的印象は、嗅覚や聴覚、触覚を含む身体の総合感覚によって凌駕されるだろう。この、解体と変容を同時に予感させる「状態」の提示は、精神と物質、日常と非日常、個的想像力と公共性、主観と客観、といったものを宙吊りにしていく。そのようにして、シュラムの仮設空間は、現実と芸術との境界を覚醒させる次元でありながら、「生ける現在」が<通過する場所>であるにすぎないことを示唆している。「見ること」と「眼を閉じる」ことを同時に要請する、きわめて知的で、かつ実践的な表現であるといえよう。
今回の発表は、1998年にデュッセルドルフ国立美術大学で行なった、部屋や通路全体を使用し構築したインスタレーション≪CUL DE SAC(the dead end 行き止まり)≫に次ぐ大きな作品である。この「行き止まり」は、あたかも閉じられた空域を設定してはいるものの、人々の精神生活の位相におけるさまざまな欲求を、音や光、そして身体を貫通する実践環として表わすことで、その先の「可能性」を暗示しているといえよう。それらは<物質>として互いに結びついており、深い影響関係にある。彼はそれをイタリアやドイツで試行してきたが、日本での、伝統的住空間にみる非構築的でフレキシブルな壁(襖や障子)の存在や、室内光の導入の可変性といったあり方に強い示唆を得てきている。今回の発表作品において、彼の持ち味といっていい禁欲的で抑制された手つきのもとで、モノの豊穣なイメージを誘い出し、新たな心境を観客に問うていくたろう。