田中功起「隠れ作業」

撮影:小松信夫



2001年5月25日~6月15日



 隠れ作業

高島直之+田中功起

隠れ作業(perruque)とは会社/工場の中で自分のための内職をすることを指す。そのとき彼は労働に従事しながら、就労の時間から自由である。そして彼は自分のための品物/作品をつくる。会社/工場勤めの中で彼は同じ場所にいながら自分のために少しばかりの時間/物品を使う。そのとき彼は彼であり、彼でない。さまざまなマテリアルは利用され、作り替えられる。それは冒険のための道具になることもあれば、ゴミ同然の代物になることもあるだろう。

仕事をする/作品をつくる。その経験は誰の経験なのだろう。


ぼくたちはもはやひとりではない。なぜなら仕事をする彼も、そこから自由な彼も、同じ肉体に棲まう反対の声だ。ならばぼくたちはぼくたちのさまざまな考えの赴くままに、いくつかの自分をそのままに組織するほかないのだろう。あるいは偽りの個人の名に自分を無理矢理閉じ込めて語るしかない。
名前を重ねる/連ねること、それはぼくたちをぼくたちから解放する一つの手段だ。ふたつの顔ではむしろ少なすぎる、たとえばそれは数えられない/きれない声を持つ怪物として現われるだろう。



 ぼくたちは、出来事の、その一切を経験していると言えるのだろうか。すべての出来事は、つねにその細部を忘却され、再構成されることによりひとつの経験となる。その出来事に付随するまったくの偶然も、仕組まれた罠も、すべては整理され、飼い慣らされてしまう。怠け者のぼくたちの思考は、それでも未整理なままの経験をも持ち合わせてはいる。その乱雑な記憶の中にこれまで忘却してきたあらゆる素材は見出されるだろう。
そしてぼくたちはその矛盾の中で「隠れ作業」をし続けるのだ。それはもはや会社/工場内の出来事ではない。そのときぼくたちは、あらゆる場所に「作品」を見つけるだろう。それらが「作品」であるという保証が、例えなくても。