窪田美樹「<切りとること>と<配列すること>」

2001年10月19日~11月9日



 <切りとること>と<配列すること>

高島直之

切りとることと配列すること。この方法論は、キュビスム以降の美術の近代的作法を包括するものといえる。しかしまた、このことはR.バルトが構造主義の本質的なアプローチを指した言葉でもあった。人類学の「神話素」や言語学の「音素」の探求から導き出されたのだが、こんなことを言い添えている。最初に与えられたオブジェに、切りとり作業をほどこすということは、その中にいくつかの可動な断片を見出すことであり、その断片自身に意味はないが、それがどこに組みこまれるかで、変動を起こし全体のある変化を生じさせると(『エッセ・クリティック』晶文社、1972年)。この分解と再構成の手つきは、窪田美樹のこのかんの作業方法にあてはまる。とりわけ、既成の印刷された写真を切りとり、除外された空白を手描きで埋めていくドローイング作品をみれば明らかだ。そこでは物理的なヴォリュームではなく、認識としての、あるいは関係としてのマッスをあぶりだそうという意識が露出している。そこで彫塑的立体とは実体でありつつも、そのポジとネガが反転するような隙き間としてのマッスは、見る者にとって非実体的な「関係」の産物にすぎないことを表明しているのだ。

すでに誰もがいうように、現代はテクノロジーの発達によって、モノの成り立ちの原点を日々感じとることが困難になっている。しかしなお、空間を把握する能力が問われているだろう。そのとき、無媒介に直観能力に頼るということは不可能だ。このとき既にあるイメージを手がかりにして、観念ではなく身体で触れ、具体的なモノ作りを通して「存在する形」を対象化する必要がある。窪田美樹の仕事はその可能性を秘めており、その断片による分解と再構成によって、日常に支配された意識から逃れ去る、一瞬の示差的イメージを顕現させている。切りとり配列し直す、その変異にあってこそ美的感覚が発生する。