ギャラリートーク

真島直子 × 秋山祐徳太子

2003年5月12日(土)


■「腸閉塞」―腸の中に自分のオブジェがいっぱいあった


真島: 秋山さんはつい最近、去年「泡沫列伝」っていう本を二玄社から出していて、その中に私の事も書いて下さって、泡沫の一員に入れていただきました。光栄というか、何やってもいいという烙印を押されました。
今回は新作を中心に出しているんですけれども、古いのも少し出しています。あとは鉛筆画も少し出しています。
実は私は、腸閉塞で入院しておりまして、一昨日退院してきました。

なんだかとんでもないことがいつも起こるようになっていて、考えてみたら地下鉄サリン事件の時も展覧会をしていて、次はどこかの考古学者がねつ造した時も展覧会会期中で、今回はなんだか白装束で、自分が腸閉塞でついてるんだかついてないんだかわからないということが起こってます。
腸閉塞をやって、腸の中をレントゲンで撮られたんですけどそこで一番驚いたのは、その腸の中に自分のオブジェみたいなものがいっぱいあった事です。なんでこんなものがあるのかって驚きました。小腸からだったんですけど、いつの間にか自分なのかわからなくなってしまいました。

秋山: オブジェと同じものが出たってすごいねえ。

真島: 本当に驚いた。それが私の中だけにあったのか誰にでもあるのか知らないのに、私がそういうものを知らずに作ってて偶然出会ったのか。特に小腸から出てる大きな曲線のかたまりが、今回出品した作品とまったく同じ形してるの。

秋山: 聞いたんだけどビールとか、泡があるものが、腸閉塞にはだめらしいんですよ。ということは泡沫が敵であって、やっぱり泡沫は閉塞ではないんだね。

これははじめに喋っちゃったほうが勝ちだから言うけど、閉塞芸術、腸閉塞ね、「閉塞芸術」っていうのは、これはいいなあと思ったんですよ。ひとつはイラク戦争でフセインを封じ込めるための閉塞状態、そしたら今度はSARS。あれはもう完全に閉塞させちゃうわけでしょ?

病気を持った人を捕まえて。それから真島さんは前の展覧会で時、ねつ造事件でしょ?今は白装束だ新型肺炎だか、全部閉塞。で、結局自分も閉塞になっちゃった。閉塞芸術に。そんな中で展覧会!やっぱり真島さんちょっとカルト的なものを呼んじゃうんじゃないの?

真島: どうなんだろうね。大体自分では世界分裂教というのを作りたいなとは思ってるけど。でも、宗教勧誘が何度もしつこいから「実は私ね、隠してたんだけど私が教祖だから入るわけにはいかないんですよ。」って断ってるんですよ。いろんな宗教勧誘きますよ。

秋山: 俺、一度も来てくれないんだよね。

真島: 私はなんだか知らないけどよく来ますね。

秋山: 真島さんはなんか不思議な人なんだよなあ。カルトじゃないけどそういう人たちに近いっていうか…不思議な人です。あなたは。生きてるだけで薬害っていうかねえ。何かがあると思うよ。

真島: うーん、だからそれが腸の中にあったんじゃないかっていう。

秋山: 腸の中に虫ができちゃったんだよ。映画であったじゃない!あなたエイリアンなんだよ!コレは言ってみればエイリアンアート。

真島: うん、それくらい面白い方がいいね。あんまりガチガチになってモノを考えても大して面白いこともないしね。だからなるべくずれて行けたらいいなっていうのはあるけど.

■「美術」―ハチャメチャな方が面白い


秋山: バングラディシュで賞取っちゃったんだから凄いねえ!真島さんが貰ったのは非常に権威ある賞だから。バングラディシュにオブジェ持っていけば良かったんだよ。持っていけなかったんだよね?

真島: そうじゃなくて、オブジェは断られたの。

秋山: いいねえ?!!!要するにね、これ受け入れる国家はないのよ!だって世界が閉塞を拒否するんだから、これ持ってると閉塞効果になっちゃうわけよ。バッグラディシュだって滅びちゃうわけ。だから怪奇芸術とかスカトロとかめちゃくちゃ言ってるわけよ。

でね、真島さんが引っ越した時に色んな人が来てね、ある親分さんが来たんですよ。それで真島さんが、「組の事務所開きに芸術作品はいるでしょう、オブジェあげます。」って言ったら「いや、俺は断る。」って。ヤクザも断る。もうこうなるとこんなに拒否されるアートもないわけ。勿論刑務所だって断るわな。凄いですよ。

真島: だから今回は久しぶりにオブジェを展示できる機会があって、良かったなと。鉛筆だけやってるとそれこそ閉塞状態だから。

秋山: 生きてるうちに凄いガーンといく人がいいよ。最近はビルの前に建てたとか彫刻さあ、みんな同じ積み木ばっかりで、これが芸術?って言いたくなるじゃん。もっといやらしい汚いなんでもいいや、それが入り口とかにあったら、不潔なんだけど何か…

真島: わかります。美術をどうしてやってるか、って聞かれるとしたら、あえてどこの種類にも属さないで済むだろうっていうある種のいい加減さが許されるんじゃないだろうか、っていう。

秋山: それは一番楽なところにいるね。俺は文学は死んでると思ってるから、美術はなんでもやれちゃうね。

真島: だって自分の脳から出てきたものなんだから。生きる、ってことが美術なんだろうと思っちゃう。それじゃなかったらいらないんじゃないかって思う。社会の規範の中に入ってるものならわざわざ美術をやることはないと思うんですよ。

秋山: この歳になると仕事するぞ!っていうより仕事しようかな?みたいになるんだけどこれが楽しいんだよね。

真島: そういうのも美術の名目に使えるっていう(笑)

秋山: 俺は今自叙伝を書いてるんだけど、自分で嫌なんだけど、文章にする時にかっこつけようとするんだよね。いやらしい。それで進まないの。失敗した紙がたまっていく。でもそうすると、無駄と言われてる純粋なエキスがアートなんだ、ってことみんなわかってないんじゃないかと思って。遊ぶことも喧嘩するのも無駄でしょ?無駄を無くして自分が、って人はアーティストだと思ってないから、つき合いたくもない。顔も見たくない。ごくろうさん!…いっぱいいるけど政治の世界じゃないんだからもっとさあ。

真島: 折角だからハチャメチャな方が面白いよね。強制されて作ってるわけじゃないから。みんなが同じ方向向いてるときに違うところ向いているっていうのが面白い。

■「アートと死」―スーパー閉塞

秋山: ここに鉛筆画があるけど、これ、イラクかなんかに持ってっちゃえばいいんですよ。ぼーんと持って行くとこれは化学兵器!だって天然痘だもん。これ持っていくだけで兵器になっちゃうんですよ。見ただけでこれが肌にうつったらねえ、凄いよ。
アートってさ、自分が見て距離感があるから楽だと思ったけど、アートのやばさっていうのはダイレクトに自分の心の中に撃ちこんでくるとか、病気にするとか、殺しちゃうとかそういう殺人兵器的なものは何もないわけ、今まで。だけど、距離があって美しいとかへちまとか言って、その中でアートと自分との関係を眺めながら美しい、とか言ってるわけなんだけど、破壊兵器とか出てきたんだからアートも破壊したっていいわけなんだよね。

だってそもそもアートを破壊する、反芸術とか言ってる奴が反芸術やってないわけよ。俺口を尖らせて言うけど、アートがもっと武器になったっていいんじゃないかなって気もあるんですよ。そこで真島さんが一番悪い人!人殺し。

真島: 人殺し(笑)!いやこれを作って自分が死んでるようなものですよ。あんまり美術の枠でものを考えているとやる気力なくなっちゃうんですよ。美術の外れの方でものを考えている事の方がやる意欲が出てくるんですよ。

秋山: すごいよ。アートがこれだけ不気味ってのは大したもんよ。

真島: 自分でも長い間作ってて、オブジェのほうは嫌がられてるんだけど、どういうわけだか鉛筆画のほうは皆が多少は毒気がないと思われて、なんとなく受け入れられやすいんですよ。ただ、オブジェは皆に忌み嫌われてゲロみたいに思われているんだけど、これをやっていないと自分自身とバランスがとれないところがあるんですね。

日々、作っちゃうタイプで頭使うのがどうも弱いらしいね。大体、カラダを作ってる感じなので、だからレントゲンなんかにこういうオブジェみたいなのが写っちゃうのかなあ、と思ったんですけどね。

秋山: 本当にこれは、スーパー閉塞って名付けたんですね。スーパー閉塞芸術、かな。スーパーっていうのは超(腸)ですね。俺だって68だからそろそろどういう死に方かなあって考えてるよ。死とアートって言うのがいろんな意味で討議されてない。
死に対してのこだわりは美しいですね。ゴッホにしても何にしても死に方は一人一人全部違うんですよ。

でも夭折は嫌いなの。早く死んだからどうなるとか有名になるとか、死んでからアーティストを評価するとかね、あれも下らないんだよ。生きてる時に、天然痘の絵画描いて何人殺したとかね、ただ見るだけで死んでいくんだから楽ですよ。病院行かなくていいんですから。
いいですよ、入院費はかからない、介護費用は払わない。残酷な言い方だけどこういう時代になったら、見て即死ねる!

真島: やっぱりいつも人間にとって都合のいい部分だけで生きられないって事ですよね。だから美術も、私は人のいろんな話聞いてると、美術っていう世界だけで納得している美術っていうのもおかしな話だな、って思うんですよ。

秋山: 美術の中の美術ですね?

真島: うん。だから秋山さんの面白いところっていうのは泡沫列伝にしても、あの中に出てくる人で美術やっている人はごくわずかですよね。

秋山: そう、数人しかいないね。

真島: あとはいろんなことやってる人。だけどそれが面白いんですよね。そこに目を向けて泡沫ということで秋山さんの人に対する見方そのものが本の中にずいぶん出てるので、ああいうものの見方が美術にはなさすぎますよね。

秋山: でもね、泡沫って書くと馬鹿にされるんだーって思う人もいるわけよ。でも、篠原有司男は「俺は世界の泡沫だ」って受け入れてくれるんですよ。わかってくれてくれてるんだよね。

真島: 泡沫っていうのは褒め言葉ですよ。これくらい小気味のいい、ひとつの決まりきった大道を歩いてるのをいかにそれをひっくり返しながら別のものを見つけていけるエネルギーっていうのはすごいことなんだよね。まあそれを意識しなくて動物的な嗅覚で人間が動いてる感覚を面白がれる様相が少なすぎるんだよね。

秋山: 真島さん昔、「津軽シャーマンと東京忍者のからみあい」の時真島さんの作品で太い透明ビニールの…ヤマタノオロチみたいなのがあってね。この時これは腸を作ってる人だなって思ってね。その前に田村画廊でもやらなかった?

真島: あれも「津軽シャーマンと東京忍者のからみあい」の第一弾なんですよ。あれは床に布海苔を全部敷き詰めたの。だけどだんだん日にがたってくると、固まって腐ってくるの。海苔だから。ところがね、そこは歩くところがごくわずかだから、中には間違って布海苔の中に足を突っ込んじゃう人がいるの。でね、抜けなくなっちゃって、靴が布海苔の中に入ったままになっちゃってるの(笑)。

秋山: でもそれ意識してやったわけじゃないんだよね、だから面白い。で、ギャラリー川船さんでやったときにもっと凄い作品があったわけ。ところがね、オモテがこういうちょろちょろっとしたの出してね、それで「もっと何かあるんじゃないの?怪奇芸術」とかいってドア開けたらね、隠してあるの。

見ると卒倒した、とか言ってるわけ。凄いよこれは臓物だよ!そういうことやる人って日本の長い歴史の中でこの人っきゃいないんだよ。伝染病芸術だよね。本当に偉いです。ご自分から芸術になっちゃうんだから、腸閉塞。こりゃ、腸閉塞ったってねーなりたくてなれないよ?名前がいいよ、スーパー閉塞なんだから。だって美術館や日本国家が全部閉塞なんだから。

■「戦争」―フセインの健在なり

秋山: ごめんなさい、暑いんでちょっと脱いでいいですか?今日、制服着てきちゃったんですよ…(シャツの下にフセインの軍服)

会場: フセインだ!(爆笑、拍手。)

秋山: 余はフセインだ!東京に真島さんいるんで呼ばれたわけよ!

真島: これ、作ったの?(肩のものを指して)

秋山: そうそうそう。ボール紙で。服は古着で作るの。でね。これオランダ製なの。オランダの国旗の絵なんだけど、調べたら三つ星書くとイラクの国旗になっちゃうの。

真島: じゃあそれで星は自分で描いたの。

秋山: そうなんです(笑)。アメ横に行ったら1800円とかそこらで売ってて、着る奴誰もいないんだって。店員さんが「なんですか?」って言うから「いや実は芝居に出るから、フセインの恰好欲しいんだよ」って。そしたらピッタリよ!なんかおかしいねこんな戦争も。

情報相ってのは最高にポップね。ガーッってあんなに攻められてるのにあれはアメリカじゃないとか言って。で、いくら探したって棺桶でてこないし、フセインも出てこないの。

今さ、名前は言わないけど反戦デモの電話かかってくるわけよ。そういう徒党組むのはやめましょう。俺はアーティストがもっと独断であり、もっと残酷であるし、自分をもっと強調してそういう和を作ってつけあがらせやるような事はやめましょう、と。
俺は全部断って、これで横浜歩いたの!すんげえ人気なんだ。結構握手が。昔からパフォーマンスとかは危険性伴ってないから大嫌いなんだけどさ。

こっちも毛沢東の前でやったり、捕まったりね、ここでフセインの健在なりとかやらないとだめだよ。みんな死んでると思ってるんだよ。

真島: 戦争が終わったとは言ってないものね。

■「白装束」―最高の現代美術

秋山: ところで、白装束は不思議ですよね。思ったんだけどあれを警察があけたら中にいたのはミイラだった!っていうのは最高のアートだ!。しかも10年前のミイラだったとかだったらねえ、それはもうすごく期待してたんですよ。そしたら生きてる人だってねえ。

真島: 白装束にしたって面白がってりゃいいと思うんだよね。そんなに危険集団でもない気がするんだよね。違うことやっている人間がたまにいてもいいんじゃないかなって。妄想を掲げている人間がいるってことは逆にまだ救いのような気がするんですよ。

秋山: 現代美術としちゃえば良かったのよ。カルトっていうのはオウムの事件があるから麻原になっちゃうからね。現代美術やってるのに国家権力がなんで介入するんだ、って言えばいいんですよ。もっと滅茶苦茶やっちゃっていいんだよ。
その上、白い布に蒔かれた猫が出てくるんだよ。考えによっちゃ最高の現代美術だね。どうせ世の中なんでもいいんだ、壊れたって。あれはね、惜しいね。

真島: あんまり前向きじゃないところがいいね。

秋山: でも綺麗すぎる。声明文出したり、ごちょごちょと。あれは現代美術で文化の為に戦ってるんだ、って戦うからって小道具使っちゃいけない。文化のために。で、あの辺でテキ屋さんなんかが飴売ったりなんかしてね。白い飴だよ全部。白以外は困ります、って絶対面白いね!凄いよね。木も全部白だもんね。

真島: いっそのこと山まで白くしてくれりゃいいんだけど。

秋山: うん、全部やった方がいいよ。それで誰かが写真撮って…俺いずれあそこ行って写真撮ろうと思うんだけど、みんなで写真撮ろうよ。頭のいい現代美術家だったらやるよ?あれをバーンってとって組写真で展開させて、あれは実は私の作品なんだ、って言っちゃえばいいのよ。どうせ美術の世界なんて悪く言うと、ろくでもないのよ、狭いの。

■「大学」―工藤哲巳流の改革


秋山: ひどいもんで、武蔵野美術大学もねー閉塞しちゃってるんだよ。美術学校でもなんでもないんだよ。もっとこう閉塞をうち破るのが美術学校なのに、閉塞の中に入っちゃったまんま安定圏にいるわけ。これじゃマニュアルに押し込められちゃってさ、大物がでないね。俺等で終わりだな!その点、工藤哲巳さんはいいことしたの。あの人は一種の今で言う工藤流の改革を一生考えていた人だよね、芸大をね。それは凄いな、と。あそこまでできる人はいないよね。

真島: やっぱり一時期、みんながなんで工藤さん程のアーティストが大学の先生なんかになっちゃったんだろう、ってガッカリしてる意見もいっぱいあったけど、彼は大学の中で自分の出きる限り暴れてやろうって。芸大の中でね、先生達がクラシック聞いてるか、ジャズをアトリエで流してるんですって。工藤さんはね、浪曲(笑)。あとね、変ないやらしい歌謡曲…いかがわしそうなのを最大ボリュームでかけるの。
要は自分で聞くんじゃなくて、アトリエの外を通る学生に聞かせてるの。それで、クラシックやなんかに酔いしれて「芸術は高尚なものだ」っていうそういうバカには美術できない、そんなんじゃないんだ、って思ってね。
わざわざ一生懸命浪曲のテープ探してね。私も一緒に探しましたけどね。あと教授会があると、私のアクセサリーを全部借りて、全部つけてね。頭も坊主でしょ?そこに香水を聖水のように振りかけるの(笑)。
それは学校にショックなの。一歩も二歩もひくんですよ。そういう学校の中だけにいる閉塞で、しかも温室でなんだか外で戦いもしないようなアーティストじゃ、アーティストって言えないからね。

秋山: それはもう保険がかかっちゃってるから。人生に。

真島: 徒党を組まないで自分一人で抵抗するところが、偉いと思いましたね。そういうのは学生にとっては、何かの影響はあったんじゃないかな、って思うのね。そこが彼が来た意味を示したと思うのね、短い期間の中で。

それは作品を作る姿勢も同じだよね。それでね。学生にあんまり親切じゃないのよ。何故かっていうと、「ライバルだ」って。

ライバルに教える必要はないっていうんですよ。それは凄く学生にとっては幸せなことなのよ。普通だったら先生に教えて貰う、上下関係でしょう。ライバルだったら対等ってことなのよ。

秋山: 学生を尊重してるね。バカにしてないね。一番親切。

真島: それだけ彼が学生も作家であるってことを意識をしてるってことですよね。「作家なんだから人に聞くんじゃない」って感じですね。

秋山: 僕はでも工藤さんで凄いのはね、芸大行った時に守衛さんに「どちらさんですか?」って職務質問されたとこだね。やっぱりあの異様な…でも感じが異様でも芸術だのなんだの教える先生がふんぞり返ってても生徒が可哀相だもん。
しかし武蔵野美術大学も少しずつ良くなってくるよ、ガンガンやる。この作品で(今年度のαMプロジェクトを)オープンていうのが凄かった。もっと無難にやるのかと思った。やっぱり無難っていうのは芸術じゃないんだよ。