富田勝彦「艶淨」

写真:「淨」Series 2003 パネル(172×82)、綿布、アクリル、特殊蛍光塗料

上:陽光(蛍光灯)
下:月光(ブラックライト) (C)Katsuhiko Tomita



2004年8月30日(月)~9月8日(水)


 

青い光

児島やよい

青の発光ダイオードが巨額の特許出願料で世間を賑わしたことは記憶に新しい。ニュースによって初めて、発光ダイオードの青色とは画期的な発明であるということが知られるようになったわけだが、「青い光」を作り出すことはそれほど、難しかったのだ。そういえば、青い絵の具の発明も19世紀の画期的な出来事だった。科学発明が、絵画の歴史を大きく転換させた。

富田は「青は自分にとって特別な色」だという。

白やピンク、黄色やオレンジの、艶やかな百合の花が濃い青の中で息づいている。『艶』シリーズで富田はインターナショナル・クライン・ブルーを地色に使い、さらに花を特殊蛍光塗料で光らせている。クライン・ブルーのほか、金箔や銀箔を地に置いた作品もあるが、銀が時間の経過とともに光を鈍らせていくのに対し、金とブルーは不変の時を刻む。やがて朽ちていくはずの花が、青の中に永遠に閉じ込められ、不変の姿を得ているようだ。「蒼空に憑りつかれた」クラインのトルソのように。

『浄』シリーズではさらに、特殊蛍光塗料によって花が昼と夜、二つの顔を見せる。紅蓮の花がブラックライトの藍色の闇の中に輝くさまは、いつかプラネタリウムで観た星空のように人工美で人を魅了する。

富田が追求してきたのは、作品が置かれる「場」を、観る人が自然の中に身を置いたかのように心地よく感じる空間とすることだ。それゆえ、その「場」においては、そこがどの方角に面していて、太陽光がどこから入るか、といった自然条件や立地を考え抜いた上で展示方法を決定する。作品に合わせて音(音楽)も流す。つまり、絵画的手法を追求していくのではなく、インスタレーション、いやむしろ環境体験型空間を、絵画をきっかけとして追及しているのではないだろうか。

そうした作品づくりには、彼がアフリカやアジアの各地を旅してきていることが大きな要素として作用していると思われる。その地を訪れ、その場に身を置くことでしか感じることのできない、造形の奥に有るもの。フィールドワークを通してそれらを次々と感じ体に蓄積してきた富田が、自らのバックグラウンドである日本の空間を創出したいと思うようになったのは、必然なのだろう。

富田の絵の、アクリルや箔を使った平面的な画面構成、また草花や庭といったモチーフは琳派を思わせる。彼が日本の中でも特に、京都に強く惹かれるということと無縁ではなさそうだ。空間の環境造形を考えていくうちに、大胆で、現代的とさえ言える尾形光琳、俵谷宗達のデザインセンスに共鳴する部分は、おおいにあるだろう。

ギャラリー空間を満たす、『艶』と『浄』の光と影。その空間に包まれることを想像するとき、私は空の青、海の青で満たされた地球のことを思う。はたして富田は何を思うのだろうか。

ギャラリー・トーク 富田勝彦 × 立花義遼 × 児島やよい