多和英子 「-Welding-」

写真:「Welding698 time」2003, 鉄 420×190×110cm
(C)Eiko Tawa



2004年9月10日(金)~9月18日(土)


 

風をはらむ

児島やよい

鉄の彫刻といえば、重くて大きく量塊感があるものを思い浮かべる。だから鉄にずっとこだわっている多和が、「風に揺らぐような、ふわりと立つような」作品を創ろうとしている、と言うのに少し驚いた。そういう表現をしたいのなら、鉄でなく別の素材にしたほうが良さそうなものだが、彼女は、鉄にはそういう質があり、どうしてもそれを引き出したいのだと言う。「立派な、堂々として威圧感のある姿ばかりではなく、華奢な鉄質もあるはずだ」と。

多和は鉄筋などに使われる直径6ミリの鉄棒を一本づつ、溶接していく。幅30cmになるまで、どれほど時間を要するのだろう。気の遠くなるような、根気のいる作業だ。この作業を経て、工業製品として成型された鉄が、違う表情を見せる。「一度溶かした鉄の性質が自分の身に合うようになる。だから溶接はおもしろく、心地いい。」多和にとってそれはまるで料理をしているような感覚なのだろう。イメージした味に、確かな手順で近付けていく。その過程で偶然に生まれる新しい味。偶然と必然が、創作には必要だ。

自分が日常、産み出していること、感じていることを作品にする。女性特有の感性、たとえば毎日の料理で発揮される合理的で現実的な考え方と、鉄の彫刻とが結び付くとは、誰もがあまり考えたことがなかったのではないだろうか。しかし、「自分の創ったものと、自分との距離」を強く意識する多和の彫刻は、「溶接」というプロセスを面に刻みつけ、独特なマチエールとして獲得している。片面だけにみられるそのマチエールが、裏面の平板さを対照しながら、熱を宿し、時を物語る。

今回、多和が新作として発表する作品は、立て掛けられたり折り曲げられたり、いずれも風をはらんだような曲面を見せる。それはリチャード・セラの空を切るように鋭い孤ではなくて、布団や紙を畳んだような鈍い曲面になるだろう。愚直とも思えるような果てしない作業を続けて、多和は鉄に彫刻としての確かな存在を与える。鉄の彫刻は、人間と物質のかかわるひとつの究極のかたちではないかとさえ思える。

「風が欲しい。」
多和が溶接を続けるその先にあるものは、風を受けながら立つ、人間の姿なのかもしれない。

ギャラリー・トーク 多和英子 × 児島やよい