アーティスト・トーク

鈴木明 × 山田正好 × 岡部あおみ

2005年10月22日


■手探りではじめた建築のワークショップ

岡部あおみ: トークを始めさせていただきます。山田さんと鈴木さんは今回の展覧会で始めてお会いすることになったお二人です。山田さんはフランスで活動していますが、都市に残されたものを、使いながら作品を作っていたり、鈴木さんは、新聞であるとか、あるいはどこの場所に行っても見つかるような素材で「すみか」というテーマで制作しています。お二人に共通点があると思い、二人展をお願いしました。ではまず鈴木さんの方から御自分の新聞紙のドームについてお話を伺い、その後、山田さんの方から今回の御自分の作品についてお話頂きます。では、鈴木さんよろしくお願いいたします。

鈴木明: 「新聞紙ドーム」は見ていただければ、作り方も材料も分かってしまうものです。なにしろ、アート作品として出品させていただくのは初めてなものですから、このような立派なギャラリーに置いていいのかなという戸惑いがあります(笑)。そもそもアートというものは、何か神秘的なところがないとありがたみがない。このように底が割れちゃうものが、果たしてアートとして見てもらえるのか不安があるんですね。とはいえ、意図を少しだけお話させていただきますので、どうかおつきあいください。
初めにこの新聞ドームをつくったきっかけは、目黒区美術館で子供向けのワークショップを行ったときでした。もともとぼくは学校で建築の勉強をしましたが、卒業後は建築を建てるのではなく建築の雑誌や本をつくったりしています。外国でそんな自己紹介をすると「それも建築をやっているのだ。だから、きみは建築家だ」なんて言われたりする。建築というジャンルは奥が深いなと思う所以です。
子供の時からそのような建築というジャンルというか、文化に親しんでいないと、大人になってから急に「建築はすばらしい」と言われてもとても通じないな、と常々思っていましたから、美術館で建築のワークショップを、と声をかけていただいた時、すぐ引き受けたのが、子供を集めて建築のワークショップを手探りで始めるようになったきっかけです。
さて、一言で建築のワークショップと言ってもいろいろやり方はあると思います。家の絵を描かせたり、模型をつくったり、有名建築を見に行ったりというように…。でも、ぼくの場合は「実物をつくる」、つまりひとが入れる大きさの家というか、小屋をつくるということにこだわり続けています。
ワークショップは長くても2~3日ほど。大自然のなかでやらない限り、本格的な建築をつくるのは難しい。まち中の美術館のプログラムでは、たいていは自分の家にあるいらないものを持って来てもらい、それを使って、なんとか「ひとの入れる小屋」をつくるということをやっています。
ところで、子どもにいらないものを持って来いと言うと、かならずお母さんが持たせるものがあります。それは牛乳パックとクリーニング屋さんの針金のハンガー、そしていらなくなったビニール傘です。これは構造的に強いドームの形にしようとしてもなかなか難しいものばかりです。それでもなんとかパズルを解くように、ゲーム感覚でかたちにして作っておりました。

そんなことをしていたら、子どもを迎えにきたお母さんがきて、「面白いですねえ。家に古新聞が山ほど溜まっているけれど、これで家を作れないかしら?」って言うんです。

新聞紙で家を作るなんて、まさかそんな無茶なことあり得ない、とその時は思ったんですが、やはり気になっていて、子どもがワークショップをやっている片隅でいろんなことを試していたんです。
新聞ドームを「家」と呼べるかどうかは別として、なんとかひとが入れる大きさのドームを完成させるまで、何年もかかっています。見れば分かるようにブロックにして積んでいるだけですから、こんなバカバカしいことを今までやったひとはいない。それから、ここに集めた新聞は3.5トンもの量がある。ぼくらが今座っているソファの、座の部分が大体新聞の朝刊200部ですから、6カ月分もある。
つまり、古新聞といっても膨大な量を使っている。これだけの古新聞を集めるだけでも大変なことで、実現にいたるまで時間がかかりました。おそらく構想から、5年くらいかかっているんです。
作品の説明と言われても、このような物理的なことしか話せなくて、すみません。いずれにしても、みなさんにお願いしたいことは、とにかくなかに入ってみて欲しい。こういう小さいスペースに入って遊ぶことは、おとなになるとほとんど機会がない。そんな経験をしてもらうことが意図と言えるでしょうか。まあ、そんなようなことを考えて作りました。

 

■旅「ボワヤージュ」を求めて

山田正好: 素晴らしいスピーチの後に、私の方の説明をするのはちょっと難しいんですけれども。
私の場合、結局は、旅の中からアートが生まれています。その最初の旅が1973年で、フランスに行きました。そこから私の外国での旅が始まったという感じで、それから旅がずっと続いている。今回ここでは、鈴木さんと共同の場所を作れて、何かオアシスみたいな感じがします。見てもらうと、人間がいっぱい出てきます。
今、三つの単語を挙げてみたいと思います。先ず、「旅」ですね。そして「風景」があり、「ひと」人間です。フランス語では、まず「旅」は「ボワヤージュ」、分けて言うと「ボワ」道という意味ですね、そして「ア-ジュ」が年で、つまり時を経た道、それが「ボワヤージュ」旅ということです。二つ目は「風景」、「ペイザージュ」です。「ペイ」は国、「アージュ」はやはり年で、リエゾン(二つの言葉を連関される)して「ペイザージュ」、時を経て生きてきた国ということで、それが私にとって風景という感じがします。そして、三つ目に「ひと」。ひとは「ペルソナージュ」といいます。「ペルソンヌ」はひとです。「アージュ」とつながって「ペルソナージュ」で人格ということになります。兄弟格でもう一つ「ヴィザージュ」があります。「ヴィ」というのは生活という意味で、「ヴィザージュ」は時を経た生活、それが顔でもあり、人間でもあるのです。その三つの言葉が連なっていくのが、私の仕事です。
私の場合、常に人間が出てくるんですが、ひとを作るのが好きなんですね、それが困るんですけど、ひとがどんどん増殖していく。その増殖を止めるのも、ものを作る人間にとっては大切なことかもしれないと、自分に言い聞かせているんですが、またどんどん増殖していく....。同じ人間でも四つん這いの形をしている。どうしてこんな形が生まれてきたんだろう。すごくプライベートな話ですが、私の母が今年の1月に亡くなりました。彼女の最後を見ていたら、やはり四つん這いだったんです。ドキッとしました。やはり、母というのはいつも美しくあって欲しいとか、頭の中で消せないイメージがあるんです。四つん這いは、とにかくショックだった。人間のサイクルがありますよね。胎児があって、生を受けて地上に出てくると、四つん這いから始まる。そして、四つん這いになって生を終えていく...。それも一つのサイクルじゃないかと思うんです。
言いたいことはいっぱいあったんですが、こういうところに来ると出てこないんです。

 

■未知の二人が出会うとき

岡部: 簡単に本展実現のプロセスを説明します。まずこのすごい量の新聞をトラックで運び、私たちもみんなリレーのように駐車場にひとまず置く手伝いをしました。搬入は普通、土曜日の6時位から遅くまで行いますが、今回は素材を入れ込むだけでともかく大変。その後、駐車場で小さいブロックと大きいブロックの2種類を、梱包するときにヒモで縛る梱包機の機械でどんどん梱包し、高さをすべてきちんと合せたものを作ってから、会場に運んで積み上げるわけです。まず大きいドームを作り始めたんですが、あまりうまくいかない。全部のブロックを折り目を外側にして積んでいったら、カーブが内側に落ち込んで、崩れそうになってしまった。10時過ぎまでかかりましたが、初日はこれ以上無理だからと帰って、日曜日また1日かかってやり直しました。そのとき、「逆にしましょう」という鈴木さんの卓見で、ブロックの内と外を上部だけ逆に積み直したんです。ドームの中に入って見て頂けたらわかると思うんですが、中から見ると上部が積んだブロックの折り目になっていて、きれいにそろっています。それで中央の穴から光を見るときに、大変きれいに見えます。たんなるブロックの積み上げなのですが、微妙な力学があるわけです。

事前にお2人が直接会って打ち合わせをする機会はなかったのですが、鈴木さんと2度お会いして大体のプランを決めていました。山田さんとも2度ほどフランスで打ち合わせをして、コーナー配置などは決定していたのですが、鈴木さんのドームの位置が決まらないと、山田さんの設置の細部バランスがとれないので、どうなることかとちょっと不安だったんですが、初めてなのに二人ともすごく意気投合してくれて、嬉しかったです。相乗効果が出て良かったと思います。山田さんと話をしているときに、コーナーにアルザスの家の壁面の雰囲気を実現してみようということになり、古い家の床や天井などに敷いてあるタール紙で壁面を作ることになりました。彫刻の人物像は、針金を中心に造形して、その上に蚤の市で売っている動物の毛皮のなめし皮を巻いてあります。だから臭いがかすかにします。また、平面作品はいつもは廃屋などのガラス窓を使って制作しているのですが、今回ガラスは重くて運べないので、全部アクリルで新作を作っていただいています。すごく大きなフランスの地下鉄のポスターがありますが、それ以前は、いらなくなったポスターを集めてコラージュで絵画的な作品を制作していました。それで、鈴木さんはヴィデオで他の作品を見せる代わり、山田さんはドームの中にかつての古い作品を小さな絵馬のように展示することにしました。
鈴木さんの新聞のドームですが、それぞれの国で新聞自体が多少違うのです。初めて私が見たのは、彼が2004年のベルリン・ビエンナーレに参加したときです。子供たちが作っているのを見ただけで、私自身は直接制作にはかかわっていません。簡単にできそうに見えますが、かなり大変です。ちょっとした角度で全然うまくいかなくなったり、棒で叩いて締めたり、テクニックがいるんですね。全ての作品、みな、そうした一見しただけではわからないけれど、かなりな経験にもとずく技術が必要なのでしょうね?

鈴木: 棒で叩いているのは、いかにもドームづくりのプロフェッショナルがやっているように、難しそうに見せているだけで…。半分はパフォーマンスです(笑い)。ギャラリーでやるからにはきれいにつくりたいなと思っていまして…。

岡部さんがおっしゃったように普段はワークショップでつくりますから、子どもが中心になる。ベルリンやオランダでもやったときは言葉も通じない。子どもは新聞紙ブロックが出来るともうやりたくて待っていられない。勝手に積んでいっちゃうんでもうめちゃくちゃになる。今回は武蔵野美術大学の学生が積んでくれたので、ものすごく精度が高いから、まず崩れませんが、ふつうは積み直して何度もやり直すということがあります。今回山田さんと組んだことで、山田さんは目を白黒させていると思いますが、ぼくはすごく勉強になった。
山田さんと同時に設営し始めたのですが、この(山田さんの作品である壁のタールを指して)「アスファルト・ルーフィング(紙にアスファルトを塗った屋根の下地)」を、山田さんは突然張り始めた。いったい何なのか初めは皆目見当がつかなかった。ぼくは、このコーナーにソファのようなものを置きましょう、と簡単に下打合せをしていたんですけれども…。ソファが完成したら、すごく居心地がいい場所になった。さすが、アーティストは「場を読む力」があるなと感心しました、「力」なんて言ったら失礼ですが。それから、壁のへっこみに作品を引っ掛けたり、微妙な場の読み方はつくづく建築家とは違うなあ思っています。
ぼくもいろいろな所でワークショップをやる機会を持ってきました。パンフレットに写真が出ていますが、旧東ベルリンの古いマーガリン工場をそのまま使っている「クンストベルク」というコレクションを持たないギャラリーの中庭の会場で新聞紙ドームをつくりました。ベルリンでは、歩道の石畳がごつごつしている。歩くだけでも体力がいる。その中庭も同じような石畳でごつごつしていた。そういうところで新聞を積んでので水平を合わせるだけでも大変でした。いつもと違う雰囲気だなあと思って積んだ。床の石のごつごつ感と重さと、積み上がった新聞の感じがいつもと違っているという、面白さを感じました。

岡部: 山田さんのほうからも今回のお二人のコラボレーションについてお話を伺えれば。

山田: 私にとっては、初めてのコラボレーションの体験になります。最初お話があった時、相手は建築家ということで、すごくエキサイトしました。実際に鈴木さんにお会いしたのは、ほんの1週間前で、ぶっつけ本番の仕事になりました。
パリでの岡部さんとの最初の打ち合わせでは、ドームは本当に小さなもので、ひとが一人しか入れない程度のものだということでした。でも現場では、ドンドン大きくなっていき、私は壁面を担当するということで、これに負けないように、こちらの方の大きさも少しずつ肥大していきました。まず、新聞のテーブルと椅子は、どこからどこまでか決めてもらいました。そうしないと完全に、こちら(鈴木さんの作品)に負けちゃうんで、頑張りました。
実は、この一週間に2回も地震がありましたよね。本当に忘れていました、「日本は地震がある国なんだ」ということを。フランスには無いんですよ。お隣のイタリアは地震国ですから、イタリアに近い南仏のほうでは地震があるんですけど。とにかく地震なんて考えていなかったものですから驚きました。それでも、見事に二つのドームは2回の地震に耐えました。これは素晴らしいことなんですけれども、ちょっと残念でした。というのは、この地震で、私がドームの下敷きになり犠牲になっていたら、タイトルが「西から来たひとが東のすみかで没」というシナリオになって、それはイベントになったと思うんですけどね。
こちらの壁なんですけれど、フランスでは「コロンバージュ」と言います。こういう木組みの壁は地域に限られていたわけではなく、中世ではこういう木組みの家だったのです。パリの街も石造りになってきて、こういうのが段々減って来ました。パリにもマレー地区といって、一番古い地区がありますが、そこには、15世紀終わり頃のものが数件残っています。
鈴木さんが、住みかをこの四角の空間に造られるとお聞きして、その周りにもうひとつ自分で住みかを造ってみたい。鈴木さんに対抗するのではなく、お返しするような空間を造ってみたいと思ったんですね。もちろん初めのアイデアとしては、もう少し別のものを考えていたんですけれども、やはりこのスペースの一角にピリッとするようなのを造れたらなと考えました。
このように、共同の場を造れたということは、旅を続けている者にとって「癒しの地」のような、幸せな出会いの場だったと思います。

 

■阪神淡路大地震とブリコラージュの思想

岡部: 次に鈴木さんに質問ですが、「セルフビルド」の家が今、流行っているような面もあります。実際に作っている方の職業を見ると、アーティストや写真家、陶芸をやっている方が目立ち、またショップと自宅を兼用で作ったりしてますね。今はまだ一般の人よりアーティストが多いように思いますが、自分自身で自分の家を作りたいという気持ちが、一般にもだんだん増えてきたのでしょうか。鈴木さんご自分も自分で家を作っているという話を聞きましたが。

鈴木: ぼくは「セルフビルド」に関心があります。それはだんだんぼくの仕事の中心になりつつあるような気がしてきています。武蔵美で建築の勉強をして、その後、建築業界でいろんなことをやってきたのですが、そこで言っている「建築」と「セルフビルド」はほとんど関係がないんです。「セルフビルド」は一般的な言葉ではないと思います。日本語になっていない。例えば「日曜大工」という言葉がありますが、「セルフビルド」の訳とすると、何か違うなあという気がする。それから、脱サラしたり、もうすべての人生を傾けて、人生そのものになっちゃったような家づくりというのもありますが、それはぼくが考えている「セルフビルド」とはすこし違う。
「セルフビルド」とはふつうのひとが「家を考える機会」なのかも知れない。そんな機会がなくなってしまったことが問題だと思う。お金もないし、ヒマもないし、土地もないという理由があることはあるんですが、実現するチャンスがなくたって、常に「家をつくることを考えること」がすごく大事じゃないかと思うんです。
先ほども言ったように、日本語でちょうどいい言葉が見つからない。言葉も消えちゃうくらいだから、ぼくらは自分で家を作らなくなってから、ひょっとすると何百年も経ってるんじゃないかと思うんですね。でも、一方では昭和初期くらいまではやっていたかも知れない、と思えるふしもある。
自分の話で恐縮ですが、ぼくの親父は「こんどの日曜日、風呂場をつくるぞっ!」なんて言って、本当に風呂場を作り出したりしていた。ぼくがチビだったから家庭会議に出てなかったから突然に感じただけなのかも知れないが、家づくりというのはそのくらい普通にやっていたことだったんじゃないか。すこし敷衍して言うと、住宅とか環境とか都市について、ぼくらは文句を言ってばかり。「家が狭い」とか、「都市環境が劣悪だ」とか何とかって言っているばっかりじゃないか。でも、もっとふつうの生活と連続して参加できる。家なんか自分で作っていいんじゃないか、と。
それから、もうひとつきっかけになったのは阪神淡路大震災です。当時、ぼくは神戸とおつきあいはなかったんですが、地震の後、1週間ぐらい経ってから神戸の町を歩いた。何の目的もなく歩いたんです。そこでは自分で小屋を作っている人は、ひとりもいなかった。応急処置としてブルーシートが配られて、なんとなくテント風にしているような所はありましたが…。関東大震災後、戦後のバラックみたいなものをやる人はぜんぜん居なかった。それは新潟の地震でも同じでした。
「これはいったいどういうことだろう」と思ったんです。なぜならぼくが学生のころ、「フラー・ドーム」というバックミンスター・フラーという、建築家であり科学者であり、理論家の人が考えた、ものすごく合理的な構造のブームがあったからです。大学祭では建築学科の学生がまさに「セルフビルド」でフラー・ドームを作り、そこで演劇やロックバンドなんかをやった。そういう流行があった。ところがフラー・ドームは「実際に地震の後、建たなかった」。これが疑問だった。でも後になってその理由が分かった。それはものすごい単純なことで「フラー・ドームは理解するのも作るのもめちゃくちゃ難しい」ということでした。

まず、ふつうの人はフラードームと言っても一体何のことだか分からない。「フラー」という名前を聞いたことはあるけれども、それが何であるか説明できないし、パッとつくることも出来ない。どうも技術は二種類あって「だれもが使える技術と、そう簡単には使えない技術」というものがあるんじゃないか、ということに気づいたんですね。
建築と「セルフビルド」というものはまったく違う世界で発展した。「セルフビルド」、つまり「じぶんでつくる家」という技術は、発展することがない技術である。たぶん縄文時代の縦穴住居くらいからずっと変わってないと思うんです。

ぼくはこういう変な新聞紙ドームをやっていて、もちろん縄文時代人は「ドーム」という構造は知らないんですけれども、たぶん縄文時代人だって同じような家を作っている。それって結構愉快なことじゃないかと思うんです。縄文時代のひととぼくが競い合っているんです。ぼくのほうがちょっとうまいかな、なんてね(笑い)。ところが、ほとんどのひとは家づくりから遠ざかってしまっているので、そういう意味では縄文人からはるかに退行してしまっているのだ、と。

もうひとつお話したいのは「ブリコラージュ」です。ややこしい話をしますけど。フランス語でいろんなモノを継ぎ合わせる・・・というような意味。

岡部: これも山田さんがおっしゃっていた「アージュ」ですよね。

鈴木: たぶんぼくがやっていることはブリコラージュなんです。要するに身の回りのものを使って、自分の作りたいモノを、なんとか似たようなモノとして作る、「素人仕事」みたいな言葉です。文化人類学者のレヴィ・ストロースというひとがそういう概念を展開させた。ぼくはその言葉を前から知っていたけれども、自分の仕事にからめて思い出したことはなかった。

最近聞いた話をご紹介しましょう。大阪の国立民族学博物館の館長さんが、若いときアフリカの集落の調査に行った。集落調査は実際にその集落に住み込むから荷物を持ち込む。アフリカの遠い所ですから、いろんな荷物を持ち込めない。とりあえず「文化包丁」を一本持って行ったらしい。文化包丁というのは良く切れる包丁のことです。
「どっかからやって来た変なやつが、めちゃくちゃ切れるナイフを持っている」と、村中で評判になった。噂が噂を呼んで、みんなが借りに来たらしい。動物の肉をそぎ落としたり、骨なんか切ったりして、便利な包丁だ、ということになった。ある日、若者が館長さんのところにその包丁を返しに来た。ところがその包丁の刃を見るとボロボロ。「何を切ったんだ」と問いつめたら、その若者は「実はサングラスを作ろうとした」と白状した。若き館長さんがサングラスをかけていたので、その若者もサングラスを欲しくなった。そこで、コーラのビンの底のあたりを切って作ろうとしたのだ、と。
ぼくらはサングラスは店で売ってるモノで、それは買ってきてかけるものだと当然のように考えている。でも、そんな環境に住んでいないひとびとは、サングラスでさえ自分で作るモノ、と何の疑いもなく考える。平気で何でもやっちゃうわけです。
ぼくは「セルフビルド」を考えるときに、そういう連続性というか、逆の言い方をすれば跳躍が大事だと思うんです。「ここからは難しいから、自分ではできない」とか考えるような枷(かせ)をはずしたい。このソファもそうですけど、ソファって言えるかどうかは別として、ソファだって新聞紙で作っちゃえという、そういうパワーというか跳躍力が現代人に欠けているんじゃないかなと思うんです。教育でもそういうパワーが要ると思います。ブリコラージュを常に意識しながらやっているんです。

 

■フランスでアーティストとして活動する

岡部: 私が「セルフビルド」の建築物で一番感激したのは、郵便配達夫のファクターシュヴァルが作った宮殿です。場所が鍾乳洞の近くだったらしく、鍾乳洞の破片のようなものも集めて、毎日いろいろな石なども拾ったりして一生かかって自分で作りあげた幻想的な宮殿です。山田さんはずっとフランス文化圏で活動なさっていて、ご自分のアイデンティティーの揺らぎなどもあるのではと思います。旅がひとつのアートの概念になっていると思いますが、そういう意味で「すみか」とか人の定住する場所に関して、何か考えてきたことはないですか?

山田: 放浪者であるが故に、アイデンティティーを意識せざるを得ない時が確かにあります。旅をするというのは、「ひとは帰る所があるから旅をする」とよく言いますが、私の場合、帰るところがなくなってしまったから旅を続けているという感じがします。今では。

岡部: もう30年近いわけですよね。

山田: そうです。いえ、それ以上になります。

岡部: フランスに専属のギャラリーもあり、山田さんの今回出版したリーフレットの表紙に載っているのが、個展のときに写したそのギャラリーのあるリヨン駅のそばの道路です。そのときの個展を見ていますが、すごく巨大な四足の生き物を展示できるくらい天井が高い画廊です。トークに来てくださっている方々のなかには、パリのアート事情、画廊の話、コレクターについても知りたいのではないでしょうか。私と山田さんを引き合わせてくれたのはフォンケルニーさんというコレクターで名医として有名な精神分析医でした。山田さんの作品を初期の頃からコレクションしていて、個展の際にテキストを彼から頼まれて書いたのですが、そのときに初めてアトリエを訪ねて山田さんとお会いしました。最近お亡くなりになって残念です。彼の紹介で他の精神分析医のコレクターの集まりだとか、仮面パーティーというちょっと怖い感じのするパーティーにも呼ばれたりして行ってみたこともあります。みんなコレクターで、アートに詳しくすごいなと思ったりしました。その辺のパリの事情なども教えていただければ。

山田: 例えば、ギャラリーでの個展の期間ですが、日本では、一週間、二週間が普通ですが、フランスでは、一ヶ月半の予定が実際には二ヶ月になったりします。「もう少しやっちゃえー」「あ、いいんですかぁ」という感じで、余裕があります。逆に、会期があんまり長いとまだ時間があるから大丈夫と思って、結局は展覧会を見逃してしまうこともあるくらいです。とにかく同じ時間が流れてないような気がします。コレクターというとそれはどこも同じだと思いますが、こちらの状況があまり分からないから、比較というとちょっと難しいんですけれども。どうなんでしょう。コレクターだけが自分たちの所蔵する作品を美術館に持ち寄って、作品を見せ合うような展覧会があったりします。あまり日本では考えられないようなイベントもあります。

岡部: 山田さんの個展の際に、アラン・ジュフロアというフランスの評論家がテキストを書いてますね。彼はどちらかというとシュールレアリスムに詳しく、左翼系の思想を持っている方ですが、フランスの美術評論家にも山田さんの仕事はすんなり理解してもらえていると思いますか?

山田: どうでしょう。美術評論家はともかく、フランス人はみんな評論家のような気がしますが、確かに一握りの人は、私の仕事に興味を持ち続けてくれています。ところで、そのアラン・ジュフロア自身も評論という仕事をしながら、すごいですよ。自分自身も作品を作っちゃうひとなんです。そうするとどうなんだろう。評論家もアーティストに制作をまかせておけないのだろうか?彼は以前から仕事はしていたんですが、発表はしていなかっただけです。発表する限りはアーティストとなり、評論される立場になります。

岡部: ジャン・ボードリアールも写真を撮って個展もしています。最近フランスの哲学者とか評論家が自分で作品を作る傾向があるのかしら。

山田: それぞれが、少しずつ分野を広げていくっていうのがあるかもしれませんね。

岡部: 今、フランスのアートシーンはどうでしょうか?他の国と比べて。

山田: いまパリは燃えている!とは言えません。しばしの間ドン底に眠っていましたから、これから起き上がるところじゃないかな、またそうあって欲しい。確かにフランスは地理的にいって西ヨーロッパの中心にありますが、どうしても他の国に対して壁があるという感じです。すでに、私がパリに来た頃からそうでした。そういう意識の壁の雪解けというのは、少しずつ感じます。アートフェアやアートイベントなんかを見ましても、フランス人というよりヨーロッツパ人として動けるようになってきていますね。

岡部: やはり、EUの力が強いということがありますよね。

山田: そういうことも影響していると思います。もうヨーロッパでは、国境を越えるのにパスポートも必要としません!

岡部: フランスに居ると、ある意味で情報が入りにくい。私もフランスで長く生活していて、思ったのですが、ドイツやスイスに行くと国際的な情報がすごく入る。フランスに居ると居心地がいいし、アーティストへのサポートもあり、自給自足の家みたいに国内だけで全てが成立してしまう感じを受けやすい。なかなか外への窓口というか、情報があまり開かれていかない。ドイツの場合は東西に分裂して、西側は戦後アメリカとの関係が深いですし。フランスの場合逆に対アメリカで自分たちのアイデンティティーを作っていく。たとえば文化政策にしても公共性の重視など、フランス革命から続いている思想的なアイデンティティーがあるから、譲れないところが絶対にある。文化の面でも、自国を中心に考える姿勢になりがちです。貴重でいい面もあるけれど、現在のようなグローバルな時代になると、情報が不足するといった多少ネガティブな面もでてくる。アーティストで、外に出て活動できる環境に居る人たちは良いけれど。どうでしょう?

山田: フランスに住んでいると発表に関しては、なかなか閉鎖的です。でも、パリは制作をするには理想的な場所なんです。自分と常に戦える場所としても。だから、自分の今の生活が東京で出来るかといったら、明らかに無理な話です。故に私の旅が続きます。

岡部: トークの時間が残り15分になりました。フロアの方々からご質問を受けたいと思います。鈴木成文先生いかがでしょうか?

鈴木成文: 私は山田さんの作品を写真でだけ見たとき、これは自然の木をうまく使って作っているんだと思いました。最初はそういうような発想だったんでしょうか?それとも最初から針金を使ったのですか?

山田: そうですね、素材は木ではないです。でも、手足は木の根っこのイメージだったりする時もあります。

鈴木成文: 自然の木かなと思っていたので、ずいぶんうまく考えたもんだなと感心した。

山田: そんなに器用じゃありませんので.....。

 

■新聞のドームと四つ足人間

鈴木成文: それから鈴木明さんのドームですが、今まで神戸芸術工科大学の庭にこれを作ったり、新宿のOZONEのワークショップでもやったのを見てきました。今日ここで見たものは、ずいぶんきれいにつくってあるな、と入った途端に感じました。さっき、新聞ブロックをつくるときに二つに折った折り目を外側に向けるか、内に向けるかというようなことを伺いました。折り目を外に向けたり内に向けたり、交互にブロックを積んで水平に保つというようなことをやっていると聞きました。倒れないブロックにするということはどうなんですか?

鈴木明: さすがに何回か新聞紙ドームをつくるうちにうまくなってはいます。いろいろなテクニックも増えてきています。いつもは子どもたちが勝手にやっちゃうんで、とにかく建てばいいやということでやっていたんですが、今回は、どこまで丁寧にできるか、そうしたらどういう風になるかということの実験ができました。

これを研究として、どうやったら正確に出来るか、強度がどこまで出るか、ということをやってもいいのかもしれませんけれども…。あと5年ぐらい経つともっとうまくなっているかもしれません。一番きれいに出来てこのくらいじゃないかな。

鈴木成文: 逆にね、せっかく新聞で積むのにきれいに積んで良いのだろうかというね、もうちょっと荒っぽい方が古新聞積みましたよって感じになるかもしれない。古新聞といっても全部新聞が揃ってるから、家庭の古新聞とはちょっと違う感じがしました。

鈴木明: それはちょっと厳しいことです。返す言葉が無いですね。

岡部: 他に何か。ありませんでしょうか?

山田: 例えばアフリカでこういう仕事をしたらどうなるのでしょう?

鈴木明: アフリカといっても色々ありますから。大都市のアフリカもありますし、砂漠のアフリカもありますからね。やっぱり大地が広がっている場所だったら日干し煉瓦を一回やってみたいですね。アフリカのそんな場所に行ったら当然、新聞紙は使わないでしょう。もちろん、そういうところで平気で家を作っている人たちには、たぶん負けると思いますけれども。

山田: つまり、東京という都市の中だからこそ、新聞のドームが成り立つのですね。だって、新聞自体がアフリカの方だったら高価なものになりますから。

岡部: 消費文化の象徴みたいなところはありますよね。

鈴木: このソファ作っていると、新聞記事がいやでも目に入りますね。パキスタンの地震の記事が目につきますね。

岡部: なるべく良い記事を上に出したいと思っても一面記事は、厳しい現実のニュースばかり。

鈴木: そういう変なリアリティみたいなのも、古新聞紙という材料にはあるんじゃないかと思いますね。

岡部: イタリアのアーティストのマリオ・メルツは、ガラスなどでこうした形のドームを作るのですが、彼の作品はご存知でしたか?ガラスの破片をたくさん使うので、危なくて中には入れませんが。

鈴木: もちろん知っています。きれいですよね。向こうがどう思うか知りませんが、ぼくはライバルだと思っています。ただメルツさんは構造的、幾何学的にはいま一歩物足りない。こんなところで威張ってもしょうがないですが、ぼくのほうがもう少し幾何学を考えています。彼のはすごくシンプルに提灯の構造になっているだけで。彼も、もう少し幾何学を勉強するといい(笑い)。冗談ですけれども。

岡部: 山田さんの作品に関してですが、巨大な四足の彫刻を見たときに、ルイーズ・ブルジョワの六本木の森ビル前にある、『ママン』というクモの作品を思い出しましたが、彼女の作品はいかがですか?

山田: もちろん彼女の仕事は知っています。あの『ママン』は、どういう風に見ればいいのかな。フロイトを持ち出すまでもなく、彼女はクモをテーマにしていますよね。クモと女性。私の作品について、岡部さんは蟻という表現をされていますし、私も作品に蟻というタイトルを付けていますが、やはり私の場合はあくまでも、「ひと」がテーマです。つまり、私のように旅を長く続けていて、何か感じるものがある時、その感じるものを自分の中で定着したい、イメージ化したい、そういう欲望の日々の生活からこの「ひと」が生まれてきています。ある意味では前衛でありたい。その前衛というのは、自分の中での新鮮なもの、あくまでフレッシュなものを求めていたいということです。それが、自分の仕事だと思っています。

岡部: みんな歩いているムーブメントの形ですね。留まっているのもあるけど歩いてるイメージが強いですね。

山田: やはり、生きていてほしい。いわゆる鎮座するオブジェじゃない。何か全てが生きものであってほしい。タイトルも「大移動」というように。地球の中でそれぞれ家族が動いているという感じで。ある時には4本足が5本になったり3本になったり、これは面白いんじゃないかと。将来、人間が生き延びる姿、形として。
フランスに渡った頃、みんなラテン系だし背が低かったんです。私もあまりコンプレックスは無かった。でも、すごいですね,新人類みたいに今、フランス人も大きくなりました。驚くのは、こうして日本に来てみると、日本人もまた大きくなっていることです。日本経済成長とともに。だけど私は思うのです。人間は蟻のように小さくなっていくことによって、最後地球に生き延びるんじゃないかと。

岡部: 今回パリから来られるときに、これらの四足の人物は全部バッグに入れてご自分で持ってきてくださったんです。壁面の作品もみな手持ちで。ともかく予算があまり無くて申し訳ありませんでした。

山田: いやいや実に困ったのは飛行機なんです。作品を機内に持ち込みたかったので、機内搭乗前に手荷物のコントロールを受けたら、見事に引っかかりました。画面に、何かグルグル巻いた奇妙なもの、蛇のようなイメージが出てくる。「鞄を開けなさい」、「はい」とのやり取りの後、ここは問題なくパスしました。次に、機内に持ち込んだ作品を上の棚に収めました。そして座ったんですね。そしたら換気口から何か私の知るなめし皮の臭いが流れでてきたのです。これが機内全体に広がったらどうなるんだろうと、もうパニックです。怖かったです、本当に。いつもこのようなアクシデント続きが私の旅でもあります。でも終着駅は、まだ私には見えないのです。 

(テープ起こし:黒部順子)