ギャラリー・トーク

槙原泰介 x 鷹見明彦

2007年7月7日(土)


鷹見: これから槙原くんの作品を映像でご覧に入れながら紹介していきたいと思います。まず初めにお断りしておきますが、今日はトークのために会場内に座席を用意しましたが、今回の槙原くんの作品は会場全体をインスタレーションとして設定した作品です。

槙原: 普段の状態の会場を撮ってみたので、まずそれを見ていただこうかと思います。今日は人も多くて作品全体を観てもらうのがちょっと難しい状態ですが、もしお時間があれば会期中にまた覗いてみてください。(会場の写真を見せながら)入り口から入ると、とくに作品は見えないという状態で、何も展示していない画廊空間のように見えると思います。少し奥に入っても何も見えない。さらにその奥まで入って入り口の方を見ると、管楽器のホルンが壁の柱の後ろに付いているのを発見できます。今週僕が会場にいたときの様子では、2mぐらい入った所で「何も無いな」と判断して帰る人もいました。

鷹見: ホルンは3つですか?

槙原: はい。大きいのが1つ、足元に小さいのが2つ配置してあります。

鷹見: ホルンを選んだ理由というのは?

槙原: 感覚的ですね。ホルンは既製品で、胴体部分には革が巻いてありました。ここに展示するために革をはがしましたが、よく見るとそこに製品を作る段階で生じた溶接箇所や削り跡など職人の手技の跡が生っぽく残っています。ドイツ製のホルンです。それから普段は控え室になっている部屋に、モニターを置いて過去のヴィデオ作品3本を連続再生しています。モニターの映像を見ながら横を向くと、こういうふうに会場が見えます。ヘッドフォンで耳を塞いで、ヴィデオの音を聞きながら、ただ画廊空間が見えるといった感じです。この空間全体を『display』というタイトルでひとつの作品として提示しています。

鷹見: ヴィデオの音をヘッドフォンで聞く設定と、ホルンはリンクしている?

槙原: 特にヘッドフォンの中から聞こえる音と、想定されるホルンの音のつながりなどは意識していませんでしたが、客観的に見ようとすると、その辺がリンクされて面白くなってくるところはあるのかもしれません。

鷹見: 今回の展示のためにまずギャラリーの壁の塗り直しからはじめたわけですが、そういうプロセスを含めて、ここでこのタイプの作品を発表しようとした発想を話してほしいんだけど。

槙原: 壁をきれいにしたのは背景を際立たせるためというか、この周辺は画廊が多い場所ですが、画廊という空間は特別に造られた部屋ですよね。そういう空間を一度映え直させるというか。壁のエッジにホルンを設置することで、そこがもう一度空間の出会う場になって動きだす力が出てくればと思って。

鷹見: 導入としてこの場所での新作の話になりましたが、それではこれまでの作品を見ていきたいと思います。

槙原: はい。(以下PCでホームページの写真を見せながら)では一番初期の作品から行きましょうか。

鷹見: 武蔵美に在学中の作品?

槙原: 大学院を修了してすぐですね。巻いてあるガムテープを解いて、それから中心にピーナッツを置いて、それを巻いていくという方法で形態を作りました。それが結果的にはすごく大きな量になっていって、いまから思うと少し彫刻的な作品を作っていたと感じています。

鷹見: この頃の狙いというか、作品の構造はいま「彫刻的」と言ったけど、造形的なところなのか、それともガムテープを解いたり巻いたりする行為にあったのか…?

槙原: 鷹見さんに今回書いていただいたテキストにもあるように、ものに巻き付けたり貼ったりして使うのがガムテープの日常的な役割だったりするので、その使い方は変えずに巻き続けたり貼り重ねてみたのです。日常的な行為のくり返しや拡大が、結果的には造形になってしまう…という感じです。 

鷹見: その作品(『tape work』)を秋山画廊で初めて観て、それが次のINAXギャラリーの個展で棚の中にガムテープが入っていたのは新しい展開にも見えたけど、あの棚は中古品? 

槙原: 古道具屋で買った飾り棚ですね。

鷹見: ひたすらガムテープを巻いた状態だけを見せた作品とは、どういう違いが?

槙原: 前の作品とは意識としては逆転しているかもしれないですね。そもそも何か巻かれるものがあって、ガムテープは外側に重なったりするとか、テープが外側に貼り重なることで下に隠蔽される壁があるとかだったのが、ガラス越しに中が見える飾り棚の内側に貼り重ねる作業をすることで、見え方が逆になりました。さらにテープの集積がものとなって箱に入った状態をギャラリーという「箱」の中でまた見ると、意識する要素が多くなってきていたと思います。

鷹見: 印鑑を使った作品もあった。

槙原: この頃はパテやガムテープなどを使ってものに手を加えていく行為や、補修に使う材料自体を作品に参加させてみようとして作っていました。印鑑の場合も、既製品の印鑑を集めて、名前の彫られた溝を全部パテ埋めしてしまいました。ほかにお土産品を使った作品もあって、観光地の土産品の中には、そこの景色や名品を写真なり模型なりで再現しているものがたくさんありますよね。そういった記憶の代用のような土産品に手を加えるという方法での作品です。

鷹見: ローマのコロシアムや中国の兵馬俑のミニチュアとか。これらは現地で買ったお土産?お土産品と、そのレプリカのようなものが対のセットになっている。

槙原: 一方は自分が実際に現地で見た状態に近づくように、土産物品に少し手を加えて作り直したものです。1回壊してから、それを接着剤でつなぎ合わせたり、パテで埋め直したりしています。

鷹見: それらを出品した個展のタイトルは、「repair」だったけど、そのまま訳すと、「修繕」「修復」という意味で、「pair」っていう言葉が元にある。「pair」は似たもの、「対」のものっていう意味ですね。

槙原: はい。その後、「pair」というタイトルでも展覧会をやりました。すでに存在するものを出発点だと仮定すれば、時間の経過によってそのものが形を維持し続けているのではなくて、ものが形を変えながら時間を過ごしていっている…。「pair」はそれの元の状態のことですかね。それに対して、「repair」は、日常的に壊れていくものに人間が手を加える行為を指しています。元に戻したいという意志や、また使いたいという思いによる行為です。

鷹見: このシリーズが続いて、鳥かごの作品(『like a bird』)とか。これは、『repair』の発展形かな?

槙原: 底の赤い方が古道具で買ってきた鳥かごで、それと似たようなものを同じような素材を使ってもう1個作り出して、2つの鳥かご同士を底の部分でつなぎ合わせて離れないようにしました。

鷹見: それから、絵はがきの作品。これはお土産を使った作品に似ているけど。

槙原: 旅行に行ったときに、名所や文化財が修復中ということがよくありました。修復中に行き合うと、現地でその場所や作品の絵はがきを探します。それから絵はがきの写真をカメラマンが撮影したのと同じ立ち位置を探して、同じような構図で修復中のものや風景を撮ります。写真で絵はがきを模造して、元の絵はがきとペアにするシリーズですが、いまも続けています。

鷹見: 次は、この会場で見られるヴィデオ作品(『birds perchon』)の近作ですが、映像が左右ペアになっている。分かりやすく言うと、1軒の家が取り壊されるという現場があって、建っていた状態から更地になるまでを撮影して、その経過に対してそれが逆転した映像がそれぞれ左右同時にシンクロして見える。次は、バドミントン(『high clear』)。これはモニターを2つ対置して、やっぱり対で見せるヴィデオ作品で、映像の中身は?

槙原: それぞれのモニターには、バドミントンの羽根を打ち続けるプレイヤーが映っています。同じ時間にゲームをした映像ではなくて、別々に撮った映像です。それぞれは7.5時間無編集で、モニターの配置によってラリーをしているようにも見えたり見えなかったりします。ここまでは僕のホームページの作品です。次は、今日お渡ししたリーフレットの真ん中の見開きページに、十字に組んであるインスタレーション(『bakery dummy』)があります。

鷹見: 武蔵美の美術資料図書館での展示の様子ですね。

槙原: ロビーの空間の対角線上に実物の建築用足場を組んで、通路のような形を作りました。×印というか十字というか、そんな形になるように組んでいき、その足場ひとつひとつに干した肉が吊してあります。ただ、十字の四方だけは何も吊さないので、簡単に入っていける構造になっています。中に入って中心に行ったとすると、4つのいずれかの端に出ることになります。

鷹見: 上から俯瞰して撮影している写真では十字形っていうのがはっきりわかるけれども、通常、入り口からロビーに入ってくると十字ってことは認識できますか?

槙原: この場所には上の階に進むためのスロープがあるので、上からの視点を想定しましたが、気づかない人は全く気づかないでしょう。

鷹見: この形態には、象徴的な意味とか文化的な意味性というのは入っていたりするのかな?たとえば十字架と干し肉と来ると、その中心性とか、見ようによってはかなり文化的な意味性がありそうなんだけど。

槙原: どっちかと言うと、この場合は非中心的というか、中心ではない4つの出口があるっていう意識のほうが強くて、中心にいられないような構造だと思っています。十字は、クロスしたポイントがさっと前に出てくるか、四方に分かれた棒の先の方が最初に目に入ってくるかというような感じで。

鷹見: それから最近作は、パンを焼いた作品『gain』。

槙原: リーフレットの最後のページにパンの写真があるんですけど、これは身長くらいの長さのパンです。プランの段階ではこんな大きさのパンをどうやって焼こうか考えていたんですが、運よくテラコッタ(素焼きの陶器)用の窯を借りることができて、そこで合計6本くらい焼いたと思うんですけども、リーフレットの写真が展示に至った1番できのいいパンです。

鷹見: この場所は?

槙原: 広島の、いまは使われなくなった銀行を使った展示で、企画テーマが貨幣、お金でした。銀行の金庫がある地下の1室です。床の上に本当に食べられる大きなパンを設置するというプランでした。

鷹見: パンは上手く焼けた?(笑)

槙原: 食べられるパンは焼けました(笑)。いい匂いがしてたみたいですけど、焼くのは大変でしたね。市販の生地捏ね機で1回2kgくらいしか捏ねられないんですけど、50kgぐらいになるまでひたすらやりました。生地捏ねだけで4.5時間ぐらいかかったりして、そのあと生地をひとつに集めて発酵させて。現地でパン職人と運よく知り合えて、いろいろアドバイスをもらい、一緒に製作したりもしました。テラコッタ用の窯を使うのも初めてだったんで、窯の使い方も教わりました。最初は中身が生焼けという感じで、生焼けと焦げをくり返しながら、窯の特質に慣れてきて、やっと5本目でこれが焼けたんです。

鷹見: パンの作品もそうなんだけれども、足場の作品とか今回の展示にしても、壁を一生懸命塗るとか、パンを捏ねるとか、非常に持久的な行為をいつも制作のプロセスにしている。槙原くんの中では、その時間とか行為のなかでなにかが醸成されたり、熟してくるのかな?

槙原: 熟してくる?

鷹見: 造形作品を作るために、物理的に制作の手順を踏んで、その結果こうなるっていう、そういうありかたとはまた違うと思うんだけども。槙原くんが作品として見せるものは、わりとプロセスを消そうともしているでしょう?

槙原: プロセスが見えないってことですか?

鷹見: プロセスを見せること自体は表現の要素にしていないっていうか。確かにそこにばかでかいパンが投げ出されていたら、これをどう焼いたのかと思う人は必ずいるかもしれないけど。

槙原: わざとそこを見せないっていうつもりはないですけど…どういうことですか?

鷹見: 巨大な絵や彫刻をつくるための作業量とかそういう人間性や、それを超越するような力が作品に結びついているっていうか、そういうあり方とどう違うのかなと思って。あるいは同じなのかなっていうことを訊きたいんだけど。あまりそういうことは考えないのかな?

槙原: 見た時のイメージが大事だと思いますけど。でも見た時に、作業量を感じる作品はそんなにありますかね?

鷹見: それは、無いという形でもある…と思う。

槙原: 僕の作品にですか?    

鷹見: ここに来て、誰も壁を塗っているとは思わないとしても。

槙原: うーん、タネ明かしみたいな感じですけど。