ギャラリー・トーク

宮本武典x鷹見明彦

2008年1月19日(土)


鷹見: 今日はここに展示されている宮本武典くんの新作からはじめて、これまでの仕事にふれながら話していきたいと思っています。今回の新作は、1冊の本という形をとっています。展示台の上に同じ冊子が複数開いた状態で置かれていて、皆さんがそのページを開いて読んでいただくように設定しています。では、はじめに今回の作品について、宮本くんに話してもらいます。

宮本: 今回の展覧会はこの本というか冊子『Fuminori Miyamoto by Takenori Miyamoto』を中心に構成しています。ここに掲載しているテキストは僕と双子の兄の関係を綴ったもので、写真はすべて僕の双子の兄の作品です。僕自身の作品は、テキストに関連するキャプション程度にしか扱っていません。兄は現在、三重県にある伊勢神宮で式年遷宮の技師として仕事をしていますが、その傍らで絵も描き続けていて、この展覧会は言ってみれば、双子の弟が双子の兄の作品集を編集していくプロセスを断片的に見せているのですね。少々、ややこしいですが。

鷹見: 宮本くんに会ったのは彼が武蔵美の油絵学科の学生だったころ。お兄さんの史典くんは、その時は多摩美の日本画科の学生だった。双子の兄弟がそれぞれ美術大学に行って作家を目ざして作品を作っていました。そういう時期に彼らに会って、その後、それぞれに仕事を持って家族を持つという経過があり、お兄さんは伊勢に行き、こちらの弟の武典くんは、山形にある東北芸術工科大学の学芸員になりました。双子の兄弟が、2つの土地に分かれて、それぞれの仕事、日常、現実を生きるという経過をたどってきた。それが今回の作品の背景になっています。こんな身上書のような話を最初にするのは、宮本兄弟の作品は、どちらも双子である自分たちの存在をモチーフに展開してきたからです。まず、2人が同じ美術をやろうとしていたのは、どんな感じだったのか、そのあたりから。

宮本: 学生時代は同じアパートで絵を描いていました。でもそういう環境で制作していると、僕が胸の中であたためていたはずのイメージを、隣の兄が先に描いちゃうようになる(笑)。もちろん、その逆もよくあって。スケッチブックに新しい絵の構想をこう、描き留めるじゃないですか。それから本画にとりかかる前に必ず兄に見せるわけです。「こういうのを描こうと思っているから」とお互いに念を押していた。でも、大学を卒業して僕が海外に出て、兄も卒業と同時に伊勢神宮に入庁してしまってからは、お互いがどういう作品をつくっているのか分からなくなりました。すると、どんどん似てきちゃうんですよ。作品とかコンセプトが。

鷹見: そういうことはあるだろうね。

宮本: たとえば、以前の僕の作品に『Yellow varnish』という写真のシリーズがあります。これは僕が武蔵美を卒業してからすぐにタイに移住して、4年間、バンコク日本人学校で美術教師として働いていた時に出会った日本とタイの二重国籍を持つ子どもたちのポートレイトです。僕は学校の中ではマイノリティーである彼らが、双子とはまた別種の「二重性」を抱えていることに興味を持ちました。彼らは2~4年で日本の小・中学校に転校する、いわゆる「帰国子女」組とは異なり、タイで生まれタイで育ち、卒業後も母国で生きていきます。ほとんどの場合、実態は母親側のタイ人社会に根付いて生活しているのですが、海外にある「日本人の学校」だからこそ極めてナショナルな日本式教育を受けている、という状況からもたらされる様々な二重性ですね。彼らを撮影してデジタル処理し、鏡合わせの「仮想の双子」に仕立てたのです。一方で同じ頃、双子の兄が伊勢で描いていたのは人体解剖図をベースに描いたドローイングなのですが、向き合った顔が2つに鏡面分割されていました。その絵を見たときはすごく驚きましたね。

鷹見: 以前に企画をサポートしていた国立市のギャラリーで、2人のどちらかに会うたびに間違えて。個展で会っても、本人だと思って話していたら違っていたりで、さすがに一卵性はそっくりだと(笑)。お兄さんの史典くんが、なぜ伊勢神宮に行ったのか、そこで何をやっているのか少し話してください。

宮本: 伊勢神宮では、「式年遷宮」といって、20年に1回のペースでお社を新しく建て替えるのです。内宮にある現在のお社の隣に空き地があって、そこに寸分も違わない同じものを改めて建てて御神体を移すと、もとの古い社は解体してしまう。そして20年後には逆の手順で、やっぱり建て替えがおこなわれるという儀式が、もう1000年以上も続いているのです。お社の中には、神様が使う道具として約700種の「神宝」が納められていますが、日本の工芸技術の粋を結集してつくられる品々も、建築と同じく20年に1回、遷宮にあわせて全て作り替えられます。今日は建築史家の父も来ているので、こんな素人説明は気が引けるのですが、ともかく兄が神宮で従事している部門は、その数百種の「神宝」を式年遷宮のために20年の歳月をかけて準備していくという、途方もなく気の長い仕事です。冊子に載せた兄のドローイングは、神宝の意匠考察のために先代の技師から継承した伊勢神宮独自の技法によるもので、肉筆で引かれた線とはとても思えないぐらい、ものすごく高度で緻密な仕事です。兄は多摩美で日本画を学んでいたので、その描法の継承者として白羽の矢が立って、卒業してすぐ伊勢の神宮支庁に入ったのですね。僕は海外に出る直前に、はじめて伊勢にいる兄を訪ねたのですが、内宮とその隣の空き地を案内されて、式年遷宮の話を聞いたとき、伊勢神宮の空間が内包している「双子性」に、自分たち兄弟の姿を重ねてショックを受けました。つまり、御神体である「鏡」の移動によって、双子のように同じ社が新しく建てられたり、解体されたりするという…これは後に母に聞いたことですが、あのころの兄はよく、「武典には、自分の代わりにいろんな世界を見てほしい」というような事を話していたそうです。彼は伊勢神宮への奉職を決意したことで、おそらくこの先ずっと象徴的な意味で式年遷宮の「限定された移動」から逃れられないだろうし、僕は僕で、何となく東京や美術業界のめまぐるしさに居場所を見つけられなくて、日本を脱出しようとしていたところだったし。たぶん、お互いが羨ましかったんですね。

鷹見: 子どものころの兄弟の関係はどうでした?

宮本: 僕はわりと安穏としていて、双子の関係が心地よかったんです。兄の方は、僕よりも物事をストイックに考えるタイプでした。中学生くらいの時かな、兄が突然、「双子は奇形だと思っている」といって、びっくりしたことがありました。僕とは捉え方が全く違いましたね。

鷹見: 双子の場合は、幼児期の言葉の発達がふつうの子よりも遅いというデータがあるらしいけれど、それは言葉よりももっと深いレベルでコミュニケーションをとれるせいだろうと。宮本くんたちの場合は、正面きって双子性を扱った作品の方が、表現と内容がかみ合っているように映った。それがわかったのは、2002年に国立のガレリア・ラセンで見た兄弟の2人展「双頭のアダム+Bangkok1999~2003」だった。その展覧会では、一方に兄の史典くんの名画の図像を双頭にしたドローイングがあって、もう一方に武典くんの写真を鏡合わせにした作品があった。ちょうど今回とは逆に武典くんが海外に行って不在で、2人の作品の展示を行なったのは、兄の史典くんだった。今回宮本くんにこの個展をやってもらうにあたって、もう一度、あの兄弟の2人展を考えてみたらといったのだけれど…。今回、宮本くんは、そのころのお兄さんの作品をモチーフにしていますが、元の作品について少し説明してください。

宮本: 今回作った冊子に載せている兄のドローイングは、ヒューホ・ファン・デル・フースの『原罪とキリストの死への哀悼』と、アルブレヒト・デューラーの『アダムとエヴァ』がモチーフになっています。どちらも世界的に有名な旧約聖書の「楽園追放」を描いた絵画で、そこから人型だけを抜きだしているのですが、兄が描いたアダムとエヴァの顔はどちらも双頭になっていました。聖書に人間の起源として描かれている男女を、シャム双生児のような、ある種のフリークスの結婚として表現したわけです。

鷹見: ここまで話を聞いていると、お兄さんの作品も直接展示して、また兄弟展をすればいいと思った方もいるでしょう。なぜ、そんなまわりくどいやり方をするのか。以前の兄弟展から5年が経った現在、その間の変化が影響している…?

宮本: 式年遷宮への奉職は、一個人が「自分らしさ」を抱えながら生きていくにはいろんな意味で非常にしんどいことで、まず神宮特有のものすごく永い時間のサイクルにあわせて仕事をしていかなければならないですよね。ですから兄は、表向きは伊勢神宮という巨大な信仰空間を支えるための仕事をしながらも、夜になるとこっそりこんな絵をひっぱりだしてきてコツコツ描き続けていたのですが、最近になってそのように矛盾した二重性を抱えたまま描いていくのはつらいというようになっていました。自分のどっち付かずの生き方に悩んでいたというか…。それで去年あたりから、もうきっぱりと「描かない」と決めてしまった。それを聞いて僕は慌てました。彼が描かなくなるということが、自分にとっても表現する理由を消失することのように思えたのです。「これはちゃんと記録しておかなければまずいぞ」と。それからもうひとつは、僕のアーティストとしての新しい展開として、いまの僕の仕事、学芸員の視点を自分の作品の制作プロセスに介在させたいと思っていたところでした。その対象として双子の兄の作品を採り上げて、極めて私的な「展覧会カタログ」を編集するというプランはとてもおもしろいと考えたのです。それですぐに伊勢に電話をして、兄に作品の提供をお願いしたのですが、思いのほか、彼は難色を示しましてね。

鷹見: どのくらい?

宮本: 彼としては、この冊子に載せた作品は「二度と人に見せたくない、ふたたび世の中に出されるのは困る」と思って、封印していたものだったのですね。兄はこのような絵を描いて発表してしまったことをいまはとても悔やんでいる様子でした。でも僕としてもどうしても実現させたいプロジェクトだったので、粘り強く交渉して、説得して…。結局は、掲載にあたっていくつかの条件付きで兄に協力してもらうことができました。条件というのは、たとえば兄の名前をクレジットしないとか、作品は原則的にトリミングして、部分のみを掲載するとかです。いくつかの作品を山形に送ってもらい、学芸スタッフにも協力してもらって、撮影のために1日だけギャラリーで仮設的な展示をおこないました。これは非公開のパフォーマンスのようなものです。

鷹見: こちらの宮本くんの立場で考えると、いろいろ注文は付けられるし、表現のタブーはいっぱいあるし…で。

宮本: だから本当に何度もやめようと思いましたね。兄と話していたときに、「一個人が自分の名前で表現していくアーティストの生き方はそんなに尊いのか」と彼は何度もいっていて、それは理解できました。いろいろ悩んだ末に、彼が筆を折ったことを僕としても尊重すべきだとも思ったし。

鷹見: この本は、内側にテキストが折り込まれていて、前から読んでいく文章と、裏側から読んでいく文章、2つのテキストがある。片方は宮本(武典)くんの手記で、裏側から読んでいく文は、兄弟の会話になっている。

宮本: この夏、神宮の五十鈴川でおこなわれた「御木曵き」にあわせて伊勢に行って、兄に直接、いま考えていることを聞いてきました。会話の採録部分では僕が聞き手になって、彼の内面の変化というか、主張を書き留めていくのですが、それと対を成す、もう一方の「手記」では、僕から見た双子の兄との関係を、幼少期からたどって書いていきました。会話のテキストは兄にちゃんと読んでもらって、いろいろとまずいところは修正してもらいましたが、僕が書いたほうの手記の方は、ノーチェックなので、ちょっと彼が読んだら傷つくかもしれないなぁと思って、それが少し心配ですけどね。

鷹見: 3年ぶりの個展だけど、今回の作品には、宮本くんの学芸員の仕事が影響しているのが読みとれる。

宮本: 僕も学芸員としてアーティストの陰に立って作品をサポートする仕事が、公私ともに生活の中心になってきちゃっていることを思えば、確かにこちらも個人性というか表現へのモチベーションが徐々に弱まっているところはあるのです。アーティストの力で空間や関係を作り上げていくんだけれども、そのきっかけに僕は立っている。僕個人がアーティストとしてこうやって作品を発表することよりも、もっと大きな、多様性のある場が生まれているのかも知れません。キュレーションもまたひとつの表現行為だと考えれば、それはそれで受け入れられるかなと。

鷹見: それは、伊勢神宮の話と通じるね。神宮といえば特殊なケースに思えるが、個人と共同体、世界との関係からすると、普遍的な問題がそこにはある。

宮本: そうですね。だからそうなってくると、僕がパブリックな「仕事」としてのキュレーションとは別に、今回のαMの作家としての展覧会依頼みたいに、一個人として何が表現したいのですかって問われると、極度に個人的なものしか出てこなくなってきて、非常に閉じた家族との関係の中で悶々としているのですね。でもその過程で、僕にしても兄にしても、一卵性双生児という特殊な関係からそれぞれに離れて、伊勢や東北といった場所や環境で創り上げていったフィールド・アイデンティティーのディテールのありようを、今回、改めて語り合えたことは良かったんじゃないかと。僕はそのアーティストとしてのエゴの変質や溶解にすごくポジティブな意味を与えたいし、難しい作業ではありますが、できたらそれを今のアートの文脈のなかで語っていけたら、それはそれで意味がある仕事になると思っています。

鷹見: まだまだ人生の物語は続いていくし、これでまたおたがいに齢を重ねれば、その時々の感じ方は変わってくる。離れたり戻ったり。とりあえずわたしたちの今日の話はこのあたりで終わりにさせていただきますが。どうもありがとうございました。