ギャラリー・トーク

丹羽陽太郎 × 田中功起 × 住友文彦

2008年4月19日(土)



住友: 最初の資料で丹羽さんの作品を見させて頂いた時に、自分が説明しようとする言葉がうまくひっかからない感じの作品だなあという気がしました。ただ単に自分がそういう作品を見た経験があまりないのかもしれないし、自分の色々な視覚的な経験の中でとらえきれないものがあるのかもしれない。それは僕の個人的な経験の問題なのかもしれませんが。それについて語ってみたい、という気にさせてくれるような作品だったんです。

■情報がない中での誇大妄想

三年間、ドイツに渡って活動されている丹羽さんが初めて今回の展示会場を目にされたのは、帰国した3月半ばのことだった。帰国するまでのドイツでの約3ヶ月間、ベルリンへの引越し準備をする中、短期間でいろいろな場所を転々としつつ作品の構想を練っていたという。唯一知りえた情報がギャラリーのホームページに出ている、会場のサイズや高さ、簡単な間取り図だけ。それを手がかりに1/20の模型を作り始めた。

 

丹羽: あとはこの空間をどう作り出していくのか、いかにこの空間を自分の方に引き寄せられるかってことを考えていました。ただし写真もないので、会場の空間がわからない。プランだけで勝手に妄想を広げていくということを、3ヶ月くらいやっていました。模型の中にいろいろ書き込んでいきながら、こういうのがいいっていうのを、試していった形跡が、作品としてこの台の上に乗っています。作り始めた時も、この模型を最終的に作品の一部に取り込もうかなっていうのはちょっとありました。

住友: でも実際できた作品は全然この模型通りじゃないですよね(笑)。この時はこの通りにやろうと思っていましたか?

丹羽: いや。実は全然違うものを最初模型で作っていました。ここの空間や、素材が決まってきてからも、この模型を全く違う方向に素材を変えて作っていて。この模型でやろうとしていたことと、実際に現われてきたものとの違いみたいなものの中に、面白いことがないかなと。

田中: 自分が知っている行ったことのある場所で展示をすることと、こういう形で図面しかないって場合とどちらが多いですか?

丹羽: こういう状況は初めてでしたが、それがわりと、どんなものが出てくるのかが面白かった。

住友: 実際に場所を知っているのと知らないのとでは、全然違うものですか?

田中: 全然違いますよね。図面だけだと取っ掛かりがまるでないかな。どこから始めていいのか。丹羽さんはどこから始めたんですか?

丹羽: そうですね。まず始めに観葉植物を横倒しにするというのが強烈にあって。

田中: (笑)。それはどこから来たんですか。突然横倒しのイメージが湧いてきた?

住友: 前に話をした時には、垂直に伸びていくものを横倒しにしたかったって。重力とかそういう関係なのかな?

丹羽: 素材を扱う時に、素材が持っている性質、伸びようとするものとか、固まっていこうとするものとか。そういうものにあえて手を加えて加工していくことで、作品って生まれていて。そういうものとの格闘が何十パーセントを占めてくる。その中でひとつ、重力というのはわりと引っ張られているというか、それをいかに変えていくかっていうか。

住友: 観葉植物が床に転がった横の状態ではなく、ぶら下がった横の状態になっているから、「重力」を説明的じゃない形で伝えているようなところも、あるような気がするんですね。

丹羽: 観葉植物は、ずっとプランを練っていく中で素材として選んできたものなんです。それがそのような見え方になるかは、やってみないと見えてこないですね。

 

■現場から拾うアイディア

今回の展示では、通常閉まっているはずのギャラリー側面の収納壁と、搬入扉を開けたことで、空間の透過性や風通しのよさのようなものが生まれている。日本に帰国し、何度かギャラリーへ下見に行くうち、丹羽さんはその存在を知った。現場を見たあと、ギャラリー周辺のカプセルホテルに住み、材料となるごみをかき集め、建設会社で素材を分けてもらえるよう交渉などを試みたりしていた。実際搬入時には、作品として使われた素材よりも、ありとあらゆるたくさんの素材がギャラリーに持ち込まれた。どっさり抱えてきた素材、アイディアの中から現場で出し入れをしていく。

住友: 田中さんどうですか。実際に場所に行って、その場所に対して自分が「あれができる、これできる」というような選択は特に多いですか?時間を置いて考えたい方ですか?

田中: そうですね。僕はできるだけ現場からアイディアを拾ってきた上で、少し時間を置いて考えたいですね。そうしないとなかなか判断がつかない。話を聞いていて面白かったのは、拾ってきたものがばらばらじゃないですか。ごみに気になったり、工場のイメージとか。そういうばらばらの可能性の断片を現場の体験に探っている感じが建築家の方法論に近いですね。現場に一度行って、その場の環境とかを探って、その中で、どんな可能性があるかっていうのを自分なりにピックアップする。それぞれをある程度キープしながら制作に向かっていくと、まずは要素が多めになる。いい意味で散漫な感じですね。その場所で見つけた、いろんな要素が最終的な展示の中で違う形になったり、そのままであったり、複数含まれているっていうのが、すごく面白い。最後に展示をする現場で行う作業も、例えばこの会場の収納壁を開けて見える状態にするとかもそうだと思うんですけど、なんかそういうのって、試されるじゃないですか、自分が。自分が身ひとつで会場に乗り込んでいって即興的に反応するって、自分の感覚が試されている感じですよね。それにその作業って自分がまず面白い。そのリアルな反応の感覚をできるだけフレッシュなまま見せるっていうことも多分ひとつの作品のあり方であると思うんですよ。

住友: 試されるっていいですね。2つあると思うんですよね。自分の思い通りにならないものを受け入れて、その場で考えて作っていくっていうタイプと、「自分とはなにか」みたいなところに向かっていくような感じの、すごく急進的に作品を作っていくようなタイプと。丹羽さんはある種の散漫さというか、外に向かってぐるぐる回っていくような作品の作り方をしている人だなっていうような気がするんです。どっちも作品を作る上で方向としてはあるんだろうなって気はするんですけど、そういうことは明確に意識するような時はあるんですか。自分の意識に上っていないようなことも取り込んでいこうとか。

丹羽: あるんじゃないかと思います。結局、物を横倒しにして2週間経つとどうなるかっていうのはわからないわけです。想像つかないことを作品の中に取り込むことで、全く違う方向が開けていくって、すごく刺激的ですよね。ひとつひとつ多分そうだと思うんです。模型をこう作るんですけど、この場所は見たことがないまま、誇大妄想を広げていって、実際やることとのギャップを何かしらまた違うステージに上げてくれるというか。その都度そういう期待がある方向へ転がっていくというか。

住友: 自分とそれ以外の何かとの対話的なものが。

丹羽: そうですね。

 

■エラーが含まれる作品

住友: そろそろケーブルの話を聞きたいんですけれども。このうねうねとしたケーブルを張り巡らせようっていうのはどのへんで出てきたんですか。

丹羽: そうですね。まず電気を使うということ。それと、計画的に植物をつるというのはありました。実際植物が水を吸って生長しているというところと、電気は電気で線があって、そこに物質を流しているところ。その電気と植物の関係が実際あるようでないようで。というのが僕のなかで面白かったんです。

住友: 植物は有機物だけど、電気のほうは有機物ではないって関係があって、いろんなレイヤーで実は重なって見えるなっていうところがありますよね。いろんなものが、唯一の関係性で結びついているんじゃなくて、この部屋の中ではたまたまひとつの関係性で結びついている。それで、いつの間にかはしごがあったり、模型があったり便器があったりみたいなところが、目で追っていく運動の面白さっていうのがある気がしますね。

岡部あおみ: 丹羽さんは割りとパイプを使われることが多いですよね。今回パイプはトイレくらいですが。結局、ケーブルもパイプの延長線なのかなという感じがしていて。やはり、パイプというのは、バーチャルに何かが通る可能性がある。ケーブルはこの場合本当に電気が通っているわけだけど、通っていないのもありますしね。ある意味で、いろんなものの移動というのを今回は考えられたのかなという感じがしたんですよ。はしごっていうのも、本物のはしごではないから、結局人は上れないんだけれど、バーチャルの移動、上下の移動というのを考えることはできる。それは、見る人の直感というか、イマジネーションの中でそういう動きというのがあるのかなという気はするんです。空間そのものを収納壁や扉を開けたりして、空間がある種炸裂した、大きなものになっていくというのを初めて経験させていただきました。そういう意味で、全体的にある種の不安定な中で何か移動することについて、皆のイマジネーションの中で色々なものが動く。より空間がダイナミックに動いているんじゃないかなという感じを受けました。

丹羽: そうですね。おもしろいですね。自分自身が場所を点々と動きながら作っていたってこともあったので、それが反映したということも考えられます。何かと何かを伝える、伝達の本当の主な手段とならないものを使ってきたのは、それで中間的な領域があるものが出せれば面白いかなと、今までわりと使ってきたんです。

住友: 何かが伝わること、移動ということ、あと透過性のあるものとか、揺れるものとか。そういうものは結構丹羽さんの作品の中で共通しているものですよね。今回のケーブルの場合、全部電気が伝わっていないと岡部さんがいっていたみたいに、全部伝わっていたら面白くないかなっていう感じがします。伝わっていない部分もあると、自分の中でも追いきれませんよね。理性の中では理解しえないものを残してるって感覚がいいかな。追っていくとうん、これ、ちゃんと繋がっていないじゃないかっていうところも含めて、エラーみたいなものが含まれていそうな感じの展示に見える部分が、ちょっと僕はいいかなあと思っているんです。
(テープ起こし:相曽晴香)