ギャラリー・トーク 橋本聡 × 高嶋晋一 × 住友文彦

2008年11月22日(土)


■トークはギャラリーに椅子を並べずにそのままで、橋本もパフォーマンスを続けたままで行われた。その日、橋本は携帯電話をよく用い、トーク中にも幾度か電話がかかってきていた。

 

住友: 非常に妙な感じなんで、どうしようかな…。まあ、皆さんが座っている場所は、作品の一部になっているところで、今ギャラリートークをし始めてはいるけれども、同時にパフォーマンスが行われている。僕はこの会場に初めて入った時に、常に自分がつけ狙われているような、そしてどこまで作品を見ていればよいのかがわからないという感じがしました。「非常に居心地が悪い」というのが、的確な言葉じゃないでしょうか。『one dozen』というこの展示について、高嶋さんと話をしていきたい。高嶋さんは橋本さんの作品をずっと見てきているし、これまでの作品との関係などもお話し頂ければと思うんですけど。

高嶋: まず、今のこの状況はこれだけ大勢の観客がいるので、通常の展示の状態とは様子が異なると思うんです。今回の作品は、パフォーマーと観客の1対1、あるいは観客の数が2、3人くらいの方が、より変な感じがするんじゃないかな。

住友: 通常の時はそれくらいの人数が1番多いんですよね?

橋本: 1人の時が多いです。その後にまた1人来て、2、3人になったり。

高嶋: 過去の作品の記録映像のモニターが複数あって、それを見ていると、更に後ろで自分が見ている様子を見られている。だから居心地が悪い。長い垂木を肩に担いだカメラを持った男がいるのは、入って来てすぐにわかるけど、初めは何をしているのか気づかない。

橋本: 「展示の記録を撮ってるんですか」と尋ねられる時があります。

高嶋: 誰か特定の相手を決めて、その背後をずっとついて回って撮影していることが徐々にわかる。そして撮られた映像がリアルタイムで壁にプロジェクションされている。特に経験として面白かったのは、ギャラリー内に複数人観客がいて自分が追いかけられていない場合、壁の映像をずっと見ていると、何か妙な緊迫感が生じる点ですね。画面には、人の後ろ姿とそれにゆっくりと接近する棒の先端が、ゆらゆら揺れている様子が延々映っている。ぶつかりそうでぶつからない微妙な距離。丁度、ホラー映画で殺人鬼が人を襲う直前の1カットが引き延ばされているような、「この次どうなるのか」っていう心理状態が持続している感じ。今起こっていることなのに、何か別のフレームがかかっているというか。映像になっていることで、単に今起こってることだけを見るのと効果が違ってくる。

住友: 当事者でもあるのに傍観者にさせられてしまう。

高嶋: まあ僕は、他の映像をあまり集中して見られなかったんだけど。

住友: 後ろからつつかれるような感じがあるからね。だけど落ち着いて見られる人もいないよね。

橋本: でもこちらを見ないで、ずっとモニターの方を見ている人は多い。

住友: 気づいているけど、振り返らない?

橋本: そうですね。

高嶋: 逆にこうやって積極的にいく人は?(橋本に近づく)

橋本: 高嶋さんが一番積極的でしたね(笑)。

住友: じゃあ近寄ってくる人はあまりいない?

橋本: そうですね。撮られるのが嫌でか、どういう関係か確かめる為か、色々動き回る人はいます。でもそういう人よりも、場内を見て回っている間中追いかけられ、長い時間経って背後から肩を叩かれ話しかけられて、初めて向き合う人が多い。

住友: ところで、バーの色が何色かあるじゃないですか。この色分けをしてあるのはどういうことなの?

橋本: 1日中ずっと使うものが1本ずつ毎日あって、それぞれ日にちが書いてあります。全部で12本。来場者との状況に応じて2、3本を担いだり。

住友: たぶんこの棒は、この部屋の中の壁と人の関係で、当たりそうだけどギリギリ当たらなそうな長さにしてあるんですよね。なかなか絶妙だよね。一点で支えてるのでよく揺れる、その揺れ具合も(笑)。
 


高嶋: 壁を気にしすぎると人にぶつかってしまうし、人との距離を一定に保つことを気にしすぎると不安定なので床に落としてしまう(笑)。あと、数本担いでいる時は、追っている人の何か身につけているものに近い色を選ぶってルールがあるみたいですね。

住友: 緑っぽい人には、緑の棒をってこと?(笑)

高嶋: これまでの作品でも、今回のように観客に何かを持ち帰ってもらうという設定は結構あって、例えば『Wake up. Black. Bear.』という作品なんですけど。

橋本: それも来場者全員にではなく、ドキュメントにも入れてないんだけど。まず僕が風船を膨らまし、もう1つ別の風船を来場者に膨らましてもらう。一方の風船の口をもう一方の中に入れると、上手い具合に密閉された状態になる。そうして一方を押すと、その中の息がもう一方を膨らませる形になったものを紙袋に入れて持ち帰ってもらう。

住友: 相当気持ち悪いよね(笑)。

高嶋: 相当気持ち悪い(笑)。でもその気持ち悪さって何だろう。別にそんなに暴力的なことをやっているわけじゃないのに、すごく気持ち悪い。

住友: そうですね。何か暴力をふるわれるわけじゃないんですよ。あからさまにポルノグラフィーなものを見せられるわけでもないし、誰もが汚いと思うものを見せられるわけでもないんだけど、ただひたすら居心地が悪い。今見ているものがこのまま続くのかもわからない、この空間が変わっていくのかもしれないと思って、ずっと見続けちゃうような。「居心地悪いのに居させられてる」みたいな感じがしたんですよね。

高嶋: 橋本さんの作品は、観客を巻き込むという側面があるとしても、単に一緒に共同で何かをするのとは異なるあり方をしている。皆にオープンで、誰でも入ってきていいよってわけじゃない、むしろ入れといっておいて突き放す。観客がそこに組み込まれて、それを引き受けなければいけないという、ある種の負債を負わせるというか。

住友: 引き受けなきゃいけない状況にいつのまにかなっている。どこかにこう、「参加している」というステップはないんだよね。

高嶋: そう、「参加」じゃないんだよね。観客の能動性をあてにはしないし、いわゆるインタラクティブな反応を促そうとしているわけではない。

住友: そこはかなり独特な感じがしますね。聞きたいなと思っていたのは、今もこうひたすらカメラにとらえられるわけでしょ。高嶋さんがいってたように、あの映像だけを見るとホラー映画の一場面みたいで、「その次どうなるんだろう」って気持ちになる。でも、ホラー映画っていうのは既に出来上がっている映像だと僕らは知っているから、見方を知っているわけだけど、実際にここに居る人たちを眺めまわすカメラっていうのは、ホラー映画とは全然違うものじゃないですか。それを重ね合わせちゃったようにも見える。映像の使い方で、観客との関係性をすごく不安定にしていく、もしくは別の関係性をつくることが出来るとか、結構意識して考えているんですか? 例えば、単に外側から客観的に映像を撮るようなドキュメントというものがあるけども、内側に、つまりパフォーマンスや空間の中に、人の関係性の中に、映像を持ち込むことをやるというのは?

橋本: あれ(『land escape』という作品の映像)とかそうかな。あの映像は目が見えない状態のパフォーマーがビデオカメラを持って、うろうろしながら撮影している。途中から観客にカメラを渡して初めてパフォーマーの外観が画面に映る。観客は戸惑いながらもコメントしたりして撮る。ドキュメント的な機能があっても、観客の撮影も含め撮影する行為もそのパフォーマンスの部分であるから、外側からの安定した視点とは違う。今この場ではそのパフォーマンス自体には立ち会えないように、この映像はそのパフォーマンス自体が行われていた時には見ることができないものです。この映像とパフォーマンスの関係が、「その時その場」というパーテーションを変容させてくると思っています。

高嶋: 橋本さんのインスタレーションの特徴の1つは、映画でシーンが切り換わるように、初め入った時の印象が次にばっと変わるところ。観客の位置や視覚、パフォーマー自身のポジションもそうだけど、それを限定するというか条件づける。映像を見ていたと思ったら壁が動いたり、入口に女の脚がぶら下がっていると思い、中に入ってみれば上半身は男だったり。物質的に定着しないような落差をつくることで、心理的なフレーミングを変える操作をしているんじゃないでしょうか。

住友: 何かこう、橋本さんの作品には、色々ルールがあるような気がするんだよね。まあこれは観客が知らないルールなんですが。単純に、毎日この格好で、1日中ずっとこのバーを肩に背負ってビデオで追い回すということを自分に課しているわけですよね。何を喋るか喋らないかとか、その場その場で即興的に行うことに関しても、ある種の決まり事を自分の中で決めている感がある。

高嶋: それだけじゃなく橋本さんは、展覧会という1つのスパンには当てはまらない別のプランを、種を撒くみたいにして同時進行させていたりする。

住友: いつのまにか何か別のことをしているかもしれない可能性がある、と。実際パフォーマンスで観客が体験することには影響しないかもしれないことまで、ルールとして課していくところがあるよね。細かいことかもしれないけど「水は飲まない」と決めていたりして。

橋本: 僕はそれは影響すると思っています。この前の展示では、手錠で繋がれている状態で、トイレに行けないから飲み物を飲まなかった。今回は拘束されていないので行こうと思えばトイレに行けるし水を飲むことも可能だけど、会場にずっといた方がいいので、飲まないし行かないようにしている。「1日ずっと続けている」のと「1時間ずっと続けている」のとでは違いがあります。

住友: 誰もいない時、誰も見ていなければ、一瞬休憩したりトイレに行ったり、ではなくて、「続けている」こと自体がコンセプトということ?

橋本: このバーをずっとのせているのとのせていないのとでは、次に人が来た時に微妙に違ってくる。それに自身の意識も変わってきますね。

住友: いつもだいたいシンプルなルールだよね、やろうと思ったら誰でも出来るような。

高嶋: ただ、本人以外の人がやったらどうなるか。「橋本聡」という人がいなかったら作品が成立するのか、しないのか。今回の展示は特に、他の記録映像に映っている姿と同じ服装をしていることで連続性もあるし、キャラクターとまではいかないけど、1つの人格みたいなものをつくっている。

住友: そこは面白いところだよね。やっぱりその規則性みたいなものが見えてくるから。他の人がやったらどうなるのかって考えたくなるところはありますよね。

橋本: ルールはそれをつくる側と実行する側が、同一人物であっても分離が生じますが、命令や金銭によってとか、作品に感銘してなどの動機から別の人によって行なわれているのと、本人が行うのでは、同じような行為でも異なってきます。そして、それを見る側が実行者の動機も見て更に違う捉え方をする。観客は本人なのかそうでないかで違うやり取りをしてくる。でも、他の人にやってもらうものも考えています。分業とヒエラルヒーをどうするかは大きな関心事のひとつです。

来場者: 橋本さんの今までの作品は、言葉や会話とは違う回路で観客とやり取りが行われていたし、説明なども全くしないような感じだったと思います。しかしここ最近、今回のように色々と喋ったり、前回の展示でも会話するようなものになっていたようですが、その変化はどういうことなんでしょうか?

橋本: 前回の展示『foot』では、僕は手錠で繋がれ、部屋も刑務所や留置所のような空間になっていました。そこでの会話は事情聴取みたいなもので、いくら質問に対しべらべら喋っても、容疑者の言葉なら信用できず、相手は慎重になる。むしろ饒舌であることで鵜呑みにはし難いものになる。通常のコミュニケーション回路をマイナスにするだけでなく、付加することで負荷を与え変容させる。そのおかれた場や状況によって、言葉や会話は意味合いが変わってくる。今回、執拗に撮影し来場者に感想を求めて話すのも、このようなトークも似たような構造があるかもしれません…。ずっと何も飲まずに喋っていたので頭がぼーっとするんですが、その水飲んでいいですか?(笑)
(テープ起こし:吉田舞衣)