複合回路 vol.4 アクティビズムの詩学―羽山まり子


photo: A private lifeline, 2010, (C)Mariko HAYAMA



2010年9月25日 (土)~ 10月30日(土)

Exhibition view

社会の痕跡を身体になぞる

鈴木勝雄



確かはじめて羽山さんにお会いしたときのことだと思う。もう随分前に尋ねたことなので、その返答を彼女自身が覚えているかどうかわからないし、ひょっとすると今は別の答え方をするのかもしれない、いやきっと異なる言葉を発するに違いないが、どんな作家になりたいのかという質問に、「ジャーナリスティックなアーティスト」という答えが返ってきた。そのフレーズが妙に印象に残っている。

でも「ジャーナリスティック」であることとは何を意味しているのだろう。おそらく彼女の等身大の目線で、今日的な問題に鋭敏に反応していこうということではないかと想像する。リアルな「いま」を掴むためには、内向してばかりいては駄目で、他者との関係性の中に思い切って身を投げ出す必要がある。自分が関わった社会に対してアクションを起こしていくことで獲得する感覚や知見を信頼してみること。そこから紡ぎだされる個の小さな声が、現実世界の 厚い壁に穴を穿つこともあるかもしれない。それが、この数年間に羽山さんが自ら選び取り実践してきた表現者としての立ち位置なのだろう。

ひとつの例を挙げれば、足尾銅山と渡良瀬渓谷鉄道沿線で展開される「ワタラセアートプロジェクト」で、彼女は、おそらく炭素系の産業廃棄物と思われる黒い砂礫をモチーフとする作品を制作した。以前の栄華の面影もなく廃墟化が進行する足尾という場所で、日本の近代化の歴史を遡及する想像力を抱いて表現を探った彼女の視点は異彩を放っていた。彼女が提示した砂礫が作り出す漆黒の闇は、産業化に翻弄された土地の負の歴史を映し出す鏡となった。

上記のような場所性に依拠できないαMでの展示において、羽山さんはこれまでとうって変わって、最小単位の社会=「家族」という主題に取り組もうとしている。大きなシステムに目を向けがちだった彼女が、より私的な世界に分け入り、緊張の度合いを高めながら、家族という関係性が孕む暴力について表現を織り上げるのだ。それは内なる深淵を覗き込む辛く困難な作業となるに違いない。過去の仕事とは逆のルート、すなわち今回は自身の内面に疼く棘を対象化し、それを他者へと差し出す方向で構想を膨らませている。彼女が自身の身体を切開して抉り出す関係のアンビバレンスと「痛み」。それが「いま」を切実に捉えるモチーフだからこそ、彼女はあえてその苦しい道を選ぶのだろう。

 

▊羽山まり子 はやま・まりこ▊
1983年埼玉県生まれ。2010年女子美術大学大学院絵画領域洋画専攻修了。ワタラセアートプロジェクトの企画・運営に携わるなど、地域の歴史や文化の深層を抉り出すインスタレーションを制作。

(左)「距離―反復/循環」 2009 写真、元住人の遺品、時計、木材, (C)Mariko Hayama
(中)「hole without the exit」 2009 お菓子のゴミ、テーブル、テーブルクロス、椅子, (C)Mariko Hayama
(右)「keep distance」 2008 ダンボール、ブルーシート, (C)Mariko Hayama