資本空間 –スリー・ディメンショナル・ロジカル・ピクチャーの彼岸
vol.1 豊嶋康子

豊嶋康子「アンカー」2015年


2015年4月11日(土)~5月16日(土)
11:00~19:00 日月祝休 入場無料


豊嶋康子 — メタ批評絵画                    Inside Looking Out (1)
山本和弘

 極めて巧みに描かれたクロード・モネの《睡蓮》のタブローにおいて、紺碧の広大な大気層が垂直のカンヴァスとほぼ平行に、すなわち観者の眼差しに向かってほぼ等距離にあるかのように現出する。対して、睡蓮の浮かぶ水面は画面上部が空の碧面と同じ位置にありながらも画面下部は観者に迫りくるような傾斜した面として現出する。すなわち、物理的にはフラットであるこのカンヴァスに現象する二つの現象面は、カンヴァスとパラレルに奥へと広がるピクチャーと下辺が観者に向かってせりあがってくるように迫り続けるピクチャーとの少なくとも二つのレイヤーからなっている。これを芸術的価値1.0と呼んでおこう。
 豊嶋康子の最新シリーズである《パネル》は板や木片の構成主義的な組み合わせが眼を引くのだが、何よりも紐で壁と傾斜して接続されていることによって、それがカンヴァスを支える木枠であると同時にカンヴァスが現象させるイリュージョンの排除、すなわち絵画そのものを批評した作品であることがわかる。そこでは部材の重層的な組み合わせが、矩形の板の貼られた表面ではなく、壁面からせり出した背面に仕組まれていることにより、絵画による絵画の批評とも、写真や映像の別種のピクチャーによる絵画批評とも次元の異なる先鋭な批評性を読み取ることができる。
 日常の機能性を存分に含有させた絵画のような内倒し窓は、美術制度の外側から美術を批評すると同時に、突出し窓のような絵画は絵画もまた社会を批評しうる可能性を示唆してもいる。この意味において、旧来の芸術が社会へと内破する力を持ちえなかったことと、日常の規則と芸術の規則を攪乱することは豊嶋康子の方法においてパラレルに対峙している。あたかも学校で用いられる文房具が、そのまま会社においては事務用品と呼ばれるように。
 教育(文房具)と仕事(事務用品)とが生活(経済)へと統合されるのが社会とすれば、社会とはそれらどうしの斜度を計測するゲームのくりひろげられる場となろう。日常の計測や比較から逃避する制度内の絵画はいまだに民主的ではなく、卓越的に消費される財である。豊嶋康子はこの卓越性をいまだに誇示し続ける芸術を批評する方法として、自己から他者への通路(パッサージュ)を内外にこじ開ける行為を作品として提示することを一貫して行っている。美術制度の外に軸足を置いた作品群は、約2世紀をかけて呪術的に醸成された富裕層のアトリビュートを文化産業資本として批評し、芸術的価値2.0がすでに社会へと拡張されていることを証している。


▊豊嶋康子 とよしま・やすこ ▊
1967年埼玉県生まれ。東京芸術大学大学院美術研究科修士課程修了。
主な個展に2014年「PANEL #24~」(M画廊、栃木) 2013年「パネル」(秋山画廊、東京)、2008年「第2回多層展「豊嶋康子の多層系ー<マークシートから輪郭まで>ー」(Fuji Xerox Art Space、東京)、2005年「公開制作27色調補正」(府中市美術館、東京)、2004年「作品解説」(CAS、大阪)など多数。 主なグループ展に2013年「長い夢をみていたんだ」(TALION GALLERY、東京)、2013年「引込線」(旧所沢市立第2学校給食 センター、埼玉)、2006年「美術館は白亜紀の夢を見る」(埼玉県立近代美術館、埼玉)、2006年「第3回府中ビエンナーレ 美 と価値ーポストバブル世代の7人」(府中市美術館、東京)、2002年「傾く小屋―美術家たちの証言since 9.11」(東京都現代美 術館、東京)、2000年「Art in Tokyo No.12 崇高と労働」(板橋区立美術館、東京)など。
http://www.toyoshimayasuko.com

2015_toyoshima_1.jpg

(左)「パネル」2014年 展示風景 撮影:豊嶋康子,
(中)「パネル #20」2014年 91.1×91.1x3cm ,
(右)「パネル #19」2014年 91.1×91.1x3cm ,