資本空間 –スリー・ディメンショナル・ロジカル・ピクチャーの彼岸
vol.2 村上華子

村上華子「The Perfect」2015年


2015年5月30日(土)~7月4日(土)
11:00~19:00 日月祝休 入場無料


村上華子 — 偽装世界の空け開け                 Inside Looking Out (2)
山本和弘

 村上華子は作品の中に仮説を持ち込む。その設定が事実であるのか、フィクションであるのか、は一筋縄ではわからない。多くの場合、用いられる物質や道具、装置は眼の前にある事実であるが、最終的な作品となった状況は事実と仮設の縒り合わさった入れ子状の構造、あるいは虚と実のレイヤーからなっている。
 村上華子の作品には作品がしつらえられた状況の説明がある場合が多い。それを鵜呑みにするとまんまと作品の虚の世界に紛れ込まされ、それを疑ってかかると確実に見知っているはずのものさえ、疑心暗鬼の眼でみることになり、その時点で作品の実をも虚と取り違えさせられてしまう。いずれにしろ、私たちが見慣れてきた鑑賞という態度そのもの、目の前にある作品そのもの、それをつくったであろうアーティストそのものを疑いながら、作品というひとつの世界に闖入させられてしまう。
 この仮説は展覧会の会場で始まるのではなく、すでに案内状やフライヤーに仕込まれている場合、なおさら始末が悪い。まったく新規なものや状況がそこにあるのならばよいのだが、ある見知ったものがそこにある場合、そのものや状況を自分の経験で判断してよいのか、作品の設定の中で判断・解釈すべきなのか迷わずにはいられなくなる。
 ところで、このような仮説を本来的に内包していたメディアが写真や映画である。実は裁判での証拠や取調べの可視化など近年その実証性が無暗に高揚させられた観のあるこの種のメディアほど怪しいものはない。仮説主義者の恰好の餌食になりかねないからだ。そんな事情を察してか、このアーティストは19世紀の古典的な写真技法を研究し、作品に応用している。しかも映画誕生以前の写真技法で映画をつくったり、100年前のガラス乾板を21世紀に焼き付けたりという歴史への陥入をやってのける。印画紙がレコードのように市場から撤退してもなお、化学薬品の毒性に注意を怠らなければ、写真メーカーの経営判断に踊らされることなく、本物の写真がつくれるからだろう。
 村上華子の狙いはその作品が虚実のどちら側にあるかを鑑賞者に問いかけることではなく、アートという虚が実となった偽装世界を焙り出すことにあるようだ。


▊村上華子  むらかみ・はなこ▊
1984年生まれ。東京大学文学部を経て、東京芸術大学映像研究科修士課程修了。ベルギー政府奨学生として渡欧、ポーラ美 術振興財団在外研修(パリ)を経て現在ル・フレノワ:フランス国立現代アートスタジオ所属。主なグループ展に2014年「パノラ マ18」ル・フレノワ:フランス国立現代アートスタジオ、2011年「日常の実践」国際芸術センター青森、2010年「トーキョ ーストーリー」トーキョーワンダーサイト青山(東京)、2009年「大地の芸術祭 越後妻有トリエンナーレ」(新潟)など。
http://www.hanakomurakami.net

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(左)「Apparition」2013年 制作風景、協力:Atelier Jérôme Monnier,
(中)「El FIn del Mund no Llego」2013年 制作風景
、協力:Impresión El Relampago
(右)「イマジナリー・ポートレート」2012年 collaboration: Keiichi Moriguchi,


【寄稿】イメージは語る(執筆:沢山遼)