鏡と穴ー彫刻と写真の界面 vol.6 柄澤健介

柄澤健介「深 [未] 景」2017年


2017年12月16日(土)~2018年2月3日(土)
(12/23~1/8冬期休廊)
11:00~19:00 日月祝休 入場無料


彫刻のパースペクティヴ 柄澤健介-芯に光射す穴
光田ゆり


「彫刻」とは彫り刻むこと。塑像のようにモデリングしない。彫像は、塑像が原形から型(mold)を取って素材を流し込み、別の物体に置き換えて完成作品になるのに比べて、ずっとシンプルだと言える。
その分、彫刻は素材と強く結びつく。素材を彫ることで、つまりその質量を減じて部分的に取り除くことで、彫刻家は形を作っていく。
木彫の名匠、運慶ならば「あの通りの眉や鼻が木の中に埋まっているのを、鑿と槌の力で掘り出すまでだ。まるで土の中から石を掘り出すようなものだからけっして間違うはずはない」(夏目漱石『夢十夜』第六夜)と言われたりする。ミケランジェロも、石の中に埋まっている身体を解放するのだと伝えられるが、そのとき、彫刻家は埋まっている身体の周囲―その表皮の周囲―を彫り取ることしかできず、決してその身体の内部に触れることはできない、と言いかえてよいとしたら、どうだろう。 彫刻の内部に穴をうがつこと、それを行う必然性がある。

柄澤健介は、木を彫り進め、掘った穴をパラフィンワックスで満たす。半透明で柔らかな素材が、作家の彫り取った木の失われた形を可視化する。彼が彫刻するとき型(mold)が生じ、塑像制作のような素材の置き換えが行われる。木材が実体であるなら、掘られた穴=型(mold)に置き換わるワックスは虚なのだろうか。あるいは彫り刻んだ像の「影」というべきだろうか。彫られた木の、ほの白いワックスとの接面を柄澤が黒く着色するとき、白い影に境界線を用意しているように見える。
影としてのワックスと、影を受け止める木は、どちらが彫刻のネガと言うべきだろう。掘られた穴という虚が物体として立ち上がるためには、穴の周囲に物質が必要なのだ。両者の境界は、名匠が木の中から掘り出そうとしたものの表皮に接する。木に埋まっていた身体は、柄澤の彫刻に表皮だけを残して半透明となる。暗箱に差し込む光のように、木の奥まで届き触れようとする刃に沿ってワックスが流し込まれるとき、虚は物質になって自立する。実に影像的であるだろう。

登山を好む柄澤が、山の彫刻を作ろうとするとき、彼の視点は山脈を見晴らす、展望台に置かれるわけではない。彼は身を山中に置いて自ら歩きめぐることで、山の身体を把握できるという。展望台からの視点は、山への遠近法的直線的なパースペクティヴを得るだろうが、山中にあって山を見ようとするときのパースペクティヴとは、どんなものでありうるか。それは山の表皮をスキャンしていく、走査線の集合体のようではないだろうか。木に埋まっている身体の表皮に接しながら、内部の動態を把握するCTスキャンのような視野でありうるだろう。そこから、芯に届く彫刻が始まる。



▊柄澤健介 からさわ・けんすけ ▊(略歴は2017年当時)
1987年愛知県生まれ。2011年金沢美術工芸大学美術科彫刻専攻卒業。2013年金沢美術工芸大学大学院美術工芸研究科彫刻専攻修了。
主な個展に2015年「Kensuke Karasawa 2012-2015」(Star Gallery、北京)、2014年「Pale Light」(山鬼文庫、石川)、2012年「変わらぬ地平」(Take Ninagawa、東京)、「Penetrate」(プラザギャラリー、東京)、主なグループ展に2016年「[DUE MONDI] Kensuke Karasawa and Francesca Rivetti Curated by Fantom」(VIASATERNA、ミラノ)、2015年「OBJECTS IN MIRROR ARE CLOSER THAN THEY APPEAR」(The Three Konohana、大阪)、2014年「虹の麓 ‒反射するプロセス‒」(名古屋市民ギャラリー矢田、愛知)、「Hazing Kyoto Invitational Group Exhibition」(Star Gallery、北京)、2013年「アートアワードトーキョー丸の内2013」(行幸地下ギャラリー、東京)、「trade parade -等価交換の条件-」(旧北陸銀行問屋町支店、石川)など。

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(左)「変わらぬ地平」2016年|木、蝋、胡粉|28x77x31cm
(中)「視点の深度」2016年|24x75x350cm|木、蝋
(右)「crossing」2013年|木、蝋、鉄|180x300x360cm