TEXT - ギャラリートーク 松本陽子 × 高島直之

2003年10月11日(土)


「大学」――抽象画が描きたい


高島: たくさんの方にいらっしゃっていただきまして有難うございます。今日は、スライドをもってきていただいたのでそれをメインに進行していきたいと思います。僕はじつは、松本さんの70年代の前半、ならびに60年代の仕事を見たことがないものですから、今日は卒制の作品から60年代の作品に続き、70年代から九五年くらいの作品まで見て行きたいと思います。ではまず、1959年の卒業制作の作品からお願いします。

松本: 今日は芸術文化学科の授業の一環として学生の皆さんに私のたどってきた道をおみせしたいと思い、卒制までもってきてしまいました。これが東京藝術大学を卒業する時の卒業制作です。なぜ人物が描いているかというと、その頃の芸大はすごく保守的で、人物を描くということが芸大の勉強の中心で、抽象的なものというのは一切描かせてもらえなかったんです。これを描く少し前に、美術人体解剖学の授業で東大の解剖室にみにいったりしていて、人物を描けといってもふつう人物ではつまらないので、「死体」というものをテーマにしました。左のほうにピンクっぽい赤が出ていますが、テーマが暗いものですから色で少しぬけるというような、希望のようなものがほしかったのでピンクを使いました。当時主任教授をなさっていた小磯良平先生に「この色がすごくきれいだからこれを追及したらどうか」ということをおっしゃられて、以後ずっとこの作品で出てきたピンクをひきずって、今までずっと追求しています。

高島: この人物像の内側にブロック状にはいっているものがありますが、そういう意識とはどんなものなんでしょうか。

松本: それはやっぱり抽象画が描きたかったんですね。色面と色面の緊張感というものが描きたいんですけど、学校では描けないのでカンディンスキーとかモンドリアンの画集を買ってきて、自分の家で人物をいれない色面だけの抽象画を描いていました。そういったものが自分で描きたいものですからやはり出てきてしまっているんです。

高島: 当時抽象画を描いてはいかんということがあった場合、抽象的であるということに、批判はあったのでしょうか。

松本: 批判はありました。たぶん、ピンクとか、ブルーコンポーゼが軽薄な感じがして芸大にそぐわなかったんじゃないですか。当時、女の人は大学の意識のなかになくて、女性が絵描きになるとか芸術をやっていくものとしてみてくれないんですね。もう二年生のころにここにいて先生の言うことを聞いていてはだめだと思って、自分でとにかく好きなことをやろうと思いました。

高島: 自分の主題を突き詰めていこうということですね。

松本: はい、これが私の出発点です。

「アメリカ」――アクリル絵の具にぶち当たった


松本: 次のこの作品になると、完全に行き詰ってまって油絵には自分のやることはできないという感じになっていました。一年くらい絵がかけなくなってそれからアメリカに行ったんですね。

高島: この作品は1964年ですね。アメリカに行かれたのはいつですか。

松本: 1967年です。そのあいだ、病気になってしばらく療養をしていました。

高島: 次のこの作品ではアクリル絵の具に変わるのですが……。この作品は日本に帰ってきてからのものですね。たしか、アメリカでアクリル絵の具を発見したというか、それまで日本には入ってなかった色料ですね。

松本: はい、こういう絵の具があるんだなというのを知りました。アクリル絵の具は、ハードエッジとかっていうマスキングテープをはってきれいに壁を塗るような絵の具なんですね。それを見て、自分はこういう風ではない使い方でやりたいと……。

高島: では、テカテカしたような油絵からアクリルにぶち当たった時に、これだ!と思いましたか?

松本: 思いました。水彩画って輝きがないでしょ。水ですから乾いていっちゃうと沈んでいくというか。だけど、水を使っても堅牢で輝きのある作品を作りたかったんですね。
アメリカでハンス・ホフマンやクリフォード・スティルもニューマンもロスコもみました。それで、このような色と形だけで追及する、結構フォーマリズムみたいなものをみていてはいけないというか……。左のほうにある、薄い色面のスーッと伸びていくような感じが描きたかったんです。ここでもすこし出てきていますけど、技術がまだないですし、アクリル絵の具になれるのにすごく時間がかかりました。

高島: 技術的にできないというのはどういった所なんですか?

松本: 材料に出会ったときは全然慣れなくて、とにかく大変なんですよ。絵の具に遊ばれちゃうというか。自分が表現したいことが自由にできなくて、言葉がでないというか声がでないというか……。

高島: 精神的なものではなくて?

松本: そうです。でもこういうところを通っていけばいつか自分の道も開けてくるだろうと思って、描いているうちに、段々絵の具が自分の手に沿うようになって来ましたね。 


「アトリエ」――太陽とか風に仕事させてもらっている


高島:では次をお願いします。これは1974年の作品ですね。

松本: これが初めて、すこし絵の具が私の言うことを聞くようになったという作品ですね。絵の具が私の支配下にはいったというか……。描いた日も覚えていてちょうどゴールデンウィークで、アクリルにちょうどにぴったりの日の光や風だったんです。色はまだナマな感じがしますが、空間がでてきて、あぁこれで私もアクリル絵の具で歩いていけるかな、と。

高島: このあたりのギザギザの動きが龍のような感じがしますね。下からせり上がってくるようなかんじとか、動きですよね。

松本: 動きというか、ムーブメントが好きなんです。環流していくというか、こう、まわっている感じというのを掴みたいんだけど掴めない……でもこっちに引き寄せたいというような感覚を、色とか形とか線とか絵描きの持っている術で表したいんです。

高島: では次をお願いします。
これはわりと、ふきとりの白っぽいかんじが目立ってきているという感じがしますね。
ふきとりをするというのは、欲しい色を求めてキャンバス上でならしていくというかんじなんでしょうか。それからステイニングというか、定着されているわけですよね。ふき取りとにじみの関係はどうですか?

松本: ふきとりをするのは、アクリルそのままつけても欲しい色彩ではなくて、たまたまふき取ってみたらすごく良い色が出て……だから偶然ですね。それからふきとりとにじみの関係は、水の含み方です。自分しか知らないみたいで引けを感じますが、布に水を含ませるときの水の量なんです。その調子で水を絞る時の量がうまくいくときといかない時があります。それから、日の光の量とか、風の感じとか窓を開けたとか開けないとかですごく変わってくるんです。

高島: 身体とか精神的な疲労がたまっているとか、窓を開けた、とかという偶然性で作品がかわってくるということですか。

松本: もうそれが八割か九割ですね。太陽とか風というものに仕事させてもらっているという感じなんですよ。そういう意味では手伝ってもらっているというか。今日は晴れてるか晴れてないかということがすごく切実なんです。週間天気予報を見て、今週は仕事ができるとかできないと……。

高島: 息つく暇もないんですか?

松本: そうですね。こんな過酷なことをこの歳の人間がやってていいのかと思うんですけど、やり始めると次々にいろんな場面が出てきて面白くなってやめられなくなっちゃうんです。麻薬みたいに……。

「自然」――目にみえないもの、掴み取れないもの


松本:では、次をお願いします。これは大分まとまってきましたでしょ。

高島: そうですね。

松本: でも、すこし連想される風景的なものが出すぎてしまっている気がしますね。これは『黒い岩』というタイトルなんですけど、結構「火山」とか具体的なものを連想しちゃうんです。だから、ここまで風景に近づいちゃったっていうのが私としては少し不満なんですよ。

高島: ただ見る側というのは、作品を隣にならんでいる前後の連作として見るわけだから、しばしばそのように見えることもそれほど問題はないと思いますけどね。時間も押してきましたので、次の作品をお願いします。

松本: 私は『自然のなかの形象』というタイトルでずっと描いていて、つぎに自分の中で「光」の問題が出てきたんです。『光は荒野の中に拡散している』とか。この作品も、光をテーマにして描いたものです。それで次に「闇」という問題がでてきて、『夜』という作品を書きました。それがずっと進んでいって、新見先生がおっしゃる「エーテル体」というものになっていくんです。1995年に『生命体について』という絵をかいたのですが、今回シュタイナーの本を少し読んでいると、「生命体」とか「魂」という言葉がすごく出てくるので、自分がそういうことを全く知らないのに、接点があったんだなぁと思い、今回非常に納得しました。

高島: はい。では、最後の作品をお願いします。

松本: これもすごく好きな作品ですね。これが『夜』という作品です。これはまさに「エーテル体」なんですよ。目に見えないもの、掴み取れないもの、いろんな森羅万象のものが渦巻いて、自分がそれをとろうとしてもがいている作品なんです。魂がうえにのぼっていく感じもあるし、天使が降りてくる感覚もあるし、少し宗教的な意味も込めて、「夜」というタイトルにしました。生も死もはいって、いろんなことを包括した私の世界です。これで終わりです。

高島: どうも有難うございました。今日、お話を聞きまして、アトリエのなかの空気とか外の天候、自分の精神性や心理といったものを丸ごとひっくるめたかたちが、絵を作るときの対象になっているという、非常にシンプルなことだと思いますが、きわめて刺激的な画家らしい世界観だと思います。それに対して、絵画の画面の中でもうひとつの感覚とかビジョンというものを付け加えて、みる人の知覚をさらに拡張した形で与えていくという、絵画を特異化したりあいまい化しながら人々に対しての知覚を増徴させ、知覚させていく。そして見たあともゆり戻しながら感覚や感情を与えていく、という仕事であるということが改めてお話しやスライドから理解できました。近々展覧会も行うということなので、楽しみにしております。

松本: あまりうまく話せませんでしたがその分絵が語ってくれると思います。どうも有難うございました。