TEXT - ・ギャラリートーク 冨井大裕×鷹見明彦


2007年10月6日(土)


鷹見: αMプロジェクトの第2回は、冨井大裕くんの個展です。これから冨井くんのこれまでの作品を紹介しながらお話をしていきたいと思います。リーフレットをお配りしましたが、今回はいろいろなものや素材を使ったたくさんの冨井くんの作品の特性も考えて、通信販売のカタログのように作ったらいいんじゃないかと提案をして、そういう形で過去の作品を時間軸に関係なくランダムに収録していますので、参考にしていただければと思います。それでは作品を観ながら、お話をお願いします。

冨井: 冨井大裕です。最初は、武蔵野美術大学の卒業制作の作品(1997)です。材質は木で、黒の顔料をちょっと焦がしたりして黒くマットに着色しています。タイトルは、『frame』といって、そのまんまなんですけれども。寸法は、僕の背の高さ、幅は、肩幅で、僕の身体の大きさがフレームになっています。

鷹見: 彫刻科の卒業制作ですね。作品のコンセプトは?

冨井: 作品が彫刻らしくないのでよく間違えられるんですけど、僕は武蔵美の彫刻科でした。以前は具象系の人体彫刻と抽象系に分かれていて、僕は人体のコースを専攻していたんですね。人体の形を作りたかったんです。ただ粘土で作る人体彫刻には限界というか絶望があって、それでいわゆる人体彫刻が作れなくなったんですが、それでも自分なりに人体というものをどうやって作っていくかと考えた時に、それは物理的に考えたら単なる尺度や寸法じゃないかと思って、それらを物理的に木を彫る行為で形体として見せたかったというのがこの作品の正直なところですね。

鷹見: これ以前には、普通の人体彫刻を作っていたんですね。

冨井: 普通に粘土でやっていました。だから卒業制作の講評で作品を見せた時点で、最初、具象系の先生たちは、それが僕の作品だとは思っていなかったはずですね。

鷹見: いきなりこうなったわけですか?以前に近いタイプの作品は?

冨井: けっこう、いきなりだったんですよね。4年の時は、この卒業制作しか作ってないんです。その間は一切作れなくって、それまで自分が信じてきた彫刻が信用出来なくなったんで、そこをなんとか、一から自分なりにやっていこうと思い立って作った最初がこの作品でした。

鷹見: 彫刻家は、具象彫刻に限らず身体を意識する人が多いと思うんだけど、人体からの展開を作品の基礎にしている…。

冨井: それを全然無視してもいいのかも知れないですけれど、なんかそれだと進まない気がしていて。尺度とか大きさとか物理的に出る数字とかで表せるものに興味があって、物事大体それで表せるんじゃないかって、そういうちょっと冷めた感じが形とかに対してもあるんです。それは卒業制作をやっていく中で、はっきりした事でした。

鷹見: このころの作品を皆、木で作っていたのは?

冨井: それは単純に粘土をやると同時に木を彫っていたんですね。それぐらいしか扱える素材や技術がなくて、単純に作るのであれば粘土よりもカービングの方が合っていると思いました。次は大学院に入って、98年に初個展を銀座のギャラリー現でやって、その時に出した作品です。サイズは小さくて、30cmあるかないか。石膏で出来ていて、それぞれ同じぐらいの大きさの人や家の形を四方の壁や床に、掛けたり置いたりしていました。

鷹見: 身体スケールの卒業制作の後に、こういう小さなものを作りはじめる過程にはどういう変化があったのかな?

冨井: 卒業制作の作品で自分自身を型どっちゃったんで、その方向をそれ以上、外側に広げてもバリエーションになってしまう。それはちょっと違うなというのがあって。となると、もう一回、形を作るしかないかと。だけど形は作りたくない、じゃあ自分にとって形って何だろうと考え出して、そうすると、大きさとかも関わってくるんです。そうこうしているうちに身の回りのものを形として扱ってみようと思って、家とか階段の形を置いてみたんです。この時の個展は、「周辺のカタチ」というタイトルでした。

鷹見: このシリーズは続きましたね。

冨井: そうですね。この形のシリーズは全部石膏で、型に流し込んで作っています。出来るかぎり手間のかからない方法で固体にしたかったので。このときは1年に個展を3つやっていて、人の形をものとしていじり倒そうというのがあって、30cmぐらいの人型をユニットにしていろいろ遊んだというか。まわりからは、漂白しているような身体のイメージのこととか、当時は身体がクローズアップされていた時期だったんで、身体のイメージを作る作家と思われていた気がしていました。

鷹見: そのころ、神奈川県立近代美術館で個展(1996)があったアントニー・ゴームリーもそうだけど、キキ・スミスとかね、人体をモチーフにする彫刻家が注目されて、具象的な人間像がまた出てきた時期だった。

冨井: それと、東京都現代美術館の第1回目のアニュアル(1999)も、小さなものや素材を扱った作品が並んでいました。

鷹見: あのMOTアニュアルは、「ひそやかなラディカリズム」というタイトルで、 柳恵里や吉田哲也、中沢研など、あんまり物量でモノを作らない作家を集めた展覧会だった。同時期にわたしも審査をした「アート公募」というコンクールがあって、冨井くんも後で大賞をとりましたが、そこで受賞した関口国雄や河田正樹もそのアニュアルに出品した。杉戸洋の作品は、絵画の空間の中にちっちゃな人がいたり、家があったりするんだけど、冨井くんのあのころの作品にも共通項があるように見えた。

冨井: そこに素直に乗っていくというよりは、だんだん自分が本来やりたいことを詰めたくなった時に、でもまだ人の形も離れられないところで、石膏というのは物理的に不自由が多いので、やりたい空間への配置の仕方とかが出来ないという問題がでてきました。初個展で出した家の形には裏話があって、最初はでかい家を作ったんですね。それでギャラリーに持って行った時に、あぁ俺なにやってんだろうと思って、そこでやっと気がついた(笑)。大きな家を作りながら不具合も感じていて、同時に小さいのも4つ作っていたんですよ。で、大きいのをやめて小さいのをそこに配置すればいいんだ。それでいいんじゃないかと。

鷹見: 美術大学で講評や採点をしていて感じるんだけど、何か大きなものを作らなくちゃいけないという強迫観念があって、とくに卒業制作や修了制作になると学生の側にもそういう意識が出てくる。なかなか小さな作品とか、自分の表現にあったスケールなり素材とか、その方法としてのインスタレーションはうまくいかない。

冨井: 次の作品は、千葉のメタル・アート・ミュージアムで展示した作品です。これは台座を作って、その角に蝶番(ちょうつがい)を取り付けたんですね。一番小さい蝶番ですが、蝶番の上にプラスチックのエポキシ・パテを粘土代わりにして作った人のようなものをくっつけました。作った当初は柔らかいので、指の圧力や指紋とかで人が変形していって、その後、放っておくと5分ぐらいで固まる、そういう作品です。何かを作るために用意された素材ではなくて、パテという、そうじゃない用途のものを使って作るというのが、自分にとってはバランスがよかったんです。

鷹見: 彫刻では、台座を意識するらしいけれど。

冨井: この時の台座は、彫刻のためというより、空間として考えていたわけです。まず、このスペースが壁に釘を打てなかったんですね。自分のやりたいことをやるには、台を置くしかなくて。だけど、ただ台座でその上に作品を置くのではなくて。台座というものを考えると、直方体には、5つの面があるんですけど、それぞれの面が世界だとしたら、それがいろんな次元でパタンパタンと箱状になっていると考えると、そこの空間に蝶番を使うことで自由に行き来できるみたいな。

鷹見: 蝶番はこの場合、台座と人型のジョイント部分に使われているんだけれども、人型が小さいだけに蝶番の方が目立っている。そうすると、蝶番がレディ・メイドとしての要素を持ってくる。この時は意識した?

冨井: 蝶番のイメージを持たれてくる意識はありましたね。それとメタル・アート・ミュージアムなので、金属を使うのが条件でした。

鷹見: なるほど。

冨井: 石膏の作品に行き詰まって、ちょうどいいぞというのもあって。メタル・アート・ミュージアムで展開ができて、ちょっと手ごたえを感じたんですね。既製品と人体をくっつけることで、いろんな意味合いやイメージが作れるし、それによって様々な空間へのアプローチが可能だろうと思って、しばらくもう煮詰まるまでこれを作り続けてみようと…。これはスプリングの先にパテの人型がビヨーンとくっついていて、実際に触って動かす事が
できる。(次の写真)これは箒(ほうき)の先にくっつけて、箒ごと壁の接点に置いた。ここら辺でやることがなくなってきて、そろそろいいぞとなって、その時すでに下の箒に意識が向いていた。人の形はもう口実で、箒を立てかけたいだけというか、箒が重要で、自分の身体がどうとかいう話はなくなってきてしまっていて。やっていてもいかに箒を立てかけるとか、どの角度で立てかけるかとか、どんな箒が一番いいのかとか、目立ち過ぎず美し過ぎずみたいな、そういう感じになってきてですね。

鷹見: カンディンスキーの、さかさまの絵の話みたいだね(笑)。

冨井: それでその時点でもう終ったなと。むしろ下の既製品をどういじたったり、そのものに人がどういう情報を持っていて、僕はどういう情報を得ているのかとか、いまの仕事につながる方向になりましたね。その後はパテも人の形も消えて、ほとんど既製品だけの作品になりました。

鷹見: その間には、ピンだけで人型の輪郭を作った作品もあった。蝶番だけで作ったものも。

冨井: ありました。蝶番で作ったやつは、それがいまの流れの仕事の最初で、まだ人の形というものを使わないと自分の作品にはなりきれない時期でした。

鷹見: たしかデュシャンが、「空間での、蝶番の原理を利用せよ」と言っていたけど。冨井くんの「カタログ」をどんどん見せてください。

冨井: これは木製の手すりを並べたやつで、音楽の教科書の最後に載っている「君が代」の歌詞をそのまま手すりの長さに置き換えて配列しました。(次の写真)これは、『床』という作品ですね。30cm角のPタイル1枚1枚に、同じサイズのキャスターを付けて並べました。床の上に床があるように見えるんですけど、全部バラバラになります。

鷹見: 既製品を使ったシリーズは、実際それが手すりやタイルとして使われる時の、実用の構造を踏まえながら、それを増殖させたり連続させたり…ゲームみたいなところへ入っていった。

冨井: ゲームじゃなくて、ルールというか。既製品と自分のイメージの間の平均的なルールとか、それをどう使うかだったり。既製品の長さやサイズは、だいたい人間の生活に則して決まっているので、そういう条件をどうやってクリアしていくかとか、そういうところから出てくるカタチが好きなんですね。(次の写真)これは多摩川のart&river bankというギャラリーでの展示ですね。『hill』という作品で、脚立にベニヤを挟んでいるんです。(次の写真)これがスポンジで最初にやった作品で、この時はスポンジで何か出来ないかと思っただけで色々やっているうちに、なんとか立つ構造というか、海苔巻きみたいな形に落ちついて、これはいいぞと。今回展示している作品の、最初にやった段階のものです。

鷹見: 同じものを使って、場所に合わせてセッティングを変えていく。そういうことはどうですか?

冨井: 2年ぐらい前までは、展示ごとに新作じゃないといけないと思ってました。前は作品の力を信用してなかった節があったんですけれど、最近はすごく信用するようにしています。同じ事をしているんですけど、それが分かっているからこそ出来る楽しみというのもあるし、何回もやる事で伝わる事もけっこうあると思っていて。違う作品同士の関係とか、空間によってもどんどん作品が変わっていくので。

鷹見: 穴の開いたアルミ板にスーパーボールを詰めて積み上げた作品は、別な場所でも発表して、今回はまたこの場で組みあげたものですが、水平をとるのは難しかった?

冨井: 難しいですね。あとで下を見ていただければ分かるんですけど、スーパーボールの下にかませが入っていて、結構、危険な状態ですね。

鷹見: それから今回は新作が2点あって、アクリル板で鉛筆をはさんだ作品とクリップの作品。鉛筆の作品のタイトルは?

冨井: 『board pencil board』です。板があって鉛筆があって板があって鉛筆があってという構造なんで、そういう名前にしました。スーパーボールの方は、使っている板がアルミシートなんで、『ball sheet ball』。鉛筆の方は、順番がボードが最後にきているのでタイトルの順番も合わせました。

鷹見: 補足したいことがあれば。

冨井: 僕の作品は、わりにコンセプトを持っていると見られたりしますけど、実際は、ものや素材を見て、それに対して自分がどういう風に思っているかを考えて、それをただ手間暇かけていじくった結果がこうなっているんですね。だから僕は基本的にそんなに小難しいことをやっているつもりもないし、今後もやるつもりはなくて。毎回作ることで技術を発明しながら、どうやって作り続けていくか、それをなんとかやっていきたいと思っています。

鷹見: どうも今日は皆さん、長時間ありがとうございました。これからこの会場でパーティになりますが、お話したように作品がどれもこの場で組み上げたものなので、触るとバラバラになる危険があります。それだけ気をつけていただきたいと思います。