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2025年11月26日

彼女の沈黙に触れるとき—私たちはその声に応答できるのか

大槻晃実

百瀬文は、映像というメディアを通して、見ることと見られること、語ることと語れないこと、そのあいだに潜む不均衡を、繊細かつ鋭く可視化してきた。フェミニズム理論を基盤に、神話や歴史的規範を批判的に読み替えるその制作態度は、ジェンダーや記憶、身体を手がかりに、社会の見えにくい構造に光を当てている。

新作《ガイアの逃亡》(2025年)は、南フランスでのワークショップの記録映像と、モーションキャプチャーによる3DCG映像が交差する。豊穣と包容力の象徴であると同時に、怒りと復讐を内包するギリシャ神話の地母神ガイアを、語る力を奪われ、動くことを諦めた女性として描くとき、その姿は、環境破壊や植民地主義の暴力に晒された大地と重なって見えてくる。そこに立ち上がるのは、沈黙と暴力の歴史にどう向き合うかという問いだ。 

この問いは、ワークショップの場で身体を媒介にした応答として展開された。宮地尚子『環状島=トラウマの地政学』(みすず書房、2018年)の一節を読み上げる3人の参加者たちは、「所有」という言葉から想起される百瀬の問いかけに、時に「島」となった百瀬の身体に触れながら、自らの声で応答を試みる。やがてその身体は、海に横たわる大地のイメージへと変容し、他者との同一化と自己の分裂が交差する。疲弊し、動けない女性たちの象徴として現れる身体は、わずかな震えや呼吸を通じて感情の共鳴を呼び起こしていく。
 本作は、自然と女性の同一視が生んだ本質主義的ステレオタイプへの批判、土地と女性に対する暴力の構造的共通性、そして植民地主義の記憶が複層的に織り込まれている。百瀬は、そうした問いを静かに差し出しながら、個の経験を越えて、人類全体の歴史と倫理へと視線を開いていく。

作品の前に立ったとき、鑑賞者は何を見て、何を聞き、何を語るのか。語ることを奪われた者たちの沈黙に、どう応答するのか。そして、自らの身体は、世界とどのように関係を結び直すことができるのだろうか。女性に見立てられた大地に共感を寄せながらも、鑑賞者自身が誰かの土地を踏み荒らしてきた歴史の継承者であるという事実に、否応なく向き合うことになる。その両義性に引き裂かれながら、百瀬の問いは、内に眠る倫理的なざわめきを呼び覚ます。

vol. 1では、表現の根源に立ち返る場が生まれ、vol. 2では、作家たちの姿勢から美術の可能性を考える視座が提示された。そしてvol. 3では、百瀬によって、美術を通じて語ることの可能性とその倫理を探る試みが、αMという「問いの場」において静かに立ち上がる。