1991年6月25日~7月20日
母袋俊也の分割平面は、複数のパネルの組み合わせで成り立つ。その複数は、常に偶数である。四曲一双などの日本の屏風を即座に想い起こさせる。意図的に中心を喪失させている。大和絵の装飾性をも感じ取ることは容易であろう。余白が比較的多くとられ、描かれた部分と余白とが等価になっている。偶数パネルのイリュージョンは、左から右へと移動し、時間的な思考を要求される。日本の絵巻物が文字の関係で、右から描かれるのと対照的である。母袋は、極論すれば、日本と西洋を二極化の視点ではなく、融合させた空間絵画を作り出したといえるかもしれない。
この様式を確立したのは1984年ごろだというが、母袋に決定的なインパクトを与えた出来事は、ドイツ留学である。彼は1983年から87年まで旧西ドイツの国立フランクフルト美術大学絵画・美術理論科で学んだ。最初は、日本的な絵画要素を捨て去ることで、世界の同時代性の絵画の位置に立てると考えた。日本をご破算にしてやり直すという、留学生が短絡しやすい態度である。ドイツという常に重いテーマ考え続ける国で、彼は日本と西洋に根源的な対立に悩んだ。この間、日本美術についてドイツ語で講演もした。ファン・アイクやモネらは光の絵画、マチスは色彩の絵画、セザンヌ以降の画家は空間絵画だと考えた末に、やはり絵画はイリュージョンであると確信した。絵画のイリュージョンをどう自覚するか。「画家は、遠くまだまだ神を描くことのみが、絵画の課題であったころから、いけどもいけども到着しえない真実を画面の向こう側に視ていたのである」。彼はこう考えた。さらに、西欧では、画布はイーゼルによって垂直に画家と向かい合わされ、対峙するのに対し、東洋では画は水平に置かれ、画家は画と対話しながら座って描くことに気づく。西洋の180度の視覚に対し、東洋では360度の視覚をもつ。ドイツ留学で両者を体験的に知った。その両者のズレが余白として横たわっていた。彼の余白は、こうして生まれた。
イリュージョンのなかに図式でなく、しかも構成主義的でもない空間をどう取り込むか。彼の画面は、左から始まり、横へ横へと進展する。横長の画面は一気に視ることはできない。縦長の画面や上へ上へと延びる建築などは、ある種の礼拝性を有している。横長の平面は、時間を区切ってゆく。そこに余白の連続性が生まれる。彼の白亜地の余白は、リズム感がある。一瞬にとらえることのできない画面であるから、イメージがゆっくり増殖する。濃密に描かれた縦の部分と余白の部分が調和し、ある種の空間感覚を浮遊させるのである。日本的な空間絵画と呼ぶゆえんである。
パネルをつなぎ合わせた画面全体を見れば、描かれた線とパネルをつけた間の物理的な線が相乗効果を現わす。余白のなかにも、もちろん、描かれた線がある。余白のなかの筆触の線も連続性がある。全体の画面で、母袋自身の線が見える。これが、全体の統一性を与え、リズム感を与える。彩色された縦長の部分と余白が、あるときは対立し、またあるときは調和し、左から右へと重層的な時間とイメージを増殖させる。さながら空間をつむぎ出すように画面の奥行きはさらに深くなり、壁面をとり込んでしまう。まるで、水面に石を投げたときに、中心から波紋が拡がるように、絵画のエンターテイメント性を感じるのである。それはまた、意識のなかで、逆円錐形のように、ある中心をもって、下へ螺旋状に向かうのである。
母袋の油彩とテンペラで描く微妙な色彩の原点はなにか。
例えば、「Ajiki for M.R.」というタイトルの大作がある。安食にドイツ時代の友人を訪ねたときに見た田園風景の記憶に基づいて描いた。このとき“色彩の海”のマーク・ロスコの絵画も見た。緑の田園と黄金色の稲が、彼のイリュージョン性にのっとって描かれた。
また「Aki-No」(暁野)は、風景でもない、人間の形態でもない。彼の心象風景である。「Shuso」は秋草図であろうか。
概して、彼は自己の生活体験に根ざしたモチーフをとりあげる。とりわけ、風景に対する思い入れが強く、いったん風景を昇華し、彼自身の色彩で装飾的に描く。鮮烈な色彩と形態はそれらの具体性の現われである。具象ではなく、体験に根ざした具体性であるからこそ、画面のイリュージョン性が強まるのであろう。
母袋は、地の余白を生かしつつ、日本的な<間>の空間性を意識する。その根底には、日本と西洋の自分で実体験した両義性が横たわる。日本的な空間絵画は、ある種のモダニズムの様相を見せ始め、熟成へ向かい始めていると言えるのだろう。