1991年11月26日~12月21日
辻本和之は1964年以来ローマに住み、制作を続けている。辻本の内面には、イタリアと日本という二つの固有の文化が共存している。彼はあえて、二つを融合したりはしない。二つを弁証法的に止揚し、作品に自己の生命やリアリティーを昇華させる。若き日のパウル・クレーは「イタリアでは地中海的に造形芸術における建築的な明晰な秩序の必要性を学んだ」と言ったが、辻本は「造形に構成力、存在感のあるものが多く、明確な論理が通底している」と語る。造形から内面に入る側面が、イタリアに強く、内面から造形に入る北欧とは対象的だとも言い切る。
このイタリア在住が四半世紀にも及ぶ辻本の言葉は重いが、特徴的なことは、彼が一貫してこの体験からえた態度を持続していることである。それは一つには、彼の知的基盤の上に立つ科学的追究の態度に裏打ちされているのであるが、彼の慶応義塾大学の卒論がレオナルド・ダ・ヴィンチであったことを想起させる。
もう一つ彼の方法論をあげよう。これまたイタリア経験の集約した言葉である。レオナルド・ダ・ヴィンチは「科学的自然研究を深め、描写をできる限り自然に近づけ、それに自然の秩序にかわる絵画の秩序を加えて人為的小宇宙の世界を築き、作品に生命を与えてきた」と言い、「作品は光と立体の相互関係によって息づかせる。光(色)は立体面(形)によって明快に具体化されて輝き、立体は光によって空間を深め、構成を強め、したがって作品は生命を増す。(作品の生命力は)光と立体によって現実になる」と結論づける。
造形は、光、色とその画面構成によるということだが、これが単なる頭脳のなかの言葉ではなく、南イタリアの光の強い太陽の下、事物が光と影によってきわだつ、長いローマ在住の体験から生み出された言葉であることに意味を感じるのである。
こうした造形言語をいかに辻本は造形するか、彼は基本構成から入る。まず原型があった。それは不定形によるキュービックな形態である。この時点の理性的な検討が、決して目的としてではなく、常に方法論として採用されていることに注目しておきたい。
彼の方法論は、つねに知的構成によってつちかわれてきている。辻本が大学卒業後、神奈川県立近代美術館に学芸員として勤務した経験があることを、これまた思い起こさせる。理性的あるいは合理的な手順を踏んだうえで生まれた基本構成の幾何学的な抽象形態であるが、これが集積され、整合された作品を観ると、情緒感やセンチメンタルな共感が極度に排除されていることに気づく。直線やキューブの立方体、長方体にといったある意味では味気ない無機的画面構成ではあるが、これがひとたび形と色とその画面構成を与えられると、内面からの輝きとエネルギーを放射する。辻本の科学的・理性的方法論の現実的な掲示である、それらは必然的に調和している作品である。
今回、辻本は美術館的に言えば、平面と立体でローマ的空間を展開している。彼の立体は、絵画の立体化と呼ぶべきもので、それら通底するコンセプトは同一であることは言うまでもない。そうしたジャンルを超えた作品と呼ぶべきで、これらを辻本は創造しつつ破壊する、破壊しつつ創造するという、これまた彼独自の行為で作りあげてきた。あえて平面と言って、それを凝視すれば、黄色と白の丸のアクセントが表現されていることに気づく。全般に黒が主体になってきたが、性格な絶対的作品と考えて辻本が作りあげる作品にそれはなく、それを求めて苦闘する行為のなかに、それが存在するのだと思わされる。
作品をこわしつつ、創造する辻本の一貫した制作態度は、今日の作品に顕現されている。そこには、自己に自由になる、あるいは自在になるアーティストの一典型をみる。それらは、現代美術のトレンドにいささかも追従することはない。そででいてコンテンポラリー・アートだと納得させられるのである。
直線は曲線があるから、より正しい直線になる。辻本の作品には、そうした相対化の概念が多様に組み込まれているローマの建築物のように存在感を静かに主張する。それらはまた知的な愉悦感を観るものに与え、目の欲望を満足させるのである。アーティストの生の自覚が形と色とその画面構成によって、解体しつつ、進展するという合一的でしかも必然的調和によって現出している。同時代の美術アミューズメント性をも感じさせる。豊かなイメージを想起させられ、豊穣で知的な空間を共有できることは、同時代人としてこれまた至福である。
(辻本和之は、12月2日~12月14日、京橋・京ニ画廊でも個展を開催したことを付記しておきたい)