1990年5月22日~6月16日
彫刻が表現の多様化や物質と空間の意識的変容によって、自己の存在証明の方法であり、存在論的な場になってきている。自己の存在を彫刻によって、堅固に構築しようとする美術家が際立ってきた。
この傾向は1980年以降の特徴と言えそうだが、当然のことだが、彫刻の本来的な三つの条件は生きている。彫刻作品は、人口と行為の所産として、ある種の「かたち」の仮構性はまぬがれないし、媒体としての素材には、そこにどんな表現を盛り込むか以前に備わった素材自体の表情や効果があることも自明である。したがって、物質に行為する造形の精緻なレトリックが要求される。自己の選んだ物質と対話しつつ、同時に自己凝視を続け、どこまで物質に行為するか。
吉田収は素材として木、杉浦大介は鉄を中心に一部木を造形する。一見、両者は木と鉄という相反するイメージの素材を使いながら、行為を絶対化しないことによって、逆に行為を活性化すつ方向に進んでいる。ここに両者の物質に対する行為の共通性をみる。
吉田収は、一貫して物質としての木にこだわり続けてきた。木の固さや木目に注目し、素材そのものを生かす造形だった。第16回日本国際美術展に入選した作品は、木の「かたち」に重点を置く作品だ。中心に直立する長い立方体のかたちがあり、そこからまるで甲殻類の足のように大きく折れ曲がった脚がでる。あるいは、農具と思わせる原初的な作品もある。自然の意思を尊重しつつも、木への行為によって、喪失するものへの葛藤があった。木を生かす部分と、木から創り出す部分という行為の二極構造が内包している理由がここにある。
今回は、この二極構造を分離し、それぞれ行為によって作品を作り分けている。ひとつは、けやきを生かすことで、脚のついた独得なかたちになった。もうひとつの球体と大きな壷状の構成体は、木からしか創り出せないものだ。米松の木の多数の断面を組み合わせた球体フォルムは、内部をイメージすれば、樹木の生命の記憶を蘇生させる。無数のヒダを刻みつけた木の表面は、量塊や空間と並んで吉田の大事な手わざであり、自然と自己を一体化する存在論的な行為である。吉田は、木を三次元性、構造性、物質性といった規範から解放して、木の内部を通してイメージ化の世界を構築する。木を生かしつつ、木から創り出す行為によって、吉田は木の物語性を引き出しているようにも思える。
杉浦大介は、鉄という硬くて重い素材を軽やかに扱う。鉄のもつイメージによりかからない。材質の呪縛と観念的な装置から離れて、素材に対して、あくまでニュートラルな姿勢を貫く。ふたつの立方体のフォルムを端正に構築する。表面処理のさびつけも、鉄の特徴を強調はしない。
杉浦大介の作品には、鉄の暖かみがある。杉浦の行為によって、さながら鉄が他の物質に変容するかのように見える。鉄の感触自体は、肌に冷たいものだが、杉浦の行為と造形形態で、鉄がやわらかな構成体になる。杉浦の素材に対する行為の特殊性がここにある。
杉浦の作品にはもうひとつ特徴がある。鉄の造形に、木が組み込まれていることである。やや長方形の楠の木が、木目あざやかに自然のままで位置づけられる。さらに、鉄の造形作品のくぼみに、木炭が重ねてある。木は土の匂いをイメージさせる。木炭は、火を想起させ、人類の歴史に想いをはせる。鉄と木と木炭の素材が”間”を作って静かに主張している。三者の調和のとれた空間が出現する。木や木炭を鉄に装置することで、鉄自体のイメージも変化する。杉浦の鉄への行為は、鉄を木に異化させることにあるのではないか。杉浦の自然観と色彩と質感に重点を置いた造形コンセプトと行為の活性化をここに観た。これはまた、杉浦のある種の存在論的な場にも近づいている。