αMプロジェクト1992-1993 vol.12 藤堂良浩

1993年9月14日~10月9日




空間のビカミング4「触覚的構造の瞬間」

高木修

≪構想(デッサン)、つまり意識的な意図(アンタシオン)がはじまる瞬間から、作品はそれを制作する存在から区別された外部のものとなる≫
ロジェ・カイヨワ

いつも想うことだが、作り手にとって<素材の選択>が、表現するうえで大きな役割を担っている、いや戦っているにもかかわらず円滑に事が運ばぬ場合、その選択が誤りではないかと思うときがある。もしも小説や哲学書ならば途中で読み捨てれば済むことなのだが、大量に買い集めた材料を何らかのかたちに料理できない場合、多くの材料は仕事場で眠るはめになる。また、さまざまな意匠を施した作品を前にしたときも、その表現と素材との緊張関係が感じられない場合、読み捨てならぬ見捨てることにもなりかねない。
特に藤堂の作品には独特の素材に対する鋭い選択がある。それによって特異な空間を獲得しているようにも思えるのだ。初期の作品では、10センチに満たない鏡の破片を石膏とモデリングペーストで20センチほど積層し、画廊のコーナーなどに数点置いた。見る者は、誰かが悪戯に作ったのか、それとも何らかの破損なのか、と思いつつ近づいてみると緻密に色が塗られていたり鏡の角度を変えている。見る角度によって鏡の破片が周囲を映し出すというより、光を集め放射している。つまり、破片が小さいために像が見えにくく鏡という物質のみが提示される。しかしこのことは、本来の鏡の用途を消し去るということではない。鏡という素材を単なる<従属的手段>としてではなく、逆説的に積層させることによって、一義的な読解を避けているのである。それが≪必然的に射倖的≫なものであることを知っているからこそ、鏡の破片を選択し作品として顕現させたのである。見る者はふと、小さな光を束ねた作品に意識を向けるのだ。このように藤堂の作品には見る者を静かに引き寄せる力があるといえよう。それも大袈裟な計画や材料によってではなく、わずかに意識の裏側に残るような操作によってなされているというべきであろう。つい最近の作品においても、魅力的な表層を作り出している。石膏で原型を作り、型抜きして整形したFRP(ポリエステル樹脂)に塗料を塗り、その表面をサンドペーパーで何度も研磨し≪なめらかさ≫を出す。形はローマのサン・カルロ・フォンターネ聖堂の楕円形のメダイヨンを彷彿とさせるものや、浴槽、あるいは洗面台の一部を思わせるものなど細部のすみずみまで克明に作られている。それは初期の硬質な表面性(固い空間)から、≪触行為≫によってくぼみをもった柔らかい空間を獲得しているのだ。
藤堂は新聞のインタヴューに<イスラム文化圏を旅して、その文化空間に占める”くぼみ”の重要さに気づかされた>と答えている。つまりこのことは、人間の身体や自然が<柔らかい構造>によってつくられていることを<身>をもって感じとったことに違いない。作品に緩やかなくぼみを導入することによって-水の流れを沈殿させるように、視線の流れをもそのくぼみに留めさせる働きをさせている。
私は以前、ある雑誌で藤堂の作品について≪質感は、樹脂という素材を超え、つまり自らの属性を主張することをやめ-形にその一切を委ねているようである。このように藤堂の作品は、触覚的構造を孕みながら自立した作品となっている≫と書いたことがある。この触覚的構造とは藤堂の身体=スケールの中で繊細な外皮が作られていると同時に、見る側のスケールまで巻き込んでしまうのである。換言するならば、見ることそれ自体が触れている感覚-つまり空間に感覚装置としての”Antenna”を張り巡らしているのである。

藤堂良浩 とうどう・よしひろ
1956年富山県生まれ。1979年Bゼミスクール修了。81年「イメージの地下」展、82年「干渉地帯」展、84年「ミーティングサーキット」展に出品。81年Gアートギャラリー、83年ギャラリーパレルゴン、84年ルナミ画廊、90年篁画廊、92年ギャラリー現で個展ほか。

(※略歴は1993年当時)