1992年5月19日~6月13日
≪自然との対話は、芸術家にとって、つねに不可分な条件である。芸術家は自然の一部である。≫パウル・クレー渡辺明の仕事は当初、多くの彫刻家たちと同様、<作品を一個の形体として彫りこみ、イメージに近いものに成形していくという方法>をとっていたという。
しかし彼は、このアカデミックで自己完結的な構造、あるいはロマンティックな自立する物体を表出することに飽き足らず、不定形で触知できない不可視の多義的空間にある媒介を差し込み、その場所とのディアゴロスによって<見える形に転換>しようと試みる。
もちろん、制作過程において空間に何らかのかたちで触れるわけだが、それはけっして、その表面の手触りだけではなく、その場やものの<形態><量><大きさ><動き><重力>といった幾何学的特徴までも身体に内面化しつつ、独自の構造体がつくられたのである。
それは、ラワン合板(コンパネ)の1.5~2cm幅(切片)が接着され、曲線で孔のある四角柱がつくられる。しかもこの細長い構造体は、たんなる架空でのリズム的動きを見せるためだけのものではない。また空間のスケール感を現出するものでもない。あたかも、作曲家が庭を歩いている時、樹々の間からかすかな音の差異を聞き分けるような、そうした透き通るような関係、あるいは、<存在そのものにおける呼吸>(M・ポンティ)を感応させるものである。
つまり四角柱の構造体が、それ自体で発言力を持つということではなく、庭の樹々同様に歩くたびに多角的パースペクティヴが変容する場の作用因、または運動因としての構造であるといったほうが相応しい。運動するものは、<すべて何かによって動かされる>とすれば、その構造体は、そうした場所の契機、そして潜在的な動きやエネルギーといったものまで顕在化するための場所の触媒であるといえる。
渡辺明にとって、野外制作であれ室内制作であれ、場所への関心は同じである。場所の構造的特性や意義に対して、全感覚を高めて<留意>しようと試みる。つまりこのことは、彼のドゥローイングを見れば理解できる。その場所に呼応する諸々の動きをドゥローイングや模型によって創出しなければならない。それは場所の雰囲気をストロークの感覚によって、未分化な状態=構造を捉えようとしているからだ。何故ならば彼は、人間の行為、つまり事物や思考や感情は、絶対に場所と不可分であることを認識しているからであり、G・マルセルのいう≪人間を場所から切り離して理解することはできない、人間は場所なのである≫といえるからである。
かつて渡辺明は、<目には見えない力関係を現実空間での構造体として表現してみると、どんな形になるのか、自分の内側を、その空間を見つめる・・・見えてくるもの・・・光景がある>と呟いたことがある。
このことは、人間の働きと自然の働きが織り合わされた<融合体>として感じとっているからであり、そしてその表現=構造は、場所の--存在の隙間をゆっくりと、しなやかに走る風のごとく、広く深い層に触れようとするからである。
▊渡辺明 わたなべ・あきら▊
1974年東京都生まれ。1971年東京教育大学教育学部芸術学科卒業。87年「現代のイコン」展、89年「Seven Artists – Seven Works」展などに出品。野外製作に89年「Plan89C – Baigo」(青梅市梅郷)など。88年下関市立美術館、91年ギャラリーKで個展。
(※略歴は1992年当時)