当ギャラリーが発足して6年を経ようとしている。たにあらた氏から始まった企画の流れは、たに氏本人の、当初の提案通り、武蔵美出身の比較的若い、認知度の高まりつつある作家を中心に“武蔵美プラスアルファ”のイメージを確実に広めてきた。事実、銀座・日本橋の画廊街において、当ギャラリーの存在はつとに知られ、動向に敏感な画廊関係者は、折にふれ足を運んでいる。
知られるように、銀座・日本橋の画廊エリアは、作品販売を前提とする商業画廊と、作家本人が賃貸料を支払い、一定期間レンタルをする画廊の2つで、ほとんどが占められている。また80年後半から、企業の文化イメージPRのための企画画廊も、少しずつ増えてきた。
こういった情勢の中で、武蔵野美大校舎にほど近い吉祥寺を拠点に、大学運営による独立した企画画廊が存在していることは、欧米の例を除くと、特筆すべき位置にある。こういった背景を踏まえ、ゲストキュレーターとして、その充実した内容を引き継ぎ、また発展させていきたいと考えております。
このかん、運営主体たる大学関係者からの貴重な意見、あるいは複数の前任者からの親身なアドヴァイスをお聞きする機会を得ました。その中から、汲みとるべき点は数多いが、小生のつたない経験と照らし合わせ、次のような方向を重要視していきたいと思います。
■1、当ギャラリーの地理的な位置について
前述したように都内の画廊の中心地は、銀座・日本橋にあり、その中でジャーナリズムを含め、“業界”内的有機性があり、自律性を得ている。そういった集中的な地域性に対し、一歩距離を置き、三多摩の若者が集まる町“吉祥寺”活性化のための文化活動 の、ひとつの拠点とみなしたい。
■2、美術をめぐる文化・経済の動向について
80年代初頭の美術のニューウェイヴの台頭。加えて、80年代半ば以降の、地方美術館設立ラッシュが拍車をかけた、賑々しい美術館投機ブーム。この流れは多くのトレンドを生みだしたが、89年をピークとするバブル経済がはじけ、現在、沈滞を余儀なくされている。
当ギャラリーの存在は、その初心以来、経済の浮き沈みと無縁に設けられたのであり、むしろ、こういった時代に、独自のポリシーが明らかとなり、その輝きを増していくはずである。
■3、当ギャラリーの歴史について
発足運営してから6年を経て、着実な歩みを知らしめてきた。それを“成熟”へのプロセスとみて、とりあえず、その実験的段階をひとつクリアーしたとみなしたい。
■4、総合的観点
これらの3点をかんがみて、吉祥寺エリアに生き、活動している人々に、気軽に足を運んでもらい、現在美術のあり方を共有し、かつ楽しく交流できるよう促していく。ついては、入場者の増加を念頭に置く。また、依然、新人発掘の場でありながら、ギャラリー空間をよく使いこなし、安定と着実さを表明し得る作家により注目したい。さらにいうまでもなく、武蔵野美大出身者に目を向け、積極的にとりあげていく。
以上、この度の、ゲストキュレーターを引き受けさせていただく、指針と考えております。
▊高島直之 たかしま・なおゆき▊
1951年仙台市生まれ
武蔵野美術短期大学デザイン科商業デザイン専攻卒業。70年代半ばより出版編集に携わり、80年代半ばより美術評論を始める。論文に「中井正一の1930年代」がある。ギャラリーαMのゲストキュレーターとして、1994年4月より1996年3月までの2年間の企画を担当。
(※略歴は1997年当時)