αMプロジェクト1996-1997 vol.11 千葉鉄也

1997年6月24日~7月19日





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倉林靖

千葉鉄也は最初ホックニーの立体版ともいうべき写光のコラージュによる人形「鈴木君」によって登場した。その後の個展では、螢光塗料を塗った床面にテレビモニターを載せた乳母車を観客が自由に走らせ、映り込んだモニターの光によって床面に絵画を描くという「ダウジング・ママ」というインスタレーションを発表してもいた。その頃から彼は、実はずっと前から平面を描きたいのだと言っていた。その言葉どおり、最近の千葉はいくつかの場所で平面作品を発表するようになっているが、そこでの彼の関心は写真コラージュやインスタレーションの頃から一貫して焼いているものだと考えられる。それは「絵画」の概念をめぐる思考なのだといっていい。
現在において絵画を描き出すという地点から見れば、「絵画」の「概念」など問題にしなくてもよい、という立場も成り立つ。何をどう描こうが絵画は成立するし、そこでどんな表現が行なわれようとも自由である。けれども、今日までの歴史において、「絵画の概念」とは、かなり特殊で窓意的な場所で成立してきたということもまた事実である。ジョン・バージャーは、西欧における油絵というジャンルの本質は何よりもまず「措く」ことによって対象のイメージを「所有」したいという欲望に根差すものであることを指摘し、《油絵のイメージは、世界に対して開かれた額付きの窓というより壁にはめこまれた金庫、目に見えるものをしまっておく金庫に近い》といっている(ジョンバージャー『イメージー視覚とメディア』伊藤俊治訳、パルコ出版、1986)。
こうした見方を敷延していけば,巨大キャンヴァスにアクリル絵員で描かれた抽象画といえども、ある世界を所有したいという欲望から成り立ち、その枠組みによって「絵画」は外部・世界から囲われ守られており、その無傷な独立性によって「絵画」の超越的一礼拝的価値が保証されているということもできる。そしてどんな表現も、いったん四角い枠組みで囲まれ平面として取り込まれたが最後、この超越的一礼拝的価値に抜きがたく汚染されるということは否定できない。というより、多くの場合、「表現」は、あらかじめ与えられる、この概念の枠組みに寄り掛かることによってかろうじて存在できている。
だから問題は、描くこと、表現することを、この概念の汚染から守り、ある意味ではさらに客観的でさらに厳しい、そしてある意味では自由でさらにしなやかな運動にすることができないのか、ということだ。千葉によれば、カラーフィールド・ペインティングやミニマリズムによる絵画の毒な物質化も,コンセプチュアリズムによる絵画の極限的な観念化も、この概念の枠組みに直面し対決することを避けているがゆえに、最終的な解答にはなりえない。白山を手にするためには、むしろ枠組そのものを徹底的に問題とし、それらを増殖させ、その内部において自己破壊させなければならないのだ。
こういうわけで干葉は、文字どおりの絵画の「枠」、「縁」を問題とし、描き続ける。それは外部世界と絵画内世界を分ける場所であり、伝統的な絵画でいえばそのイリュージョニズムが始まる場所である。彼は日本人にとってもっともニュートラルな色である肌色を色面として選び、そこに「絵画」を生成させる「縁」、イリュージョニズムの影をもつ穴を穿つ。この縁の穴は独立し、自己増殖を続け、絵画内世界の安定性を分裂に追い込むだろう。はたしてこの分裂の末に、自由は獲得できるのか?それともそこにあるのは、自由とは、自由を獲得する過程における気の遠くなくなるような脱一構築化の堆概のなかにしか存在しないという、諦念にも似た決意なのだろうか?平面における千葉の作業はまだ端緒についたばかりであり、その帰趨を見定めるにはまだ当分の猶予を必要とするだろう。けれどもその思考の出発点におかれた,妥協を許さない徹底性と志の高さを評価したいと思う。私は、与えられた枠組みに自足する表現よりは、「絵画の概念」という風車に立ち向かうこのドン・キホーテの鮮やかな大敗ぶりこそを見てみたいと願うものである。