1997年10月14日~11月8日
撮影:小松信夫
祖母井郁に連れられて、卒業制作で作ったという立体を大学の裏の空き地に見にいった。建物と塀に挟まれた狭い土地に草が茫々と生え、そこに黒い、石のようなものがぽつんとおいてあった。大学の研究室で見た棺のような立体も、画廊で見たものも、祖母井の作品は周囲の雰囲気と併せて思い出されるものが多い。それは物体の周りから、単にある存在がそこに在るという以上の何かを漂わせるのだ。
物質を、なるべく純粋な物質そのものという存在に向けて還元したいという欲求が、20世紀の美術ことに60年代から70年代に向けての時期に沸き起こっていた。ミニマル・アートやプライマリー・ストラクチュァーズ、あるいは日本のもの派の動向も、そういった文脈から捉えることができる。もちろんそれは、「物質そのもの」=「物自体」という、もうひとつの観念に向かうということにほかならなかったが、とにかくそこでは立体を創造するという作業がある種の即物性に向けて考えられていたには違いなかった。
だが彫刻がどんなに物質的になろうと、それが<見られる>ものであることにかわりはない。通常の場合、彫刻作品を受け入れるにはどうしても<見る>というプロセスが必要であり、視覚というフィルターを通すことを求められる。では彫刻が単に<見られるもの>であるかといえば、そうでもない。当り前のことだが彫刻には一瞥では見られない「向こう側」、「裏側」がある。つまり彫刻は見られるべき存在でありながらしかも全的に見られることを拒否している。これが、彫刻が置かれているところのパラドックスである。
見えないものの認識があるとして、どのみち私たちにとってはそれは見えるものの影という形でしかやってこない。彫刻とは、その裏側あるいは内部に、見えないものを内包しているメディアである。そしてまさに彫刻こそが、見えるものを即物的に提示するがゆえに、その影としての<見えないもの>をもっとも端的に示すことができる。現代の新しい世代が、彫刻というものをこう考えたとしてもおかしくはない。もっといえば、彫刻は、黒い闇を内包しているのである。黒い闇とは何なのか。彫刻を霊肉二元論の立場から人間のメタファーと考えることも可能だが、黒い闇とはそれらのメタファーの中心に位置している、何か根源的なものなのであろう。祖母井の彫刻が示唆しているのはこういった事柄なのではあるまいか。
いま二元論といったが、それは必ずしもはっきりと分離され対立する要素のことではない。霊と肉、イデアと現実、彼岸と此岸は相互に浸透しあい支えあっている。観念と実在は微妙に絡まりあいながら成立しているのだ。だから、この彫刻論を私は見ることの問題から紡ぎ出してきたが、そのことによって彫刻が絵画的な視覚論・認識論に収斂されてしまうのだというつもりはない。たとえば祖母井は立体と同時に同じモティーフを扱った写真作品を制作し、展示することがあるが、これは立体を認識論的に考えさせるという意味よりも、むしろ写真表現が存在論的な領域に移し変えられ、そのことによって彫刻の意味がより際立たせられているのだというふうに解釈したい。彫刻=立体が表現しうる領域こそ、存在論的な思考である。その思考の中心に、まさしく、「黒い闇」があるのだ。
彫刻を物自体へと還元する手垢のついた方向でもなく、安易にイメージの表出や社会的メッセージに走る方向でもない、きわどい線上で「彫刻」に新たな可能性を付与させようというこうした試みに、私はひじょうに興味を覚える。祖母井が作品において発している問いはすぐれて本質的なものであるが、その表現感覚の根底には、当画廊で先日個展を行なった棚田廉司にも較べられる現代的な生理感覚があることも付け加えておきたい。