1998年1月13日~2月7日
最初に断わっておくが、私は、昨今流行っている「癒し」という言葉が好きではない。はっきりいえば嫌いである。「癒し」という言葉のなかには、疲れ傷ついた人間が回復して日常社会に戻っていく、という、社会の現状にとってまことに好都合な合理化の契機が含まれているような気がしてならない。本来ならどのように扱ってもいいはずの「休日」を、労働への心身回復という義務を負い、したがってそれ自体労働の一部となる「レクリエーション」へと変換させてしまう思考と、同じ傾向がそこにあるのではないか。煩瑣な日常性から離れ、人間の精神ことって何かある本質的なものに触れる、という経験が仮に「癒し」と呼ばれているのだとしたら、この経験はときには「癒し」でもなんでもない、むしろ人を日常性からもっと乖離させる「狂気」のもとへ誘う可能性だってあるのだ。
平田五郎の作品は、「癒し」という文脈のなかで紹介されることがよくある。なるほど、彼の室内展示作品をみて(触れ)、あるいは屋外の行為の記録を写真だけによってみていけば、そうした印象も生まれやすい。だが、彼が行なっている行為―北海道オンネト―の凍結した湖の氷上に雪の家をつくること、同じく北海道の湧洞沼の葦の茂みに自分の身体と同じ幅の通路を作ること、沖縄・西表島のマングローブの森のなかで種の彫刻を作ること―は、彼自身にとって本当に「癒し」なのだろうか。それらは大自然のなかで、文字どおり死の危険と隣り合った行為であり、彼の四苦八苦・七転八倒の道中談義を聞いていると、とても「癒し」への旅などというスマートな形容では表現できない行為だという気がしてくる。私が思い出すのは、むしろコッポラの映画『地獄の黙示録』や、その種本のひとつであるコンラッドの小説『闇の奥』で語られる「旅」である。そこでは、旅人は未開の奥地のなかで徐々に文明人としての合理思想を捨て去っていき、非合理的な、ある意味では狂暴でさえある意識/無意識の基底に到達する。これらの旅―本来の意味での旅であると同時に、心理的な(心理への)旅でもある―は地獄行であり狂気の旅なのだ。
いったい何が悲しくて、平田はそんな大自然の真っ只中に身を晒しに行かなければならないのか。彼は文明と隔絶した自然のなかにわざわざ出かけて行って、自らの知覚と意識と心理のありようの本質を探ろうとしているのである。大人一人がやっと横たわれる穴を掘ってそこから空を見上げるというのは、平田の行為のうちでも最も単純明快なものであるが、周囲の夾雑物を遮断し、空と、それに向き合う自分の知覚だけが意識される状況を作り出すことによって、人間は自らの知覚/意識/心理のなかで世界を構築しているということを、明らかにしようとしているのである。パラフィンワックスに覆われた空間を作り出し、その部屋に横たわること、あるいはそこから外部を覗くことも同じであって、自らの意識/身体が世界を創り出しているありさまを経験するために行なわれているのだ。
少なくともわたしたちの知覚経験のレヴェルで捉えられる世界にとって、絶対的な客観性や確実な真理などというものはありえない。数々の戦争・紛争、ことに20世紀に繰り返し起こったイデオロギー上の対立からの殺戮は、絶対的な真理がある、という迷妄から起こったのであって、わたしたちが未来を生きぬくために肝に命じておかねばならないのは、むしろ「世界」とは各人が各様に意識のなかで作り出しているイメージであり、コミュニケーションとは、それらのイメージを互いに理解し尊重し合うことにほかならないということである。平田がひたすら個人的に行なっている(とみえる)行為が、なにか普遍的な意味を持つとすれば、何よりもこういった事柄ではないかと私には思われるのだ。今回のαMの展示でも、パラフィンワックスで覆われ、そこから空を覗けるような空間が作り出されるはずであるが、そこで生まれるのは平田の作品であるというよりも観客一人ひとりにとっての空であり一人ひとりにとっての現実である。だがそこには個人の壁を超えた共同主観性の可能性が示唆されてもいる。こうして平田の作品(行為)もまた、人間の知覚に関する根源的な探究となっているのである。